かりそめの旅

うるわしき 春をとどめるすべもなし 思えばかりそめの 旅と知るらむ――雲は流れ、季節は変わる。旅は過ぎゆく人生の一こま。

□ 1Q84 book3

2010-08-25 02:03:50 | 本/小説:日本
 家の窓からは、庭木の先に緑の小高い山が見える。いつも変わらない風景だ。山はなだらかな稜線を持った穏やかな表情なのだが、それに似つかわしくない「鬼ガ鼻」といういかつい名を持っている。
 その日も、山の背景である青い空には、雲が幾重にも立ち込めていた。雲は流れに任せて、少しずつ形を変えていたが、それらは人間の営みとは関わりを持たない、きわめて抽象的な考察のように思えた。
 今年の佐賀の夏は、きわめてという形容詞を当てはめるのに何の躊躇いも誇張もないほど暑く、報道によるとその暑さは佐賀に限ったことではなく、この国全体を被っているようであった。暑さは、まるで誰かが積年の恨みを晴らすために、どこか人知れない深い森の中にある岩穴で、時間を忘れて一心に呪いに耽っているかのように、執拗に続いた。いや、今もまだ続いている。
 家のエアコンは冷房のスイッチを入れてもいつまでたっても涼しくならないばかりか、時間がたてば逆に温風になるので、とっくに稼働させるのを諦めて、1台の扇風機に涼を任せていた。しかし、扇風機がいくら休みなく羽を回し続けたとて、この暑さを凌ぐというには荷が重すぎ、満足点を与えるには遠く及ばない状態なのは自明のことであった。
 僕は、インド旅行のとき、40度以上を経験した時のことを思い浮かべた。あの時は、熱帯のインドだから暑いのは仕方がないと思い直すことができたが、ここは温帯の日本だ。最近の暑さに、日本はもう亜熱帯気候だと言う人もいるが。
 それに、熱帯特有のいきなりの土砂降りの雨も最近は多く起こっている。スコールと呼ぶには粘着的すぎる性質を持っているので、熱帯の開放感はない。しかも、湿度が高いので、温度計の数字以上に身体に負荷をかけるようだ。
 この暑さはすぐには終わりそうもないので、新しくエアコンを買うべきなのだろう。
 
 この日も風はなかったが、それまで沈黙を保っていた軒下の風鈴(ふうりん)が、まるで物語の始まりを告げるかのように、とつぜん鳴り始めた。
 その有田焼でできた風鈴は、それまでのチリンチリンという奥ゆかしい音とは違って、譜面に意図的に不協和音を付け加えたかのような、どこかで間違った音色を混ぜ合わせたとも思える、濁点が入ったガチャガチャという音に聞こえた。
 昨晩、寝ようとしたとき、庭でガチャガチャと鳴ったクツワムシの鳴き声に共通するものがあった。そのクツワムシは、眠るのを妨げるというよりは、エーエチケーの集金人が居留守を装うアパートのドアを叩くように、執拗に鳴き続けたのだった。
 クツワムシというのは、キリギリスに擬態をしたのか、地面の土の保護色を狙ったのか、馬のような土色で、まさに馬の轡(口輪くつわ)をぶつけるように煩いのだった。

 *

 ガチャガチャとせわしなく音をたてる風鈴を耳にしながら、扇風機を前に寝そべって、読みかけの村上春樹の「1Q84」のbook3の本を開いた。1、2巻発売より期日がたったが、このb3も発売されるやすぐにベストセラーとなった本だ。
 スポーツ・クラブのインストラクターで暗殺者の青豆と、塾の講師をしながらベストセラーになった、フカエリこと深田絵里子の「空気さなぎ」のゴーストライターである川奈天吾の物語であった。
 彼らは、どうしたことか月が2つ出ている世界に紛れ込んでいるのだった。
 b3には、ある宗教組織のリーダーを暗殺した青豆を、組織から依頼されて追いかける牛河という男が登場してくるのだった。この不細工で偏執な中年男の行動にかなりのページ数をかけていた。
 村上は、人物の描写が実に上手い。それも彼独特のメタファー表現で、ディテールを生きいきと浮き上がらせることによって、人物の実像(創造のだが)をあぶりだしていく。それも、特に醜い人物像を描くときに彼らしさが遺憾なく発揮される。
 「牛河の外見は、かなり人目を惹く。人混みの中に姿を紛れ込まそうとしても、ヨーグルトの中の大むかでみたいに目立ってしまう。
 彼の一家は誰もが羨む優秀な写真映りの良い一家だ。しかし、そこに牛河が加わると、人々はいくぶん眉をひそめ、首をひねることになった。ひょっとしてこの一家は、美の女神の足元をすくうようなトリックスター的な風味がどこかで混入しているのではあるまいかと人々は考えた。あるいは、考えるにちがいないと両親は考えた」
 牛河が調査で会いに行った、小学校の女教師の描写はこうだ。
 「いつ作られたのか見当もつかないが、いずれにせよそれが作られたときから既に流行遅れだったのではないかとおぼしきウールのスーツには、防腐剤の匂いが微かに漂っていた。色はピンクだがどこかで間違った色を混ぜ込まれたような、不思議なピンクだった。おそらくは品の良い落ち着いた色調が求められていたのだろうが、意図が果たせぬままそのピンクは気後れと韜晦(とうかい)とあきらめの中に重く沈み込んでいた。おかげで襟元からのぞいている真新しい白いブラウスは、まるで通夜に紛れ込んだ不謹慎な客のように見えた」
 彼、つまり牛河の調書により、青豆が雅美という名であること、麻布の不思議な老婦人が緒方という苗字だったのを読者も知るのだった。
 1、2巻では書く必要のないものであったが、b3で書く必要がでてきたのだ。

 1Q84年の物語は、横道に逸れたかのように見えながらも大筋では終結に向かい、誰もが思った終点にたどり着くのであった。
 村上作品は、横道に逸れたかのように見えるのは路地であり、その細い道が次々に現れるが、何本もの路地は、大きな幹線道路にいつしか集結するのである。その幹線道路も、蛇行する川のようにうねっている。
 しかし、この本で村上は大きく、ある領域を飛び越えたような気がする。
 「1Q84」のQは、僕にとってはまさしく、Questionの「Q」である。

 *

 先日の朝日新聞に、「北京の書店から」と題して、この「1Q84」が、中国で話題になっているという記事が出ていた。
 中国でも、日本と同じようにベストセラーで、ダントツの人気なのである。
 今年7月10日付「新京報」によるベストセラー・ランキング(北京の主要書店およびネット書店より集計)が出ていた。
 6月末に「1Q84―b2」が発売されるやたちまち総合ランキングの1位に、7位に「1Q84―b1」が再びランクインされていた。
 そして、話題というのは今まで村上作品を翻訳してきた林少華から、「1Q84」では、違う翻訳者に代わったということによる論争である。訳者は、公募で決まった「走ることについて語るときに僕のできること」の訳者である。
 翻訳者によって文体が違うのはよくあるが、中国語は漢字なので、どう違うのか興味深いところである。村上本に関しては、中国の簡体字版と別に、台湾の繁体字版もある。解説によると、今までの林訳は四字熟語や成語を多用した美文調に対し、新しい施訳はすっきりとして読みやすいという特徴があるらしい。
 そして、現在b3が翻訳中で、年内には刊行の見通しで、中国の人々はそれを待ち焦がれているという。

 最初、「1Q84」のページをめくり、読み始めてすぐに印象に残ったのは主人公の「青豆」という変わった名前だった。
 多くの海外版が出ている村上本であるから、この青豆をどう翻訳するのだろうと考えたのだった。中村とか坂本といった普通の名前だったら、そんなことは考えなかっただろう。青豆とは、名前という記号であると同時に、村上が描いたイメージでもあろう。
 中国では文字は漢字なので、そのまま青豆でいい。日本では変わった名前、苗字だが、中国ではどうなのだろう。このような中国名は聞いたことがない。苗字は多くが1字だ。名前では、普通は香蘭だとか秀麗といった美しさをイメージした名前が多い。
 しかし、張芸謀(チャン・イーモウ)監督の初期の中国映画に、女の子の名前の「菊豆」(チュイトウ)というのがあるから、可愛い名前になるかもしれない。
 英語版ではどうだろう。
 「Aomame」は、「Blue bean」、「Green peas」と意味を訳するのだろうか、と考えた。

