長々とシンクロニシティーについて説明したのは、
ただ自分が体験したことについて解釈したかったわけではありません。
スタート地点だったユングの「シンクロニシティー」の概念が、ぐるっとさまざまな考えを一巡してきた後で
ゴールでもあった
断片的でバラバラに見えたこれまで得た知識も、興味を抱いた物事も、子ども時代の夢想も、
必要にかられて学んだことも、遭遇した出来事も、
途切れることなく連なっている環の上を巡っていた
という事実に、お正月の読書を通して、察したからでもあるのです。
それに関心がある人がいようといまいと、正しく言いたいことが伝わろうと伝わるまいと、
とにかく言葉にしておきたい、
という思いに突き動かされているのです。
最近になって、赤ちゃんの発達の仕方への興味と
自閉症の子の成長をサポートしたいという思いから関心を持ち出した
『アフォーダンス』という概念があります。
これは昨年の読書のマイブームで、何冊か翻訳されたものを読んだ後で、
『アフォーダンスの視点から乳幼児の育ちを考察 動く赤ちゃん事典』というDVD付きの本まで
購入する傾倒ぶりだったのです。
お正月に出かけた本屋でも 『ダーウィン的方法 運動からアフォーダンスへ』というこの関連本を購入して、
その日のうちに読みきりました。
このアフォーダンスにしても知れば知るほど、
ユングの「集合的無意識の考えを空間にまで広げて、
無意識はまわりの世界に情報を送っている、無意識は送られてくる情報をキャッチしている」
という考え方に近いものがあるのです。
また、『アフォーダンス』という概念は、わたしが小学生の頃に
ミツバチのダンスについての科学ドキュメンタリーを野外映画で見て以来、
とらわれ続けていた疑問に対して、
納得できる答えに向かう道筋を示唆してくれるものでもあるのです。
教室の子らのために「遊び」について研究している本や、
昔話や神話が子どもの成長に与える影響について書いてある本を読むにつれ、
無意識の世界と人の行動や成長との関わりを深く知ることになり、
それが再びユング熱に火をつけることにもなりました。
また成長するにつれて議論することを楽しむようになった
わが子たちとの会話の種にと読み始めた哲学書は、
世間の常識ではタブーとなっている考えであっても、
疑問があるのなら、それについて考察し続ける勇気を与えてもくれました。
気がづくと、ベルグソンの創造的進化についての考えに触れたり、
現象学の視点で物を眺めて見たりするうちに、
小学校時代から疑問を持ち続けてきたことと、10代後半からずっと
心を奪われてきたユングの考えに引きもどされてもいました。
そうして思い返すと、これまでその年々の出来事に触発されて、
さまざまな分野の本に熱中しているのですが、
今になって全体を見通す地点からそれらを眺めると、
どれも連なっていて、どれも同じようなことを探求している内容なのです。
ホログラフィックユニバースなどの宇宙論への興味や、
意識の進化についての興味、自己組織化する宇宙についての興味、
タオについて関心といった
その年々のブームは、結局どれも、ユングの「シンクロニシティー」という考え方、
「自然の隠れた秩序への興味」に連なっていることだったんだな~という気づきを、
シアトルのハンバーガーショップでツタンカーメンの写真のなかに
スカラベを発見したときに
ハッと気づいたことでもあるのです。
そして、まだ十代だった頃、どうしてあれほどユングの著書に心を動かされて
わくわくしたのか、
思い出しました。
10代のわたしがユングにそれほど引きつけられたのは、
わたしは、
「心理学と物理学」
「先住民の世界観と西洋の世界観」
「科学と宗教」「東洋と西洋」
といった相反するものに橋がかかるかもしれない時代に生まれてきたんだ。
この一生のうちに
宇宙を統合する新しいパラダイムが作られていくのを見届けることができるかもしれない。
ということを直観的に感じとって、心が震えるほど感動したからでもあるのです。
そうした思いをすっかり忘れて、
日々の雑事に追われていたというのに……
そんなずっと昔の情熱が求めていたものを
自分でも気づかないうちに探索し続けてきたんだな、知識を集め続けてきたんだな、
自分の夢や自分の人生に得たかったものからぶれずにこれたんだな、
という不思議な感動に、
シンクロニシティーと思われる出来事にぶつかるたびに
心を捉えられたのです。
シンクロニシティーと思われる出来事は、
わたしがでたらめに歩いてきた道のりを
ひとつの意味で照らしてくれたのです。