かりそめの旅

うるわしき 春をとどめるすべもなし 思えばかりそめの 旅と知るらむ――雲は流れ、季節は変わる。旅は過ぎゆく人生の一こま。

ストラディバリウスはお好き?

2009-08-29 02:53:22 | 歌/音楽
 日本人は、何と権威に弱いんだろう。
 銀座に、世界のブランド店が軒を並べているのを見ても分かる。その価値を分かってか分からなくともか知らないが、まだ若い女の子までが、不相応とも思えるブランド品をこれ見よがしに身につけている。
 フランス人をはじめヨーロッパ人は、それ相応の年齢や立場になったときに、それらラブランド品、高級品を身につけるし、そうでない人は、あえてそれら高級ブランド品を身につけようとは思わない。自分には他に充分相応しいものがあるのだと思っているし、ブランドに頼らなくとも自分らしさは磨かれるとも思っているから。そういう年齢や身分・立場になったら、つけてみようかと思うものなのだ。
 しかし、日本人はそのブランド品に自分が相応しいか、それ相応の収入や身分であるかなどは頓着しないようだ。
 そんな姿を蔑んで見ていたが、僕だってやはりブランドには弱いようだ。
 
 その名は、ストラディバリウス。
 制作者の名にちなんだ名で、イタリアのクレモアで作られたヴァイオリンである。最高の音色を出すということで、今では世界一高い楽器となっている。
 制作年代が17~18世紀だから、あれこれ250~300年も前のものということになるが、骨董的価値ではなく、ばりばりの現役なのである。値段はまちまちだが、概ね億単位で、数億円はするという。
 現存するのは約600丁といわれているが、日本にもかなりの数があり、わが国は有数な名器保有国なのだ。この世界でも、日本はブランド保有を誇っているのだ。
 演奏家による個人保有というより、企業や団体が保有しているのが圧倒的に多い。資産価値目当てに買いあさったのではなく、才能ある演奏家に貸与するシステムなのだ。
 例えば、どの人が持って(使用して)いるのかといえば、自宅を売却して購入資金に充てたという辻久子さんをはじめ、諏訪内晶子、千住真理子、五嶋龍、神尾真由子さんなどの有名アーチスト(他にもいる)が、自己保有もしくは貸与で使っている。

 そのストラディバリウスが、やってきたというので、見に、聴きに行った。ヴァイオリン教室での先生の川口祐貴さんからの案内だった。
 8月28日、調布市文化会くすのきホールで行われた「アンサンブルNIZIコンサート」(川井裕子総合指導)で、特別にストラディバリウスによる演奏会が行われたのだ。
 会場に入ると、壇上に二つのストラディバリウスが並べてあった。長野にある(株)日本ヴァイオリン保有のもので、それらはライトを浴び、胸を張っているようであった。
 ストラディバリウスには、各々ニックネームが付いているらしく、一つは1681年製の「ナポレオンⅢ世」で、もう一つは1731年製の「ロマノフ」ということだった。
 それを、ヴァイオリニストの川口祐貴、川口尭史の姉弟が、別々に弾いた。
 ワインのテイスティング、試飲会というのは経験あるが、ヴァイオリンの試弾会が行われて、それを聴くというのは初めてだ。ヴァイオリンを買うときに、いくつか弾いて音色を比べるというのはあるが。
 まず川口祐貴さんが「ナポレオンⅢ世」を弾きはじめると、会場の聴衆は、どんな音かとじっと耳を傾ける。
 素人の僕が咄嗟に感じたのは、意外と粗く太く強い音だという印象だった。ワインでいえば、タンニンの強いボルドーである。
 試弾のあと、係の人に材質などを質問しながら、ストラディバリウスのカーブのところをそっと触らせてもらった。やはり、僕はミーハーだ。
 ルーブルでアングルの「オダリスク」のお尻を触ったのを思い出した。
 