 男の主人公の名前は「天吾」である。こちらは、いかにも大らかで純朴なイメージが浮かぶ。
 それに比べて青豆を追い続ける醜男の名前(苗字)は「牛河」である。う~ん、この男の名が春宮だとか鷹司だったら、ずいぶんイメージが変わっただろう。村上自身、キャラクターを変えただろう。牛河は、誰からも好意的には見られず、スポーツはできないが、忍耐強く物事に執着するのを得意としているのだった。
 中国人は、つまり漢字文化圏の人は、これらの本来は記号であるべき名前に対して、日本人と同じく、含有する付加的イメージを共有できているのだろう。それが、他の外国語の翻訳よりも原語である日本語に近い感覚で理解され、人気の一つの要素になっているのかもしれない。

 *

 中国での村上春樹の「1Q84」人気はさておき、僕が興味をひいたのは、中国ベストセラー(総合部門)の6位に入っている本である。
 「中国自助游」(2010年版)である。
 「自助游」とは、団体旅行ではない自由な個人旅行のことである。
 この本は、大都市から小さな町まで「泊まる」、「食べる」、「遊ぶ」情報を網羅し、ツアーでなく、自分だけの旅の楽しみを提案するガイドブックとある。
 中国人も、個人の、自由な旅をする時代に入っているのだ。
 中国は広い。この本は、中国版「地球の歩き方」かもしれない。2002年から毎年更新されているという。
 国内を自由に旅する人間が、いつまでも自国内の旅に留まることはない。いつか海の彼方を目指す。
 これから日本でも、リュックを背負った中国人のひとり旅が見うけられる時代がやってくるだろう。

 <追伸>
 「1Q84」の1、2に関しては、2月14日のブログを参照ください。
http://blog.goo.ne.jp/ocadeau3/e/cae8da61bd1f4b48c8d4f124129b0717

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唐津の七ツ釜

2010-08-19 15:12:38 | ゆきずりの*旅
 盆も過ぎたので、どこかへ行こうと友人がやって来た。
 とりあえず、唐津へ行こうということになる。
 佐賀県の場合、どこかへ行こうとなると、唐津・呼子あたりになってしまう。いわゆる玄界灘の海辺の方だ。この辺りに行くと、海の景色も変化に富んでいて、見るものもあり、魚介類の食べ物も美味い。何度行っても、飽きることがない。
 北へ向かって、多久、厳木(きゅうらぎ)、相知を通って唐津に入る。
唐津市街からさらに北へ車を走らせていると、「七ツ釜」の標示が目に入り、急遽そこへ方向を変える。
 七ツ釜とは、玄界灘に面した断崖が海の浸食によってできた並んだ岩穴を言う。釜のような穴が七つ(それ以上あるという)あるのだろう。周りには、玄武岩が柱を並べたような柱状節理があり、いっそう奇観を呈している。
 小学生のとき、海浜学校で初めて唐津の海へ行ったときに見た七ツ釜は、おどろおどろしく横溝正史の獄門島のようであった。
 七ツ釜の上から眺めていると、呼子の町からやって来た遊覧船が七ツ釜の湾内に入ってきた。船の後ろの両サイドには、何やらにょきにょきとした何本かの丸太が波を掻いているようなデザインだ。船体に、「IKAMARU」とある。呼子名産のイカを形どった船なのだ。
 船は、別に「ジーラ」という名のものがある。こちらは、鯨を形どった船だ。かつて江戸時代には、この地では鯨漁も行われていた。
 「IKAMARU」は、しばらく湾内に泊まったあと、穴のあるほうへ動き出し、一つの穴へすっと頭を入れた。(写真)
 穴は奥行き100メートルもあるという。

 七ツ釜の展望台の近くの1軒の食堂の窓に、メニューが手書きで書いてある。イカの生き造り、と真っ先に大書きされている。やはり、この辺りに来たからにはイカの生き造りに限ると、店に入るや、さっそく注文した。
 すると、店の主は申し訳なさそうに、今日はイカがないんですと言う。盆で市場に入らなかったと言う。漁師も盆休みだったのか。やはり、呼子まで行かないとないのか。残念だが、壁に貼ってあるメニューを見ていると、イカの横に、アラカブの唐揚げ、アラカブの味噌汁定食とある。
 アラカブとは大根のことかと頭をひねったら、釣りの趣味もある友人がカサゴだと教えてくれた。カサゴは岩礁などに生息している見た目は悪いが、美味い魚だと言う。僕らはアラカブの唐揚げ定食を頼んだ。
 アラカブは頭からかぶりつくんだと友人は言う。アラカブは、骨も味わうものなのだ。頭から骨ごと齧ったが、それでも骨は残る。付いていたアラカブの味噌汁が美味い。

 七ツ釜を後にし、呼子の町を通って、呼子沖の加部(かべ)島へ渡った。この島へはもう大分前から橋が架かっていて、呼子と地続きの感覚だ。
 加部島には、美しい田島神社がある。2008年の正月、初詣を兼ねて初めてこの神社に来たとき、海に向かって鳥居が立っているのを見て、僕は感動したのだった。
 それに、境内には佐用姫(さよひめ)伝説の佐用姫を祀った神社もある。
 田島神社の海を眺める神社から海の方を見つめていると、対岸の岸壁で少年たちがたむろしている。みんなパンツ1枚だ。やがて、1人が海に飛び込んだ。そして、1人、また1人と宙返りをしながら飛び込んだ。少年たちは、きれいな曲線を描いて海に落ちていった。
 うだるような暑さの中、羨ましい。

 僕らは、はじけるような少年たちの水しぶきを見ていた。僕らも、海に入りたくなった。僕は一瞬自分の少年時代を思い浮かべながら、夏の風景を眺めていた。
 この日も、猛暑だ。
 シャツは汗で濡れている。
 海は青く、空も抜けるように青い。白い雲が今日もゆったりと漂っている。

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「西行花伝」と母の行方 ⑤

2010-08-16 18:54:18 | 気まぐれな日々
 夏は盛りである。青い空に、雲が浮かび、流れる。
 いつもの空なのに、何一つ同じ空はない。同じ雲はない。
 遠くで蝉が鳴く。

 そして、盆が終わった。
 盆とは、陰暦の7月15日を中心に行われる、死者を送る行事、祭事である。
 盆は、もともと物を載せる平たい器であるから、供え物を出すことから発した行事であろう。
 人が死んで七七日(なななのか)の「四十九日」を経た、最初の盆を初盆と言う。佐賀のこの地域では「はつぼん」と言うが、新盆(しんぼん、にいぼん、あらぼん)と呼ぶ地域もあるようだ。

 8月14日は、町の盆踊りが行われた。
 町は、地方の町の多くがそうであるように、過疎化とともに町のイベントも町興しも衰退し、街中(まちなか)の商店街もシャッター街化したが、盆踊りの行事だけは続いている。
 街中を歩けば、子供や若い人の顔を見ることも滅多にないのに、この夜ばかりはまだこの町にもこんなに老若男女、色とりどりの人がいたのだと思わせる賑わいだ。
 露店の焼きそばやかき氷売りに加えて、金魚掬いや射的が、グランドで行われたにもかかわらず縁日の面影を残している。その祭りを楽しむ明るくにこやかな顔々が、どこか少し恥じらいを浮かべているようだ。この日のための浴衣姿が、そう感じさせるのだろうか。
 日ごろは静かで黄昏の日差しばかりが漂う街なので、この夜のコントラストがかえって哀愁を帯びているように見えてしまう。

 都市の街やニュータウンでも盆祭りが行われているが、歴史がない分、軽やかだ。踊りも、有名な地域盆踊りのオンパレードだ。
 初めて上京した頃、高円寺の商店街で阿波踊りをやっているのを見て、東京の街で阿波踊りとはオリジナリティがないなあ、そんなに盛り上がらないだろうと思っていた。
 それが、今では高円寺阿波踊りに他の町からも参加・見物に来るほどの名物行事になったというから、継続は力なり、である。
 それに競争意識を発揮してか、隣りの阿佐ヶ谷では七夕祭りを定着させた。都市でも、せめて盆・正月でもと、地方色を求めているのだ。

 8月15日には、精霊流しが行われた。
 いつの頃からか、佐賀平野をゆるやかに蛇行する六角川のほとりで行われている。
 今年は、川の引き加減から、昼下がりから行われた。まだ、日は暮れていないが、順次供え物を載せたきらびやかな「西方丸」の舟が流された。川を流れて、西方浄土を目指すのである。(写真)
 夜ともなると、川に浮かんだ舟の明かりが幽玄の世界を作るのだが。

 この春の盛りに逝った、母の初盆も終わった。
 この盆(初盆)の終わりとともに、母はまたあの世に帰っていくという。
 盆踊りの賑やかさは、なき人への送別の踊り、お供えなのである。

