二銭銅貨

星の数: ☆良い ☆☆すごく良い ☆☆☆激しく良い ☆☆☆☆超激しく良い ☆☆☆☆☆ありえない

浮草物語

2010-12-04 | 邦画
浮草物語 ☆☆
1934.11.23 松竹、白黒、無声、普通サイズ
監督:小津安二郎、脚本:池田忠雄、原作:ジェームス・槇
出演:坂本武、八雲理恵子、坪内美子、飯田蝶子、三井秀男

まったりとゆっくりのテンポ、
坂本武ののんびりしたペース、
飯田蝶子の明るい活発さ、
それでも何故か重苦しくて、
どんよりと薄暗い。
重い苦しい家族のエピソードが
のしかかる。
それでも、最後のタバコが救いなんだ。

八雲理恵子は劇団の姉さんで、いなせな感じ、潔さが良い。いい芝居だった。坪内美子は清純な乙女風。この2人で野崎村のおみつとお染の衣装で化粧をしている場面がある。三井秀男は後の三井弘次でこちらも清純。三井弘次にこんな時もあったんだ。

ジェームス・槇は小津安二郎のペンネーム

柳下美恵によるキーボードの演奏付き。

10.11.23 神保町シアター
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

長屋紳士録

2010-12-03 | 邦画
長屋紳士録 ☆☆
1947.05.20 松竹、白黒、普通サイズ
監督・脚本:小津安二郎、脚本:池田忠雄
出演:飯田蝶子、青木放屁、坂本武、笠智衆、河村黎吉、吉川満子

むっとした顔つきの小僧は可愛くない、
じっと押し黙って不敵な面構えだ。
こびもへつらいもしない。
それなのに犬ころみたに、
しつこく付いてくる。
寝小便はするし、
蚤だらけだし。

飯田蝶子にもいつものにこやかさが無い。
しかめっつらで憎々しげだ。
怖い。怖い婆さんだ。
婆さんって言うと怒られる。
おばさんって言えだって。
鬼の形相だ。

そんでも、やっぱり人情ってものがあります。
落語の長屋の風情。

飯田蝶子、青木放屁の芝居が良い。面白い。

ウィキによると小僧役の青木放屁は青木富夫=突貫小僧の異父弟らしい。最後に出てくる父親役が小沢栄太郎なんだけれども、善人の役だった故かそれと分からなかった。

10.11.27 神保町シアター
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

一人息子

2010-12-02 | 邦画
一人息子 ☆☆
1936.09.15 松竹、白黒、普通サイズ
監督:小津安二郎、脚本:池田忠雄、荒田正男
原作:ジェームス・槇
出演:日守新一、飯田蝶子、坪内美子、笠智衆

ぐったりと疲れて、
本当に疲れて、
精神的に疲れたんだろうな、
いつも元気で、
何でも平気なんだけれど、
何か気が抜けたように、
何か魂が抜けたように、
とぼとぼと壁ぎわに歩いていくと、
陽の当たる壁の台の部分に腰をおろす。
ぐったりとうなだれる飯田蝶子は、
それでもちょっと疲れただけなんだ。

劇中、飯田蝶子が映画を見ていて居眠りをするシーンがある。映画は「未完成交響楽」。シューベルトの恋人役カロリーネが歌っている所と、彼女が麦畑のような背丈ほどもある草の中を走って逃げるシーンを長めに使っていた。マルタ・エゲルトばかり写っているシーンだ。小津さんのお気に入りなのかな。

小津監督の初のトーキー。長野の製糸工場のガラガラ言う音、東京の借家の隣の工場の機械の音をかなり意識的に使っていて、ややとげとげしい緊張感を作り出していた。

ジェームス・槇は小津安二郎のペンネーム

10.11.23 神保町シアター
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アンドレア・シェニエ/新国立劇場10-11

2010-12-01 | オペラ
アンドレア・シェニエ/新国立劇場10-11

作曲:ジョルダーノ、演出:フィリップ・アルロー
指揮:フレデリック・シャスラン、演奏:東京フィル
出演:シェニエ:ミハイル・アガフォノフ
   マッダレーナ:ノルマ・ファンティーニ 
   ジェラール:アルベルト・ガザーレ

全部白。白で統一されて、白の純潔に、三色旗がひときわ輝いて、この壮絶な争いごとの色合いを表す。

演出は恋愛劇の部分よりも、より政治的歴史的なフランス革命の気分を色濃く映し出していたように思う。民衆の狂気と動揺、惨劇と残虐、リーダー達の冷酷、苦悩。奔流の強さ。本来、こうした革命の悲劇は純潔の白とは真反対の色合いだと思うけれども、それを真っ白な色で表現していた。

シェニエとマッダレーナが二重唱を歌う最後の方の場面では、斜めに割れた壁の隙間から覗く別の壁の端が柱のように見えて、これがあたかも内部から光を放つ大理石のような印象。美しかった。

全体に直線的な美術で総てが斜め80度か70度位に傾いていた。真っ直ぐでない時代の殺伐を、こうした傾いた形で表現したのではないだろうか。

主役の3人はパワーが強く、声が天井まで高々と届いていた。革命のエネルギーの高さが良く分かる。日本人の出演者たちも負けずに声量豊かであったけれども、ある程度まとまった歌があるのは竹本節子のマデロン役だった。演奏も強く厳しく、革命の打撃の強烈さを良く表現していた。

舞台の最後は、主役二人に引き続いて次々と倒れる民衆。そしてその向こう、舞台の奥に少年少女たちがフランス国旗を打ち立てている。こうした多くの惨劇の犠牲の上に、今の繁栄が築かれているという、これはそう言う意味なのだろう。こうした革命的なものや戦争などの惨劇の繰り返しは歴史的必然でもあって、避けては通れない。その犠牲者を痛む気持ちが、この舞台の光輝く白なのかも知れない。

ストーリや構成、登場人物にトスカとの類似性が感じられるが、この作品はトスカに数年先行したもの。台本作家のルイージ・イッリカはトスカの台本製作のメンバーの1人。

10.11.21 新国立劇場
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする