虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

お正月の読書三昧(興味が一巡してスタート地点に……) 6

2012-01-06 23:18:18 | 日々思うこと 雑感

長々とシンクロニシティーについて説明したのは、

ただ自分が体験したことについて解釈したかったわけではありません。

 

スタート地点だったユングの「シンクロニシティー」の概念が、ぐるっとさまざまな考えを一巡してきた後で

ゴールでもあった

 

断片的でバラバラに見えたこれまで得た知識も、興味を抱いた物事も、子ども時代の夢想も、

必要にかられて学んだことも、遭遇した出来事も、

途切れることなく連なっている環の上を巡っていた

 

という事実に、お正月の読書を通して、察したからでもあるのです。

それに関心がある人がいようといまいと、正しく言いたいことが伝わろうと伝わるまいと、

とにかく言葉にしておきたい、

という思いに突き動かされているのです。

 

最近になって、赤ちゃんの発達の仕方への興味と

自閉症の子の成長をサポートしたいという思いから関心を持ち出した

『アフォーダンス』という概念があります。

 

これは昨年の読書のマイブームで、何冊か翻訳されたものを読んだ後で、

『アフォーダンスの視点から乳幼児の育ちを考察 動く赤ちゃん事典』というDVD付きの本まで

購入する傾倒ぶりだったのです。

お正月に出かけた本屋でも 『ダーウィン的方法  運動からアフォーダンスへ』というこの関連本を購入して、

その日のうちに読みきりました。

 

このアフォーダンスにしても知れば知るほど、

ユングの「集合的無意識の考えを空間にまで広げて、

無意識はまわりの世界に情報を送っている、無意識は送られてくる情報をキャッチしている」

という考え方に近いものがあるのです。

また、『アフォーダンス』という概念は、わたしが小学生の頃に

ミツバチのダンスについての科学ドキュメンタリーを野外映画で見て以来、

とらわれ続けていた疑問に対して、

納得できる答えに向かう道筋を示唆してくれるものでもあるのです。

 

教室の子らのために「遊び」について研究している本や、

昔話や神話が子どもの成長に与える影響について書いてある本を読むにつれ、

無意識の世界と人の行動や成長との関わりを深く知ることになり、

それが再びユング熱に火をつけることにもなりました。

 

また成長するにつれて議論することを楽しむようになった

わが子たちとの会話の種にと読み始めた哲学書は、

世間の常識ではタブーとなっている考えであっても、

疑問があるのなら、それについて考察し続ける勇気を与えてもくれました。

気がづくと、ベルグソンの創造的進化についての考えに触れたり、

現象学の視点で物を眺めて見たりするうちに、

小学校時代から疑問を持ち続けてきたことと、10代後半からずっと

心を奪われてきたユングの考えに引きもどされてもいました。

 

そうして思い返すと、これまでその年々の出来事に触発されて、

さまざまな分野の本に熱中しているのですが、

今になって全体を見通す地点からそれらを眺めると、

どれも連なっていて、どれも同じようなことを探求している内容なのです。

 

ホログラフィックユニバースなどの宇宙論への興味や、

意識の進化についての興味、自己組織化する宇宙についての興味、

タオについて関心といった

その年々のブームは、結局どれも、ユングの「シンクロニシティー」という考え方、

「自然の隠れた秩序への興味」に連なっていることだったんだな~という気づきを、

 

シアトルのハンバーガーショップでツタンカーメンの写真のなかに

スカラベを発見したときに

ハッと気づいたことでもあるのです。

そして、まだ十代だった頃、どうしてあれほどユングの著書に心を動かされて

わくわくしたのか、

思い出しました。

 

10代のわたしがユングにそれほど引きつけられたのは、

 

わたしは、

「心理学と物理学」

「先住民の世界観と西洋の世界観」

「科学と宗教」「東洋と西洋」

といった相反するものに橋がかかるかもしれない時代に生まれてきたんだ。

この一生のうちに

宇宙を統合する新しいパラダイムが作られていくのを見届けることができるかもしれない。

 

ということを直観的に感じとって、心が震えるほど感動したからでもあるのです。

 

そうした思いをすっかり忘れて、

日々の雑事に追われていたというのに……

そんなずっと昔の情熱が求めていたものを

自分でも気づかないうちに探索し続けてきたんだな、知識を集め続けてきたんだな、

自分の夢や自分の人生に得たかったものからぶれずにこれたんだな、

という不思議な感動に、

シンクロニシティーと思われる出来事にぶつかるたびに

心を捉えられたのです。

 