 試弾のあとは、ストラディバリウスによるアンサンブルによる演奏が行われた。
 まず、川口祐貴さんによるベートーベェン「ロマンス ヘ長調」。次に、川口尭史さんによるサラサーテの「ツィゴイネルワイゼン」。
 演奏は素晴らしかったが、素人の僕にはストラディバリウスの音の違いが分からない。さすが、ストラディバリウスだと言いたかったのだが。
 まだワインの方が分かるだろう。
 演奏会が終わったあと、実際に弾いた川口さんにストラディバリウスについて訊いてみた。
 「最初弾いたときは跳ね返りが強かった。だからといって弱く弾くと聞こえないぐらい低すぎるし、ちょうどいい部分にあたるととてもいい音が出るのですが。暴れ馬のようで、調教するのが難しいが、時間をかけるとやりがいもあるといった感じです」と語ってくれた。
 名器はそう簡単にはなびいてはくれないのだ。
 
 実は、何を隠そう、僕の持っているヴァイオリンもストラディバリウスなのだ。
このことは、「ストラディバリウスの夢」(2007.8.27)の、ブログで書いているので、そちらをどうぞ。
 http://blog.goo.ne.jp/ocadeau3/e/c405e5a35d880903db6f7b9677b8dc6a
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◇ 浮草

2009-08-27 02:28:54 | 映画:日本映画
 小津安二郎脚本・監督 中村鴈次郎 京マチ子 杉村春子 若尾文子 川口浩 1959年大映

 浮草も浮雲も人生に例えるなら、根に足が着かない軽いイメージだ。それでいて、どちらも少しもの哀しい響きがある。
 情景としての浮雲は、それだけでほっといてもいいのだが、浮草は、どうしてもそれに絡みつく藻とか近づいてくるメダカなどの小魚が欲しい。そうでないと、浮草はたちまち枯れ果て、水に消えゆく藻屑になってしまう。
 浮草は水の上だから、水に濡れ少し湿っている分だけ、男女の絡みが感じられる。浮雲の方は乾いた空の中だから、男女の色恋はなくとも、それでもいいかと思わせる。
 少し達観した浮雲に対して、浮草はいつしか落ちぶれていく哀しい予感を抱かさせる。

 夏、ドサ回りの芝居の一座が、ある小さな港町にやってきた。町の家並みはおしなべて瓦の平屋で、路地から子供が出てきて遊び回っている。灯台の見える海辺で釣りをする人もいる。
 かつてどこにでもあった昔の街並みだが、今はない街が懐かしさを誘う。その頃流行っていたのだろう、「南国土佐をあとにして」の歌が流れる。
 その町には、一座の座長(中村鴈次郎)の昔の愛人(杉村春子)がいて、その女に生ませた、もう大きくなった息子(川口浩)もいる。息子には座長は父ということを隠して伯父さんということにしていて、上の学校(大学)に行かせようと、可愛がっている。
 その町に来たときは、座長は、その昔の愛人の家に腰を落ち着けるのだった。その家のささやかな庭に生えている、赤いハゲイトウが鮮やかだ。
 一座の看板女優で、座長の今の愛人(京マチ子)が、そのことに気づく。
 彼女は、仕返しをしようと思いをめぐらし、妹分の若い女優(若尾文子)に、息子を誘惑するように持ちかける。
 その誘惑は成功し、息子は本気になって若い女優と駆け落ちしようとする。
 座長は、息子と若い女優の不穏な関係を知り、それを企んだ今の愛人の女優に烈火のごとく怒り、二人は喧嘩別れをする。
 雨の降りしきる中、道を隔てて、座長の中村鴈次郎と愛人京マチ子の、愛と憎しみのこもった言い争いが美しい。いつだって、愛と憎しみは裏表だ。
 折りもおり、芝居一座は客が入らず、座長は一座の解散に押しやられる。
 一人になった座長は、年貢の収め時とばかり、この昔の愛人の家で、息子も含めて3人で住むことにするかと思い始める。
 その矢先、若い女優との仲を割かれそうになったのと、伯父でなく父親だと知らされた、帰ってきた息子に、今更父は要らないからこの家から出て行けと座長は言われる。
 彼は、そりゃそうだ、世の中回り持ちや、うまいことばかり事は運ばない、また、一から出直しだと言い残して、家を出るのだった。
 座長は、再び一人旅へ出ることにする。金もないし、もう若くはない。これからどうするのだろう、どこへ行くのだろう、と哀感を誘う。
 町を出るため駅へ行き、待合所で汽車(列車)を待ちながら、タバコを取り出す座長。懐を探したがマッチがない。そのタバコに、マッチの火を差し出したのが、喧嘩別れした愛人の女優だった。彼女も町を出るため、一人汽車を待っていたのだった。
 「どうにかなるわ」
 彼女は、男を促すのだった。
 そして、同じ町まで切符を2枚買うのだった。

