釋守成の転居物語(旧タイトル・GONTAの東京散歩)

またまた転居を目論んでいます。
5年間で5回の転居。
6回目の転居の経緯を書いていきます。

酉の市

2008年11月29日 17時57分19秒 | お散歩日記/東京地名の話
本人はあまり気にしていなかったのだが、11月が近づくと「お酉さま」「酉の市」と何か事あるごとに言っているようだ。それだけ酉の市には思い入れが深いのかもしれない。

自分だけなのかもしれないが、東京に子供ぼ時から暮らすものにとって、酉の市は、冬なのになぜかちょっと暖かい思い出がいっぱいのイベントなのだ。
子供のころ親に連れられていった酉の市は新宿の花園神社だった。都電を乗り継いでたどり着いた新宿はウキウキする場所だった。
近所の縁日や地元の祭りの縁日とは桁違いの規模と華やかさがあった。威勢のいい熊手の売り手と買い手の駆け引きのドキドキ感、おどろおどろしい見世物小屋もあった。
小学生の時は友達と二人でこっそりと出かけて、おもちゃ売りのてきやのお兄さんにお願いして売り子をしたこともある。
そんな楽しい思い出がいっぱいの酉の市だから、11月が近づくと無意識に「お酉さま」「酉の市」と言っていたのかもしれない。

酉の市の発祥の地は、浅草の鷲神社(おおとり)とも長国寺ともいわれているが、実は大本の発祥は、足立区にある花畑(花又)大鷲神社であるらしい。

江戸時代、船に乗って綾瀬川を遡ってお参りするのが流行した。しかしあまりにも遠いので、千住宿の勝専寺でも酉の市を行うようになったようだ。さらに浅草のにも酉の市ができて、それぞれ「本の酉」「中の酉」「新の酉」と呼ばれていたようだ。もともと鷲大明神のお祭りでそれぞれに鷲大明神が祭られているわけだ。

「中の酉」では現在酉の市が行われておらず、「新の酉」は明治時代の神仏分離で長国寺と鷲神社に分かれて、双方で行われているのはご存知の通りだ。

昨年、元祖酉の市の花畑大鷲神社に詣でた。東武線の谷塚駅からだいぶ歩いてたどり着いたそこは、まだわずかに東京近郊の風情が漂う場所で、もう目と鼻の先は埼玉県という位置である。


花畑大鷲神社

小さな神社の割にはたくさんの熊手屋さんが出て、人も多くにぎわっていた。
すぐそばには綾瀬川が流れ、江戸から来た参詣人が上陸した地点も見ることができた。


綾瀬川

今の時代でも東京からはいかにも遠い。酉の市が江戸市中にやってきたのもわかる。
また、この参詣は賭博旅行の様相を呈していたらしく、賭博禁止令も花畑の酉の市衰退の原因らしい。
江戸時代の寺社参詣は行楽目的とともに買春の目的もあったのは知られている。
中の酉が千住、新の酉が新吉原のすぐそばで行われていたのは興味深い。


浅草鷲神社(今年の二の酉の様子)


長国寺


静かな長国寺

いろいろな場所の酉の市に出向いたが、やはり浅草は熊手の店の数や参詣人の多さは目を見張るものがある。ついで大掛かりなのは、私が子供のときから親しんでいる新宿花園神社の酉の市だ。



花園神社の深夜の様子

都内でも浅草と新宿は午前零時とともに参詣が始まる。その賑やかなこと。

そして酉の市といえば熊手。
店の人との交渉で値切ったぶんはご祝儀として渡すという習慣は江戸っ子らしくていい。


熊手

そんな思いでいっぱいの酉の市。今日が三の酉だ。
コメント (1)
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