釋守成の転居物語(旧タイトル・GONTAの東京散歩)

またまた転居を目論んでいます。
5年間で5回の転居。
6回目の転居の経緯を書いていきます。

新笄

2013年01月17日 12時37分04秒 | 西麻布の話題
西麻布二丁目の外苑西通りと立山墓地の間に古い民家がぎっしりと並んでる場所があります。
正確に言うとあったといったほうがいいのかもしれません。
つい最近、大半が取り壊されて、マンション工事が始まっています。

子供の頃、この辺りのことを「しんこうがい」と呼んでいました。
これは昔のこのあたりの町会の名前で漢字では「新笄」と書きます。
今は「西麻布二丁目東町会」と名前が変わってしまっています。

もともとは、「上笄町会」の一部だったそうですが、戦後、いろいろな経緯で別れたようです。
その時に、神輿は「新笄町会」が引き取ったそうで、「上笄町会」には子供神輿しか残っていません。(これは、都市伝説かもしれません。)

太平洋戦争の時、今の西麻布二丁目の大半は、昭和二十年三月十日の空襲で焼失してしまいました。
しかし、この「新笄」の区域は数度の空襲にも、墓地にはさまれた地形が幸いして、被害をまぬがれました。
ですから古い佇まいの民家がたくさん残っていたのです。
ポンプ式の井戸や物干しのある風景は昭和を思い出すものでした。
(画像の井戸も今は上部が取られています。)

近年は地上げが進み、住宅もまばらになって、空き地には雑草が生い茂って、郷愁を誘っていました。
書籍やネットでも、西麻布のラビリンスと何度も紹介されて、見物に来る人もいたほどです。

この街の中に、二軒の駄菓子屋がありました。
夕方近くなるとたくさんの子供が路地を行き交い、まさに昭和三十年代を過ごしていたのです。
ソース煎餅やハッカのタバコ型の菓子、いろいろなくじ引きをして楽しんだ場所です。

ここには新しく森ビルの低層マンションが建つそうです。
昭和の香りがする西麻布の風景がまた消えていくのは寂しい限りです。






コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする