12月26日、佐賀に帰るために東京を出発した。
今回は寄り道をせずにまっすぐ博多に行くのだけれど、新幹線の特急「のぞみ」ではなく、東京発13時03分発岡山行きの「ひかり」に乗った。
東海道・山陽新幹線の時刻表をよくよく見ると、新幹線が登場した頃脚光を浴びた「こだま」や「ひかり」はいつの間にかめっきり本数が減っていて、すっかり影が薄くなっていた。ダイヤの主流は「のぞみ」で、「こだま」や「ひかり」はプロ野球でいえば、かつては4番を打ったスター・プレーヤーが今では下位打線に置かれている、ピークを過ぎた引退間際の選手の感である。
なかでも「こだま」の退潮は著しい。
東京発の「こだま」は大阪以西まで行く列車はなく、それも大阪止まりと名古屋止まりが半々というのだから、もう長距離は無理と烙印を押されたかのようだ。
しかし、早朝の時間帯を見ると「こだま」が主役である。といっても、新山口発博多行き(4区間)、広島発博多行き(7区間)、岡山発広島行き(6区間)などであり、新下関発博多行きというたった2区間のもある。これでも栄光の新幹線である。
かつてホームランを打っていたバッターが、チームのためにランナーを進めるゴロの右打ちやバントをやっているようだ。
あの「ひかり」にしても、いつの間にか博多まで行くのはなくなっている。新大阪止まりと岡山止まりが半々である。そのうち「こだま」のように、大阪までしか行かなくなるのではないかと、余計な心配をしてしまう。
つまり、いつしか東京~博多間はすべて「のぞみ」に占められていて、「こだま」や「ひかり」は、脇役になっていたのだ。
九州行きの寝台夜行列車もすべてなくなってしまったし。
東京から新大阪間で新幹線が開通した後、岡山へ、さらに博多へと延びていって、「ひかりは西へ」と言っていた日の出の勢いの時代があった。今、「ひかり」は、Uターン現象を起こしているし、「こだま」は縮小、ローカル線化しているのだった。
それに、大阪以西では、新加入の「さくら」が台頭している。「さくら」は、かつて九州と東京間を走る寝台特急だった。
現在の「さくら」は、鹿児島中央行きの九州新幹線に繋ぐ新大阪発以外に、博多発がある。
九州新幹線を見れば、博多から熊本間は「つばめ」が走っている。同じ博多、熊本間は少し駅を飛ばす「さくら」もあり、「つばめ」と「さくら」の関係は、「こだま」と「ひかり」の関係に似ている。
ここで分かったことは、東海道・山陽新幹線でいえば、格差が出来あがっているということである。デノミの論理で再呼称すれば、「こだま」は、各駅停車の普通、「ひかり」が急行、「のぞみ」が特急ということになる。「さくら」は急行、「つばめ」は普通扱いか。
*
この日、東京発岡山行き「ひかり」で、進行方向左の座席に座った。つまり、太平洋の海側である。
右側が2人席で、左側が3人席なので、空いている場合は普通、まず右側の2人席の窓際に座る。右側の内陸部側には、静岡県に入ったあたりから晴れた日は雄大な富士山が見える。
あるとき、新幹線で、富士山が東京から大阪に向かう左側の座席からも見える場所があると聞いた。太平洋側である。
最初そのことを聞いたときは都市伝説のように思っていたが、本当のことらしい。それ以来、新幹線に乗ると、注意して右側を見るようにしていた。
見えるのは、富士山の手前から列車が急角度で北のほうに向かったときに、富士山が右から左に変わるのだと推測した。地図を見て、それは沼津から富士市に向かったところのあたりだと推測した。
要するに、富士山が真横か後ろに遠ざかったら、左側に見える可能性はないと思った。そう思い、富士山が見える手前の熱海あたりから待ち伏せして、そのあたりに差しかかると、いつ富士山が姿を現わすかと注意深く窓の外の先の方を見ていたのだが、いつも見えなかった。
今年の10月に博多から東京行きの新幹線の車内で、その日は曇っていて山側からも富士山は見えなかったが、通りがかりの車掌に何気なく「右側の車窓からも富士山が見えるそうですね」と訊いてみた。すると、車掌は「ええ、掛川を過ぎて安倍川あたりの、静岡の少し手前で見えますよ。あのあたりカーブになっていますから」と答えた。
僕は、そもそも見える場所を間違って推測していたのだ。
この日12月26日、雲はあるが空は晴れていた。富士山は見えるかもしれない。
特急「ひかり」の左側の窓から、熱海あたりからずっと左の景色を、つまり太平洋側を見ていたが、やはり富士山は見えなかった。
静岡に列車が近づいた頃を見計らって、車両と車両の間にあるガラスの大窓の扉のところに行って待っていた。そこに、車内販売の売り子さんがいたので、もしやこの人も知っているだろうかと思い、「富士山は右側からも見えるところがあるそうですね」と訊いてみた。すると「ええ、静岡を過ぎたらすぐのところですよ。今日は、晴れていたので朝見えましたよ」と、やはり知っていた。
