めぐろのめばる

目黒川近辺で日本の四季を楽しみ、未来の日本を憂う。
かつての美しい日本と日本人がいかに素晴らしかったかを思う。

日本の政治家たち

2017-06-21 12:43:00 | 日本人

様々な新たなる文書や発言が出て、限りなく黒に近い状態でも
民主主義社会では、お互いが認めない限り、結論は無いのです。
民意をもって、多数意見をもって議会政治が行われる事は、
常に正しい方向に進むようで、実際は、真意を追求するまでに至らず
お互いの主張の中で、落としどころを見極め、双方の利益が確保
される事で終わる事が多いのです。

その為、例え誰が見ても怪しいと思われても、それを否定する事も
尊重され、より深い討議が行われると言えますが、権力者達の中では
多くの場合、お互いの主張で終わってしまう事も少なくありません。
法治国家である事から、白黒をはっきりと出来ると思いがちですが、
世間的には、誰もが考える事が、政治の場に於いては、その背後には
様々な力関係が生じて、あえて決着を付けなかったり、黒と思える側が
まるで潔白を証明したかのような立場に立つ事も有ります。

この、曖昧な判断が、いつまで経っても、政治の世界に、正義が成り立たず
例え国民の前で話し合おうと、その言葉と裏腹のやり取りが行われ
現実の決着は、国民の知る事ではない事も多いのです。
その為、様々な話し合いの下では、如何に、それ以前に多くの根回しが
出来るかと言う事が重要と成って来るのです。

選挙や国会答弁と言った、国民の前に晒される場では、議題の重要性と言うより
その話し合いや演説で、どれ程自分達の利益が得られるかが問われる事と成り
私達が目にする耳にする彼らの姿は、決してそのまま鵜呑みにする事も
信じる事も危険と言えるのです。

国民の代表と言うのは、民意を代表していると言えど、政治家の立場の
説明に過ぎず、それ以上に、その地位をもって、どれだけ権力を得られるか
それによって、どれだけメリットが得られるかと言う事が、笑顔の裏に
存在している事を忘れてはなりません。

多くの人々に推挙されて、代表として国の政を行うと言う人に
そんな思いは微塵も無いと言うのは非常にまれであると考えられ
少なからず、打算の元、任期の間、自分の欲望が作り出す
収益を計算していなと言えば嘘になると言えるのです。
しかし、その事を、グッと抑えて、国民の事を考えられるのが
政治家の器であり、政治家になる為に心すべき事なのです。

政治家と言うのは、国民の思いを代弁して、更には実現してくれる
存在とも言え、当然、夢を叶えてもらう為に多くの人々が陳情に訪れ
私人の時に比べて、断トツに美味しい話も増えて来るのです。
誰もが競って、自分の思いを達成してもらうため、沢山の貢物を
献上してきます。

しかし、その様な物を手に入れる為に政治家になったのでは在りませんから
個人的な利益とする事は許されるものでは無く、当然、政治家たるもの
身辺は綺麗でなければなりません。
しかし、便宜を図ってもらおうとする側もタヌキが多く、決して外に
ばれない策を講じ、何とか自分の思いを実現してもらおうと必至です。

多くの政治家は、自分の主義主張を貫徹する為にも政治家のモラルを守り
通すのでしょうが、権力の座に甘んじ始めると、次第に、わきが甘くなり
簡単に甘言に乗ってしまうのでしょう。
国を代表する政治家が、これまでどれ程多く私欲に走り、政界を追われたり
司法の場に立たされて来たでしょうか。
その誰もが身の潔白を訴え、濡れ衣を着せらられたかのような態度を示します。
しかしながら、次第にその背景が暴露されると、その愚かさがより鮮明と成り
大衆の面前で、政治家としてと言うより、人間としての心を疑われるのです。

様々な職に就く事に依り、人は、その道を究め、生きる為の糧を得て行きます。
其々が其々の立場で、生活を送ると共に、国に対して貢献していきます。
誰が優れていると言う物ではなく、人間が生きていく上で必要とされる職は、
同等に価値が有り、国を支える大きな力と成っているのです。

しかし、どんな職業に於いても、周囲の様々な人々と支え合って生きて行く事が
大切で有り、その為にも、お互いが信頼し合い、思いを託すことが出来るルールが
必要とされるのです。
誰しも、自分の欲望のままに生きる事は出来ないのです。
人は、支え合って、助け合って生きている動物であり、例え、人々の代表と成り
国の政に関わっていようと、その立場は変わる事は有りません。
しかしながら、ひとたび権力の座に着くと、人は、いつの間にか、我欲に走り
欲望のままに多くの人々を傷つけてしまうのです。

今や、優れた弁舌が、言い訳や保身のために使われていて、国民の為に
その能力が生かされていないのが残念です。
様々な言い回し、言葉の使い方で、聞いている人たちを煙に巻いているだけで
その内容たるや、本人も何を言っているのか解っていない程の内容です。
しかしながら、周囲の人間たちがその弁をたしなめると言うのではなく、
自分を守るための見苦しい弁護が目立ち、組織だっての言い訳は、大切な時間と
国民の税金を無駄にしているだけと言えます。

今や、日本のリーダー達の足踏みが目立ちます。
その原因は、本人の弁解であり、保身であり、見苦しい言い訳に他なりません。
様々な立場状況を説明し、国民に理解納得させるのがリーダー達の役割であり
一体何を言っているのか解らない、一体何をしたいのかが解らない弁舌が
実に多くなっています。

リーダーたるものは、決断と実行が伴わないと、単なる政治屋になって
口だけが達者な人と成ってしまいます。
民主主義の国家に於いて、多くの人々の考えが政治に反映され、出来るだけ
国民の利益と成る事が大切です。

しかし、様々な考えをすべて受け入れた結論は、単なる八方美人と成り

多くの人は期待はしても、その効果は得られません。
船長たるものは、新たなる航海に出るとなったら、様々なリスクが有っても
航海に出るという目的は失ってはいけません。
どの方向に進むのか、その内容と方針が決まれば、ためらうことなく
船の穂先を進める事が大切です。

その時、船を動かす様々な部署の船員たちは、与えられた条件で、目的の地は

到達する為にそれぞれの能力を生かし船長を助けるのです。
助けないと船が止まってしまったり、目的の所に行けないからです。
しかし、其々の立場の意見をすべて聞き入れていて、出航する事を忘れると
船の役割は失われ、航海すらできず、後悔する事と成るのです。

東京都知事の苦悩は解りますが、誰もが納得できる完璧な方法を探せば

後100年経っても出航は出来ません。
後に続く精鋭たちも、東京都民も、はっきりとした指針を示されれば
それに向かって新たなる対策を考えるのです。
方向が定まれば、人々はリーダーに従うのが民主主義なのですから。
例え見切り発車で、不十分な体制であればあるほど、国民はそれを支える様に
後に続くものです。

リーダーたるものは、自分を信じると共に、自分を支持する人たちの事を

信じる事が大切と言えます。
どんなに素晴らしい決断をしても、素晴らしい結果と成っても、
それを否定する人々が居てこそ、民主主義であり、人々によって補正しながら
進んでいくのが政の在り方とも言えます。
独断で、自分の利益を優先し、国民にいい顔だけを見せている様では、
言い訳しか出来ないリーダーとして名を遺すだけと成ってしまうのです。