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3月28日、参院決算委、斎藤嘉隆(民進)質疑 「晋三が産経新聞の『辻元議員』云々のデマを引き合いにして逃げる」

2017年03月30日 09時20分13秒 | 国会論戦


ことわざの類を持ち出して、

自分を正当化する

やり方ってのはとても便利ではあるけれど、

思考停止を招くよ。

安倍晋三君が陥っている剣難は

まさにそこだな。

さて、

「悪魔の証明」

とは、

不存在証明は不可能に近いよ

ということを述べた命題だ。

それなりに、

合理性のある指摘だ。

たとえば、

ある山の頂点を目指して登ったろ

と言われたとき、

「登っていない」

という証明のためには、

その山の頂点に辿り着けるすべての可能性を

否定しなければならない。

しかし、よく言われるように、

山のてっぺんに登る方法など無数にあるのだとすると、

その無数の可能性を

潰す必要があるわけであって、

これで、

生じる可能性はない

という結論に至らない。

それは、

「無数=無限」

と解する論理的結果だ。

しかし、挙証責任をどちらが負わせるか

考える場合の

視点の一つにしか過ぎない。

裁判で

判定を下すとき、

決してそれは、

数学的回答を導き出す場合と

同じに考える必要はない。

「悪魔の証明」は、

必ずしも不能なしょうめいではない。

ある山に登る方は無数にあると言っても、

現実的には

そうそうあるもんじゃない。

常識の範囲で

なさそうだとなったら、

不存在証明は

なされたことになるんじゃないか。

上杉隆さんが

ネトウヨに絡まれて

「数年にわたり、特に悪質な誹謗中傷を行っているツイッターアカウントを提示し、警告するとともにみなさまにお知らせ致します。」


としてハンドル・ネームを掲げられたことがある

(拙稿「上杉隆氏への迷惑行為について」参照。*)。

そのとき、

名前を上げられた者が逆に、

「具体的な誹謗中傷ツイートの例をご存知なのですか」

と揚げ足取りな言いがかりをしていた。

街で痴漢を見かけたような

とても嫌な気分になりました。

それで、

その君のツイートにあった

「取材のできない」という上杉氏に関せられた形容は、

誹謗中傷に該当するよと、

指摘してあげた。

そうすると

山のような上杉氏を誹謗中傷する内容のメールが送られてきた(笑)。

それら全てを

具体的な誹謗中傷の例として

提示してもよかった。

しかし、「具体的な誹謗中傷ツイートの例」を挙げろと

迫りながら、

一個、具体的に提示されるや

「もう一つ、別の物を示してくれ」

と注文された。

そのとき、

この人物はまともに付き合っていい人物じゃない

と悟った。

それで返答しなかったら、

「逃げるのか」

と言われた。

何とでも言えと思ったので相手にはならなかった。

これ、今、思い起こして

存在証明も

実は、「悪魔の証明」に該当するってことだな。

繰り返しになるけど、

整理のため、

ポイントをもう一度、言う。

こういうことだ。

上杉さんに

名前を挙げられていた

tokyo_taro @tokyo_taro1 は、

「取材のできない」

という形容が誹謗中傷に該当するとしてされた時点で、

「自分は、上杉氏を誹謗中傷すようなことは言っていない」

という主張の偽であることが

立証されてしまったわけだ。

しかし、

論破された事実を認めたくないもんだから、

もう一個、別のを

と言い出した。

仮に、

その君のため

僕がもう一個、別の物を

提示したとする。

そうすると、

反論できないとなると

また、同じことを要求する。

もう一つ、別のをって――。

その不誠実な態度に議論の不毛性を感じたので、

議論を打ち切らせてもらった。

しかし、後味の悪さって

なかったな。

ネトウヨってみんな、こんな連中だよ。

彼らは、

工作員とか言われるけれど、

ネットで、一体何をしているのかと言うと、

痴漢だな。

ねちねちっと絡みつくわけだな。

安倍でんでんも

彼らの仲間として似たような

論争をするんじゃないか。

今、「悪魔の証明」という概念を持ち出して

不存在の証明は避ける。

しかし、存在証明をされる段、

「悪魔の証明」の世界に逃げ込むんだろう。

思うに

「ないの証明」なんたらかんたらの衒学的な説明ではなく、

次の二点に気を配って

誠実な対応をして欲しい。

第一、籠池氏は、

偽証罪で訴追されるかもしれない証人喚問に応じて

堂々と証言した。

妻の昭恵に応戦するチャンスをやれ。

それは、

フェースブックで何の責任も負わない安全地帯から

自分に都合のいいことだけを

しゃべらせることではない。

しかし、求められているのは「証明」でなく、

反論だ。

その点につき、もっと素直になれってことだな。

第二に、

「御党の誰それ」さんという形で

民進党の議員を引き合いに出して論点をごまかすな

ということだ。

それをされると、

民進党だって説明責任を回避している、

したがって、

自分も回避して当然だろうという卑怯な主張をする人だと印象を受ける。

人は、人なんだよ。

為政者がその自覚がないとすると、

国家の自立性だって

損なってしまう。


<追記>

なお、

「ないの証明」が

いかに詭弁かについては、

「昭恵さんが100万円を渡していない」

という

晋三が主張する照明事項を

「籠池が嘘をついている」

という命題に

置き替えて見ればいいのだ。

途端に、

あら不思議、

「ある(いる)証明」になって、

証明責任が

移ってしまったよ!

いわゆる、安倍得意の

「言い替え」という、

論点をはぐらかしてしまう何時もの論法だと

理解できる。

2017年3月30日夜 記
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