「静岡を過ぎて高架橋のようなところを過ぎるところまでですから。1分ぐらいですから、あっという間に見えなくなりますよ」と、さらに親切に教えてくれた。
僕はカメラを持って、窓の外の列車の進行方向の先の方を指差し、「あっちの方にチラッと見えるんですね」と訊いたら、ベテランらしい販売員さんは、「いえ、あっちの方に見えますよ」と、窓の真横を指差した。えっと、意外だった。僕は前方にチラッと見えるので見逃す場合があると思っていたのだが、真横に見えるのだったら、晴れて見える日であれば、見逃すはずがない。
「そうですか。そして、前の方に消えていくのですね」と僕が言うと、彼女は「いいえ、後ろの方に消えていきますから」と、さらに意外なことを言った。僕は前の方に出て、前の方に消えていくと思っていたのだ。
僕はすっかり先入観にとらわれていたのだ。
富士山は後ろから現れ後ろに消えていくのだ。そうだ、静岡では富士山はすでに通り過ぎている。列車は、北の方でなく南の方にカーブする、そのときに富士山は現れるのだ。
僕は窓の外を、目を皿のようにして見つめていたはずだ。確かに、静岡を過ぎたときだった。とつぜん、富士山が横に現れた。
僕は、「あっ、見えた」と声をあげた。思ったよりも大きく、もったいなげに物陰からチラとではなく、はっきりと姿を見せていた。
売り子さんが「見えましたか」と気にかけてくれた。僕は、「ええ、はっきりと」と、おそらく嬉しそうな声で答えた。
初めて、新幹線の太平洋側に現れた富士山を見たのだった。
デジカメのシャッターを3回押したが、標準で撮ったのであまりにも小さく、判明するのは難しいだろう。(写真)
走る列車の上に通っているのは東名高速道路だろう。左の青い屋根の先の白い2本の高圧線の間の、白い三角形の雲のような形が富士山なのだが。
次の機会は、ズームで拡大して撮らないと。
確かに、太平洋側に富士山は現れたのだった。
新大阪で、15時22分発鹿児島中央行きの「さくら」に乗り換える。
新しい「さくら」は初めての乗車だ。「昔の名前で出ています」とも言える「さくら」は、昔の寝台特急時代とは違って、鼻の長いアリクイのような流線型N700系の、すっかり時代の先端の容貌をしていた。
博多18時06分着。
今回は寄り道をせずにまっすぐ博多に行くのだけれど、新幹線の特急「のぞみ」ではなく、東京発13時03分発岡山行きの「ひかり」に乗った。
東海道・山陽新幹線の時刻表をよくよく見ると、新幹線が登場した頃脚光を浴びた「こだま」や「ひかり」はいつの間にかめっきり本数が減っていて、すっかり影が薄くなっていた。ダイヤの主流は「のぞみ」で、「こだま」や「ひかり」はプロ野球でいえば、かつては4番を打ったスター・プレーヤーが今では下位打線に置かれている、ピークを過ぎた引退間際の選手の感である。
なかでも「こだま」の退潮は著しい。
東京発の「こだま」は大阪以西まで行く列車はなく、それも大阪止まりと名古屋止まりが半々というのだから、もう長距離は無理と烙印を押されたかのようだ。
しかし、早朝の時間帯を見ると「こだま」が主役である。といっても、新山口発博多行き(4区間)、広島発博多行き(7区間)、岡山発広島行き(6区間)などであり、新下関発博多行きというたった2区間のもある。これでも栄光の新幹線である。
かつてホームランを打っていたバッターが、チームのためにランナーを進めるゴロの右打ちやバントをやっているようだ。
あの「ひかり」にしても、いつの間にか博多まで行くのはなくなっている。新大阪止まりと岡山止まりが半々である。そのうち「こだま」のように、大阪までしか行かなくなるのではないかと、余計な心配をしてしまう。
つまり、いつしか東京~博多間はすべて「のぞみ」に占められていて、「こだま」や「ひかり」は、脇役になっていたのだ。
九州行きの寝台夜行列車もすべてなくなってしまったし。
東京から新大阪間で新幹線が開通した後、岡山へ、さらに博多へと延びていって、「ひかりは西へ」と言っていた日の出の勢いの時代があった。今、「ひかり」は、Uターン現象を起こしているし、「こだま」は縮小、ローカル線化しているのだった。
それに、大阪以西では、新加入の「さくら」が台頭している。「さくら」は、かつて九州と東京間を走る寝台特急だった。
現在の「さくら」は、鹿児島中央行きの九州新幹線に繋ぐ新大阪発以外に、博多発がある。
九州新幹線を見れば、博多から熊本間は「つばめ」が走っている。同じ博多、熊本間は少し駅を飛ばす「さくら」もあり、「つばめ」と「さくら」の関係は、「こだま」と「ひかり」の関係に似ている。
ここで分かったことは、東海道・山陽新幹線でいえば、格差が出来あがっているということである。デノミの論理で再呼称すれば、「こだま」は、各駅停車の普通、「ひかり」が急行、「のぞみ」が特急ということになる。「さくら」は急行、「つばめ」は普通扱いか。
*
この日、東京発岡山行き「ひかり」で、進行方向左の座席に座った。つまり、太平洋の海側である。
右側が2人席で、左側が3人席なので、空いている場合は普通、まず右側の2人席の窓際に座る。右側の内陸部側には、静岡県に入ったあたりから晴れた日は雄大な富士山が見える。
あるとき、新幹線で、富士山が東京から大阪に向かう左側の座席からも見える場所があると聞いた。太平洋側である。
最初そのことを聞いたときは都市伝説のように思っていたが、本当のことらしい。それ以来、新幹線に乗ると、注意して右側を見るようにしていた。
見えるのは、富士山の手前から列車が急角度で北のほうに向かったときに、富士山が右から左に変わるのだと推測した。地図を見て、それは沼津から富士市に向かったところのあたりだと推測した。
要するに、富士山が真横か後ろに遠ざかったら、左側に見える可能性はないと思った。そう思い、富士山が見える手前の熱海あたりから待ち伏せして、そのあたりに差しかかると、いつ富士山が姿を現わすかと注意深く窓の外の先の方を見ていたのだが、いつも見えなかった。
今年の10月に博多から東京行きの新幹線の車内で、その日は曇っていて山側からも富士山は見えなかったが、通りがかりの車掌に何気なく「右側の車窓からも富士山が見えるそうですね」と訊いてみた。すると、車掌は「ええ、掛川を過ぎて安倍川あたりの、静岡の少し手前で見えますよ。あのあたりカーブになっていますから」と答えた。
僕は、そもそも見える場所を間違って推測していたのだ。
この日12月26日、雲はあるが空は晴れていた。富士山は見えるかもしれない。
特急「ひかり」の左側の窓から、熱海あたりからずっと左の景色を、つまり太平洋側を見ていたが、やはり富士山は見えなかった。
静岡に列車が近づいた頃を見計らって、車両と車両の間にあるガラスの大窓の扉のところに行って待っていた。そこに、車内販売の売り子さんがいたので、もしやこの人も知っているだろうかと思い、「富士山は右側からも見えるところがあるそうですね」と訊いてみた。すると「ええ、静岡を過ぎたらすぐのところですよ。今日は、晴れていたので朝見えましたよ」と、やはり知っていた。
「静岡を過ぎて高架橋のようなところを過ぎるところまでですから。1分ぐらいですから、あっという間に見えなくなりますよ」と、さらに親切に教えてくれた。
僕はカメラを持って、窓の外の列車の進行方向の先の方を指差し、「あっちの方にチラッと見えるんですね」と訊いたら、ベテランらしい販売員さんは、「いえ、あっちの方に見えますよ」と、窓の真横を指差した。えっと、意外だった。僕は前方にチラッと見えるので見逃す場合があると思っていたのだが、真横に見えるのだったら、晴れて見える日であれば、見逃すはずがない。
「そうですか。そして、前の方に消えていくのですね」と僕が言うと、彼女は「いいえ、後ろの方に消えていきますから」と、さらに意外なことを言った。僕は前の方に出て、前の方に消えていくと思っていたのだ。
僕はすっかり先入観にとらわれていたのだ。
富士山は後ろから現れ後ろに消えていくのだ。そうだ、静岡では富士山はすでに通り過ぎている。列車は、北の方でなく南の方にカーブする、そのときに富士山は現れるのだ。
僕は窓の外を、目を皿のようにして見つめていたはずだ。確かに、静岡を過ぎたときだった。とつぜん、富士山が横に現れた。
僕は、「あっ、見えた」と声をあげた。思ったよりも大きく、もったいなげに物陰からチラとではなく、はっきりと姿を見せていた。
売り子さんが「見えましたか」と気にかけてくれた。僕は、「ええ、はっきりと」と、おそらく嬉しそうな声で答えた。
初めて、新幹線の太平洋側に現れた富士山を見たのだった。
デジカメのシャッターを3回押したが、標準で撮ったのであまりにも小さく、判明するのは難しいだろう。(写真)
走る列車の上に通っているのは東名高速道路だろう。左の青い屋根の先の白い2本の高圧線の間の、白い三角形の雲のような形が富士山なのだが。
次の機会は、ズームで拡大して撮らないと。
確かに、太平洋側に富士山は現れたのだった。
新大阪で、15時22分発鹿児島中央行きの「さくら」に乗り換える。
新しい「さくら」は初めての乗車だ。「昔の名前で出ています」とも言える「さくら」は、昔の寝台特急時代とは違って、鼻の長いアリクイのような流線型N700系の、すっかり時代の先端の容貌をしていた。
博多18時06分着。