 この春は 君に別れの 惜しきかな 花のゆくえを 思ひ忘れて
                                    西行

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◇ 勝手にしやがれ

2010-08-05 03:27:58 | 映画:フランス映画
 フランソワ・トリュフォー原案 クロード・シャブロル監修 ラウル・クタール撮影 ジャン・リュック・ゴダール脚本・監督 ジャン・ポール・ベルモンド、ジーン・セバーグ、ダニエル・ブーランジェ 1959年仏


 人は、自分の人生を小説や映画に照らし合わせる。若いときは、なおさらだ。
 僕は、いつも小説や映画を自分に映しだそうとしていた。つまり、それらに無用心に影響を受け続けてきたということだ。きっとそれらは、各々細切れとなって、僕の体内の血管に入り込んでいるだろう。

 ジャン・リュック・ゴダールは、映画「気狂いピエロ」(1965年)で、フェルディナン(ジャン・ポール・ベルモンド)とマリアンヌ(アンナ・カリーナ)に、車の中でこう言わせている。
 「人生と小説は、しょせん別物さ。同じであってほしいとは思うよ……が、そうじゃないんだ」
 「いいえ、人生と小説は同じだわ。みんなが思っているよりずっと」
 ゴダールは、このように、いつも僕らを取り巻く拮抗や対立を、映像の中に機関銃のように乱射してきた。僕たちが悩みながらも見送ってきた「男と女」、「恋と戯れ」、「行動と思考」、「現在と過去」、「夢と破滅」エトセトラ、エトセトラ。
 彼は、自分の人生を自分の映画のように生きようとしてきたに違いない。

 「勝手にしやがれ」は、それまで、「いとこ同士」(1959年)のクロード・シャブロルや、「大人は判ってくれない」(1959年)のフランソワ・トリュフォーなどの「カイエ・デュ・シネマ」系の批評家から出てきた揺籃期のヌーヴェルバーグに、決定打を放った記念すべき映画である。
 このときから、新たな波(NOUVELLE VAGUE)は、全世界を席巻した。
 この映画は、ヌーヴェルバーグの旗手としてのゴダールの初めての長編映画であるだけでなく、それまで目立った俳優ではなかった主演のベルモンドを、アラン・ドロンと比肩させるほどのスターに押し出した映画でもある。

 映画や小説は、観たり読んだりしたそのときの年齢で、受ける印象が違うものだ。この「勝手にしやがれ」も、今度観たときは、若いときとは違ったところに目がいく。何気ない台詞にも気が向く。

 マルセイユに現れた一人の男ミッシェルは、車を盗んで、付きあい始めたばかりの若い女パトリシアのいるパリに車を走らせる。
 途中、白バイに追いかけられ、はずみでその警官を殺してしまい、警察に追われる身となる。
 太陽の下の港が映しだされると、南仏のマルセイユと分かるし、車が川の向こうの大きな寺院を映しだすと、エッフェル塔を映しださなくとも、セーヌ・シテ島のノートルダム寺院なので、パリに着いたのだと分かる。
 シャンゼリゼ通りで新聞を売っていたのは、ミッシェルがぞっこんのパトリシアだ。新聞は、ニューヨーク・ヘラルド・トレビューン。パトリシアはアメリカ人で、パリに留学しているジャーナリスト(あるいは作家)志望の女の子なのだ。
 2人は南仏で知りあって、既に何回かベッドを共にいている。しかし、まだ恋人と言える間柄ではなく、曖昧な関係なのだ。

 ミッシェルは、パトリシアのアパートに忍び込み、ベッドに潜り込む。
 ミッシェルはパトリシアに手を延ばし愛を語り、パトリシアはまだ自分の心は分からないとかわすのだった。
 「君なしではいられない」
 「いられるわ」
 「いたくない」
 ベルモンドの贅肉のない引き締まった体とストレートな感情表現が、彼を憎めないと同時に悪い予感を感じさせる。
 パトリシアであるジーン・セバーグの、少年のような短い髪がとても彼女に似合っている。うなじの少し内にカールした細く光る髪が、ボーイッシュなのにセクシーだ。セシルカットと言ったっけ。
 この時、ジーン・セバーグも、「悲しみよこんにちは」(1957年)でデビューしたての若手スターだった。
 「私が何かに恐れていると言ったわね」
 「それは本当よ」
 「あなたに愛してほしい」
 「それと同時に、もう愛してほしくないの」
 「縛られたくなくて」

