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記念日に信仰の飛躍的変化を記す(転載)

2009-09-04 21:51:24 | モルモン教関連
2012年4月ある会員限定のサイトで、信仰の脱皮を経験した末日聖徒が貴重な手記を投稿しているのを目にした。非常に参考になる視点とよい表現に富んでいたので、本人に許可を得てここに匿名で転載させてもらうことにした。感謝いたします。(一部内容と文言を編集させていただいていることをお断りします。)

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今日は私が末日聖徒イエス・キリスト教会に改宗した記念日である。ほぼ四半世紀前私はバプテスマを受けた。教義と聖約をすでにかじっていて、その日が結び固めの鍵が回復された日と知って、その頃から幸せな家族を築くこと、家族を強めるよう仕事に就きたいと思っていたことから、選んだ日だった。

約25年間、信仰の旅路もいろいろあった。しかし何があっても、教会を辞めようと思ったことはなかったと思う。試練や、人の心ない行動などによって、苦しめられることがあった。ただ、それらは信仰の糧になっても、仇にはならなかった。結局のところ、真理は何があっても、なかろうと変わることはないのだからと確信していた。だけど、去年はその信仰生活の中で一番大きなことが起こった年と思っていいだろう。

自分の信条システムが崩壊し、解体、脱構築、再構築していったその経験について深く考えてみた。そのことによって起きた良いことも多かった。より偏見がなくなり、心が広くなった。より偉大な広い視野に気がつくようになった。より寛容になり、理解が広がった。より鋭い真理を知るようになって、それによって自由になれた。だけど、やはり、否定的側面もあった。もうマジカルな世界で持てる絶対的な自信を喪失した。幼子が経験するような喜びに満ちた確信と素直でシンプルな態度で指導者を見ることができなくなった。そして、永遠の将来に関する完全な光り輝く希望はない。ある時、妻が教会である姉妹が話した言葉を批判した。その人は、「我々には満ち満ちる喜びがある。世の中の人にはそれがない。」そのような意見に対して妻は世の中の人にだって、喜びはあるし、そのような上から目線は良くないかも、と。その時は私も同意したが、確かに今の私は、その満ち満ちる喜びの輪から出てしまったのかもしれない。しかし、母親の体内で、暖かく平安に、栄養を満たしてもらえた胎児が、一度生まれてしまったら戻れないように、その輪にはもう戻れないと思う。クリスマス、サンタクロース、観覧車、メリーゴーランド、子供達は、無邪気に喜んでそのようなものに夢中になれる。大人になれば、そのようなものから距離を置いて、監督的な視点でそれらを見つめることになる。大人なのだからしょうがないか。でも子供の頃には経験できなかった、大人の喜びもあるはず。ビールとかではなくてね。それと、監督的な視点。見えているからこそ、できることがある。無邪気にマジカルな世界で喜びを経験している人たちは、守ってあげたい。またそこからはみ出してしまった人に対するケアも大切。そして、まだまだ時には、観覧車、メリーゴーランドで一緒に楽しむことができるだろう。

もう25年くらいはあるだろう、この人生、この先どうなるかわからないが、とりあえず、喜びを最大限に感じ、身の回りの人へのケアもして、忍耐力、謙遜、感謝、愛を実践して、自分なりの信仰生活を歩んでいきたい。(2012/04/03 本人記す)

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