シンクロニシティーと思われる出来事は、

わたしがでたらめに歩いてきた道のりを

ひとつの意味で照らしてくれたのです。

 


お正月の読書三昧(興味が一巡してスタート地点に……) 5

2012-01-06 15:16:10 | 日々思うこと 雑感

シアトルでの体験を記事にしているのを読んで、

シアトルの滞在先のAさんが、電話で、

「わたしのプライバシーのことを気にせず

もっと具体的に起こったことを書いてくださっていいですよ。

今のままだと漠然としていて、どこがどう不思議なのか

読んでいる人に伝わりにくいかもしれないですから」

とおっしゃってくださいました。

確かにひとつひとつの出来事の詳細を細かく書いていくと、

それがいかに奇妙な出来事の連続だったかが

もっとはっきり伝わるはずなのです。

 

でもそれはまた別の機会に書かせていただくことにして

今回はお正月の前置きとして、

今わたしがどんな心境にあって、自分が読む本を選んでいるのかを

簡単に説明するだけで許してくださいね。

 

わたしもAさんも、同じテーマ(ツタンカーメン、へび、雪「白雪姫と雪の女王のストーリ」、赤い球「環」、青い池)

同じ数字、同じ形、同じ色、同じパターン(2回はうまくいかず3回目にうまくいく)、同じ名前の子、

意外な場所で意外な人と会い、その人からは考えられないような言葉を聞く(ちょうどわたしとAさんの話題にしていたことではある)

といった偶然の一致が繰り返えされることにシンクロニシティーを感じていました。

わたしがシンクロニシティーを感じた体験というのは、意識しはじめたから目につく回数が増えた

という説明では納得しずらい体験です。

 

たとえば「雪」といっても、たまたま雪をいろいろな場所で見かけたという話ではなく、

帰りの飛行機のはねに雪が残っていたことが

理由でトラブルがあったり、

日本に帰ってからすぐに開いた工作のワークショップに

群馬と名古屋から来た子らの新幹線が、雪が原因で途中で何時間もストップするといった

(この時期、雪が原因でこんなことが起こるのはめずらしいそうです)

心に衝撃が走るレベルのめずらしい出来事ばかりが

何十回も立て続けに起こっていたのです。

 

また出来事が表現していることが

Aさんの家族やわたしが現在抱えている内面の課題と密接にリンクしていて、

課題に気づき、

さまざまな問題の解決に踏みだすきっかけにもなりました。

 

  

「シンクロニシティー」という言葉は、心理学者のユングが創案したもので、

内的なイメージ体験としての心理的出来事と外界における物理的出来事が

何らかの未知のメカニズムにもとづいて、意味の上で(情報認知の上で)一致し、

同調するということを意味しています。

ユングは、心の世界も物の世界も、本質的にはすべてがつながりあっているのでは

ないかと考えていたのです。

 

なぜ、シンクロニシティーが起こるのかという理由は

人間を「生物時計」を組み込んだ一つの心理・生理システムと捉える考え方とも、

人間を宇宙の創造的なプログラムの一部として捉える考え方とも、

有機的なものと無機的なものとの区別は、人為的なもので、わたしたちが現実を包括的に

理解するための仮定したものと捉える考え方ともつながっています。

 

 

ユングは「集合的無意識」を通して働く「元型」という

客観的な現象世界の上位に位置する精神の諸形態を想定していました。

人間の心の中に普遍的な構造が存在すると考えたのです。

 

 

元型というのは抽象的なものではなく、

動物学者たちが仮定する生得的触発機構

と似た方法で働くものであり、

人類に共通した行動的な特徴や典型的な経験を始発させ、統制し、仲介する

生命現象の基礎にあるとしています。

 

ユングのは、個々人によって経験される心的事象は、

個人的歴史だけでなく、

種の集合的歴史全体が集合的無意識にコード化されているものにも

影響されていると捉えていたのです。

 

シンロニシティーという概念について

手短に解説するのは難しいです。

またこれは説明されたからといって

素直に納得できるものでもないと思います。

 

ただシアトルでの出来事の後で、

それまでは漠然として過ぎれば忘れ去っていくのみだった

自分の経験が、突然はっきりとした意味を際立たせて

感じとれたことは事実でした。

自分がさまざまなことに興味を持ち、障害にぶつかって悩み、

探求し、考え、行動してきたことの数々が、

ひとつの意味で環になってつながるのを実感したのです。

 

この話題はもう少しだけ続きます。