 このベッドの会話で、最初若いとき観たときから印象に残っていた場面がある。
 ミッシェルがパトリシアに「ニューヨークでは、何人の男と寝た?」と訊く。
 パトリシアは、少し考えて、片方の指を広げ、もう片方の指を2本立てる。つまり、7人ということだ。
 「あなたは?」と問われたミッシェルは、寝そべったまま、握った片方の手を広げて、また閉じて広げてを繰り返したのだった。そして、「多くはないな」と呟く。(場面写真/「フランス映画の歴史3」)

 ミッシェルはことあるごとにパトリシアに言う。
 「もうすぐ金が入る。そしたら一緒にイタリアへ行こう。ミラノ、ジェノバ、ローマ…」
 パトリシアは、「ウイ」と返事をしない。まだ曖昧だ。
 いや、いつまでも曖昧だ。
 「あなたと寝たのは、本当に愛しているか確かめたかったの」

 そして、パトリシアは、自分がミッシェルを愛していないということを確かめるために、ミッシェルの居場所を警察に密告してしまう。
 ミッシェルに密告したことを告げて、「早くここから逃げて。10分もすると警官が来るわ」と言うパトリシア。
 ミッシェルは怒りながらも、それでも慌てて逃げようとしない。
 「もう終りだ。刑務所も悪くない」
 金を持ってきたミッシェルの仲間も、警官を見つけて、早く逃げろと忠告する。
 「しゃくだが、あの娘が頭から離れない」と言い残して、ミッシェルは金の詰まった鞄を持って走り出す。その背中に、警官がピストルを向ける。

 *

 「勝手にしやがれ」は、この映画のあと、セックスピストルズや沢田研二の歌(作詞:阿久悠)のタイトルに使われてきた。
 セックスピストルズの原題は「Never mind the bollocks」。bollocksは、睾丸のほかに、くだらない、バカなという卑俗語だから、あながち勝手な意訳とも言えないだろう。
 しかし、この映画の原題は「A BOUT DE SOUFFLE」で、意味は息の限界、つまり息切れ、である。
 「勝手にしやがれ」は、映画の全体の印象から付けた題名であろうが、日本独自のものである。若いときは、原題を調べて、日本映画界も勝手な題をつけるなあと思った。
 映画の最後で、ミッシェルは追ってきた警官にピストルで撃たれ、パリの街をよろめきながら逃げ歩き、やがて倒れる。最後は、あらゆる意味で息切れるので、原題は合っている。
 
 しかし、ずっと以前から、「勝手にしやがれ」という言葉が気になっていた。
 実際、この映画で使われているのだろうか、そして、最後の息切れる前のミッシェルの台詞「最低」が、「勝手にしやがれ」の意味あいを持っているのだろうかと。

 冒頭のシーン。
 マルセイユで車を盗んで、愛する女の子がいるパリへ向かうミッシェルは、田舎道を車を走らせながら、「田舎はいいね」と言いながら、ご機嫌だ。
 「Si vous n'aimez pas la mer..., si vous n'aimez pas la montagne..., si vous n'aimez pas la ville..., allez vous faire foutre!」
 日本語字幕では、「海が嫌いなら 山が嫌いなら 都会が嫌いなら 勝手にしやがれ!」
 「allez vous faire foutre!」が、「勝手にしやがれ」として出てくるのだ。
 「foutre」を辞書で引くと、卑俗語で「ひでぇ、こんちくしょう」など、驚き、感嘆、怒り、強調を表現する言葉とある。意味からして、勝手にしやがれである。
 しかし、この「allez vous faire foutre!」がタイトルではない。映画担当者(題名決定権を持つ者)が、この和訳を見て、「勝手にしやがれ」という言い回しが気に入ったのかもしれない。

 最後のシーン。
 ピストルで撃たれ、倒れたミシェルがパトリシアと警官に向かって、呟く
 「…vraiment degueulasse!」(まったく最低だ)
 パトリシアは警官に「何て言ったの?」と訊く。
 警官は言う。
 「彼は、あなたが本当にune degueulasse(最低)だと言った」
 パトリシアは言う。
 「Qu'est-ce que c'est degueulasse?」(degueulasse(最低)って何のこと)
 この言葉で、映画は終わる。
 「degueulasse」は、辞書によると、汚いやつ、下司の意味だ。
 つまり、「最低」。
 
 最低とは、誰のことか?
 本当に、パトリシアのことを言ったのか?
 あるいは、ミッシェルは自分のことを言ったのではなかろうか?
 こんな結末に終わったことに対して。
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