 小津安二郎といえば、「東京物語」や「秋刀魚の味」に見られるように、しっとりとした父と娘の抑制された感情の流れを描いた作品には定評があるが、この「浮草」は激しさがある。淡々とした小津作品とは一味違った、男と女の情念が沸き上がり、人生の悲哀が押し寄せる。
 それに、小津は松竹での作品が殆どだが、唯一大映での作品である。

 浮草のような人生は、愛も哀しみもある。
 おしなべて、浮草は哀しみ含みの人生で、いつかは沈んでいく運命なのか。
 流されゆき、水に紛れる浮草は、軽やかに浮かぶ雲に妬みを持つことになるのだろうか。
 とはいえ、林芙美子の「浮雲」(成瀬巳喜男監督)とて、やりきれない哀しさに充ちているのだが。
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事実などない

2009-08-24 01:45:26 | 気まぐれな日々
 「事実などない。あるのは認識だけだ」
 しばらく前、新聞のコラムで見て、気になっていた言葉である。

 困難に直面した場合、僕は箴言や偉大な人間の言葉を紐解くようにしている。
 かつてはそのようなとき、道元禅師の教え「人生いまいるところが道場だ」を、繰り返し読んだ。
 「若(も)し園中に於いても、若し林中に於いても、若し樹下に於いても、若し僧房に於いても……是の処即ち是れ道場なりと。」
 どこにおいても、どんな状況にあっても、人間今いるところが道場なのだ。つまり、今自分がおかれている状況が修行なのだ。自分が前進するためには、それら目の前にある困難や障害は、乗り越えなければならない、与えられたことなのだ、と反芻した。

 かつて(まだ若いとき)麻雀をやっているときのことだ。
 情勢が不利になってきたとき、例えば自分が負けてハコ点(持ち点がゼロになる)になろうとしているのに誰かにリーチをかけられたときなどに、「我に艱難辛苦を与えたまえ」と叫んで牌をつもる男がいた。
 僕は、そのとき自分に辛い思いを与えてくれと言うのは、少しおかしいな、矛盾していると思った。
 しかし、この言葉は、「艱難汝を玉にす」、つまり、困難苦痛が自分を上の段階に行かせてくれる。だから逆説的に、この不利な状況を脱出、好転させてくれと、彼は、哲学的なことを言っていたのだ。

 人間、自分がよかれと思ってやっていても、思うようにいかないときは多々ある。そのために充分な努力をしている、と思っていてもそのような結果になるとは限らない。そんな時、理不尽だと思う。
 しかし、冒頭にあげた「事実などない。認識だけだ」という言葉を呑み込むと、少し世の中が見えてくる、ように思える。
 ここで言っているのは、事実などなく、そのことに各人が互いに自分の立場から解釈しているだけなのだ、ということである。
 人間は、自分中心に考え行動している。「事実などない。認識だけだ」という言葉は、自分が複雑な状況にいるとき、少しだけ客観的にものごとを見させてくれる。
 「今起こっていることだけが正しい」という言葉と同じことかもしれない。

コメント (4)
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□ 一瞬の光

2009-08-18 01:22:00 | 本/小説:日本
 白石一文著 角川書店刊

 人は何に向かって、何のために生きているのであろうか。
 誰でも答えは分かっているようでいて、みんな答えに窮する。それは、自分の今置かれている境遇や立場を一瞬反芻するためで、年齢や社会的経験などによって、違った答えが出てくるのが当たり前なのだ。
 一言でいえば「幸せ」という幼く凡庸な答えがあるとしても、それは魚屋の店頭でこれは何ですかと訊かれて、魚ですと答えるに似ている。誰でも不幸せを求めてはいないのだから。
 問題は、その個別的な中身なのだ。

 「一瞬の光」(2000年刊)は、週刊誌編集者の生き様を通して、現代の社会的問題を読むものに問いかけた「この胸に深々と刺さった矢を抜け」の作者の、メジャーデビュー作である。
 「この胸に」は、過剰な言葉の放射で、小説としてはそのテーマの大きさの無理がたたって結末の落としどころを失った感があるが、著者の熱い魂と強烈な個性を感じさせた。
 となると、デビュー作を読みたくなる。概してデビュー作に、作者のエッセンスが込められているからである。
 「一瞬の光」は、「この胸の」の8年前の作である。
 物語の舞台は、日本を代表する財閥系大手民間会社で、主人公は、そのエリートビジネスマンである。
 ワンマン社長の恩恵を受けて、出世街道のトップを走る人事課長は、学歴も東大法学部卒、仕事もできるし、ルックスも役者のようなハンサムで女の子にはもてる、非の打ちどころのない男である。蛇足だが、けんかも強い。
 最近、社長の紹介で付き合いだした女性は、財閥家の令嬢で社長の姪でもあり、一橋大卒(頭もいいという意味)で外資系会社に勤め、モデルもどきの長身の美女で、性格もいいときている。蛇足だが、セックスの感度もいい。
 同じ時期に、別に取り得があるわけではない普通の女性と知り合う。
 その女性は母や兄に家庭内暴力を受けていて、精神不安定で棘があり、見かねた彼は彼女を助け、支えようとする。蛇足だが、主人公のスーパーサラリーマンは、彼女との性交渉は控えている。
 小説は、会社内の勢力争いを縦軸に、二人の女との愛というか精神の絡めあいを横軸に進む。
 ここで彼はこう言う。
 「女性には決して実感できはしないが、手元の小さな競争を勝ち抜く、それだけのことでも男には我を忘れるほどの力が必要なのだ。そうやって小さな勝ちを積み重ねていった末に、一人のみが座る椅子が待っている。その椅子を目指して走り続けているが、さて辿り着いたときに自分が果たして幸福かどうか、その確信はない。しかし、一つだけ言えるのは、敗北は人間を卑しくしてしまうということだ。負けるということは、人の品性までも歪めてしまう。」
 ここでは、彼は資本主義社会の競争社会にどっぷりつかった、一流企業の、その中でもエリートサラリーマンの視点のみである。彼の付き合う女性は頭もよく美貌も備えていて、彼の乗る車もベンツ(高級車)で、打ち合わせに使う料亭やレストランも一流である。
 付き合う女性も、誰もがうらやむダイヤモンドを選ぶか、少し歪んだ真珠にするか、の悩みである。選択権は、彼にある。なぜなら、二人とも彼を愛しているから。
 ダイヤモンドを選ばず、傷ついた真珠を選ぶのが物語を面白くするはずで、やはりそうするための仕掛けを、これでもかとばかり何度も繰りかえし施しているのだが、それでも、この愛の選択には無理があり何かが欠けていると思わせる。逆に過剰がゆえに、欠損が浮かび上がると言っていい。

 「一瞬の光」の延長線に存在する「この胸に深々と刺さった矢を抜け」は、主人公はすでに結婚していて、仕事上は中間管理職から決定権のある管理職(編集長)に出世していて、結婚した相手の女性もエリートといえる東大の教職(当然東大卒)である。家庭生活は表面上はうまくいっているが、彼にはごく当たり前のように不倫相手がいる。
 つまり、両作品とも舞台は違えども、現代社会のいわばエリートが主役なのである。
 しかし、「一瞬の光」が、女性への愛の絡みを粉飾にしながら、資本主義社会のレールに乗って何の疑問も抱かず生きていく男の会社内挫折、社内権力闘争が主題になっているのに対して(著者は愛が主題と言いたいのかもしれないが)、「この胸に」では、やはりエリートとも思える人間が現代社会に浸かりながらも、なおかつ現代を生きていくことは何かの熱い問いかけを持つに到っている。
 「一瞬の光」と「この胸に深々と刺さった矢を抜け」の間には、現代社会の荒廃と同時に著者の問題への深化が窺える。ただし、この進化は答えの見える進化とは言い難い。それほど、現代は生きる目的が見出しにくい時代へ突入しているのだろう。

 現代社会を生きていくには、何が必要で、どの方向に向かって行かないといけないか、改めて自分に問いたくなる。
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鷹島・モンゴルの夢の名残り

2009-08-13 00:41:44 | ゆきずりの*旅
 四国に橋が架かって、いつの間にか本州と道で結ばれてしまった。四国ももう島とは呼べないようだ。日本列島4つの大きな島は、道で繋がった。
 今、急速に日本の沿海の島が島でなくなってきている。島には橋が架かり、簡単に車で行き来できるようになってきた。
 例えば、佐賀県北の玄界灘沿岸の島も、いつの間にか橋が架かって道が繋がっている。呼子沖の加部島(佐用姫伝説の田島神社のある)もそうだった。伊万里湾の福島(元炭鉱があった)もそうだ。
 その伊万里湾の福島の先に、鷹島がある。
 鷹島は行政管轄では福島と同じく長崎県だが、距離的には佐賀県の肥前町(現在は唐津市に合併)に近い。この鷹島は、元寇で有名な島である。

 元のモンゴルが日本に攻めてきたのは、鎌倉時代の中期で、2度の襲来があった。
 最初の文永の役は、文永11(1274)年10月、朝鮮から出発したモンゴル・高麗軍は、朝鮮半島に近い対馬に上陸したあと、玄界灘を渡り博多湾に入り攻撃を繰り返したが、台風の襲来で大打撃を受け、引き揚げていった。
 2度目のときは、弘安4(1281)年7月、対馬、壱岐を侵略したあと、やはり玄海灘を通り、伊万里湾沖の鷹島で日本軍と戦うことになる。
 鷹島沖に集まった元は、総勢4千400隻の船と14万人の大軍だといわれている。この数字が概ね正しいとすると、鷹島沖は元の軍船ですっかり覆われたであろうし、まるでイナゴの大群の襲来のごときであったと思われる。
 このときも、偶然の台風によって大半の元の船は海に沈んだ。

 肥前町から、今年(2009年)3月に完成したばかりという大橋を通って、鷹島へ行った。(写真)
 鷹島は人口2千数百人ほどの小島だが、すっかりこの元寇によって、モンゴル観光島となっていた。さすが、観光立県の長崎だけのことはある。
 島の歴史民族資料館に行くと、沖の海底に眠っていた元の船の遺品が陳列されていて興味深い。
 船の木製碇などから、剣や壷、さらに鉄砲と呼ばれた火薬弾まである。さらに、僕が興味をひいたのは、この鷹島沿岸で発見された青銅の印鑑である。
 元の官用書体であるパスパ(八思巴)文字で、「官軍総把印」と刻まれている。元にパスパ(八思巴)文字というのがあったことを初めて知ったし、漁民が貝を採っているときに発見したというのも、なにやら志賀の島で農民が発見した「漢倭奴国王印」の金印を想起させるものだった。
 島の北端には、モンゴルのゲル(テント)が並ぶ、モンゴル村が設えてあった。このゲルで宿泊できるようになっている。中をのぞいてみると、テレビや電話まで引いてあった。

 地方は車社会である。車は不可欠といえるぐらい車依存社会となった。
 島は道で繋がり、車で行けて便利になった。代わりに多くの連絡船、乗合船が消えて、情緒を失った。
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