めぐろのめばる

目黒川近辺で日本の四季を楽しみ、未来の日本を憂う。
かつての美しい日本と日本人がいかに素晴らしかったかを思う。

心の満足を得るには

2015-09-30 12:44:20 | 人生

子供の頃は、大人に成ったら何をしたい、どんな生活を
送ってみたいと、沢山の夢を持つものですが、努力を重ね
実際にその夢を叶えると、何故か、思ったほどの感動が
得られないのが解ります。

世界の素晴らしい人達に憧れ、目的の人に少しでも近づこうと

努力をし、同じとは言えないものの、同じ道をたどれる様になると、
以外と、自分が描いていたものとは違っているのです。

名声、地位、財産を持てば、自分も同じような素晴らしい生活を

送れると思い誰もが努力するのですが、憧れの生活を送ると
思ったほどではない事が解って来ます。

その為、より、上の憧れの生活を目指し努力するのですが、

思いを達成する度に、不満が募り、何を求めれば自分は満足するのか
解からなくなってしまう人が多くいます。

でも、何故、子供の頃や、夢として憧れていた頃は、あんなにも

恋い焦がれた思いが消えてしまうのでしょう。
この傾向は、豊かな生活に恵まれている人だけでなく、日々の暮らしに
苦労している人たちも同じような不満が募るものです。

私達人間は、太古の昔から共同生活を行ない、御互いに助け合って

外敵から自分たちを守り、子孫を繋いできました。
その為、外敵から自分たちを守り、生活を豊かにしてくれる人を崇め
人々のリーダーとして奉る様になったのです。

自分達の喜びは、そんな、人々の思いを満たしてくれるリーダーの

存在が大きかったのです。
つまり、自分たちを幸せの世界に導いてくれる人に憧れ、誰もが
人としてそうありたいと思ったのです。

人々の喜びは、自分達に安全で豊かな生活を提供してくれる事でした。

そんな思いを抱かせてくれる人を理想とする傾向が有ったのです。
この事は、自分の地位が上がった時も、根強く心に残っていて
憧れる人は、人々に喜びを与える人であることが頭のどこかに
刷り込まれているのです。

自分が、努力したとはいえ、多くの人々から注目を浴びたり

沢山の人達のリーダー的存在になった時、手に入れた地位や
財産が多ければ多いほど、心とのアンバランスに悩むのです。

多くの著名人や財界人、社会的に地位のある人々が、

様々なチャリティー活動に精を出したり、世界の恵まれない人々に
施しの手を差し伸べるのは、かつて憧れた理想であるために
心のバランスを保とうとしていいるのです。
私達は、どんな地位や名誉を得ようとも、有り余る財産を得ようとも
上に立つ者の有るべき姿を長い人類の歴史の中で学んでいるのです。

しかしながら、中には、最初から、自分よりも他の人達、困っている人々

苦しんでいる人達に救いの手を差し伸べようとする人がいます。
この人たちは、後に偉人として名を成す人たちであるのでしょうが、
自分の欲を全て捨ててまで、人々の幸せを願う事が出来ると言う
人類が持ちえる実に崇高な部分で生きられる人達であり、その功績は
後に伝説と成り、神的な存在として人々の心に生きて行くのです


ビビッと結婚は理想!?

2015-09-29 15:51:49 | 結婚

最近知り合いの男性が結婚する事と成りました。
彼は、もう50を過ぎていますが、バツイチであり、子供もいます。
相手は、同じく50過ぎですが、初婚です。

年齢を聞くと驚く方も多いかも知れませんが、このようなケースは

珍しくなく、週刊誌の芸能ネタの様に思われがちですが、
現実の結婚も多種多様の場合が有るのです。

結婚適齢期と言った言葉が有りますが、これは、経済的にも

生物学的にも、結婚生活を行なう上で、一番適当と思われる
統計的な事であり、誰もが、この時期に良き伴侶を得られると
考えていると、本当の自分に合った相手に出会うチャンスを
失ってしまう事も有るのです。

東京に於いても、毎日250組程がゴールインしていますが、

70組ほどが離婚しています。
結婚をすれば幸せになると言うのは短絡で、しない方が
良き人生を送れる事も多いのです。

しかしながら、理想の相手に巡り会う事に越した事は有りません。

昔結婚相手に巡り会った時、ビビッと来た!といった芸能人が
いましたが、この言葉は、あらがち間違ってはいません。
どんなに素敵な相手に有っても、ピンと来なかったり、
ハラハラドキドキして、燃える思いを抱いても、結婚に至るとは
言えないのが現状です。

恋愛で好きに成ったりしても、結婚に至らない理由の一つに

生物学的な反応が有ります。
人も動物も、長い進化の内に、自分たちの子孫を残すために
様々な能力を身に付けてきました。

一番原始的でいまだに続く能力が、家族や兄弟と言った、身近な

遺伝子を持った者とは子孫を残さない様に身体の感覚が変化し
より遠い遺伝に引かれる様に作られて来ました。

お父さんを年頃の娘が嫌うのも、身体に組み込まれた機能が

拒否するように仕向けていると言います。
しかしながら、沢山の人と関わる様になって来ると、自分の
遺伝子とは全く異なった、遺伝子を持つ相手に、突然魅力を感じ
一緒になる事の運命を感じる事が有ります。

これが、いわゆる、ビビッ!とであり、今までイケメンを追いかけていた

娘が、突然、似ても似つかない相手を連れてくる場合がそうです。
男性にしても女性にしても、本能的に、異性を求めるのは、知覚的理想です。
映画やテレビに出てくる俳優やタレントがその対象と成ります。

これは、社会的理想であり、ほとんどの人々が共通の条件を求めます。

しかし、この理想の相手が、自分の伴侶となる事は殆ど有りません。
つまり、太古から進化してきた遺伝子的感覚ではないからです。

結婚して、子孫を作ると言うことは、遺伝子が結ばれなければなりません。

それは、誰とでもという訳ではなく、自分の遺伝子に相応しい人でないと
いくら外見的に良くとも身体が反応しないのです。

今の時代、多くの若い人達は、様々な情報に邪魔をされて、

自分の理想の相手を見つける能力を失っています。
男女の性欲を満たすだけならば、外見だけで十分なので、より頭の中が
納得する世間的な理想の相手を求めます。

しかし、この社会基準で結婚すると、多くの場合、しばらくすると、選んだ相手が

自分の遺伝子の要求とは違う事が解り、残念な結果となってしまうのです。
中々ビビッと来る相手を見つけるのは大変ですが、見つかった時が本当の
結婚適齢期と言えるのです。

でも、ビビッと来る相手では無くても、幸せには成れるのです。

選んだ相手と自分との違いをしっかりと見極め、相手の気持を察して、御互いが
いかに幸せに成れるかをいつも考える事です。

実は、これが結婚生活を上手く続ける大切な事で有り、遺伝子を越えた愛情と

なって二人の結びつきを強くするのです。
夫婦は他人とも言われるのは、遺伝子的に理想的な相手はいない事によります。

結婚する時は、この世で一番と思われた相手が、次第に順位を落として行くのは

ビビッとの相手とは違う事を理解し始めるからです。
この時、更なる相手を探そうとすると、その生活は破綻して行くのです。

しかし、違っていても、人は、幸せを掴めるようになっているのです。

簡単な方法は、相手の好きな事楽しい事を自分が提供できるようにする事です。
つまり、これは、相手に対してしている様ですが、実は、相手にとって自分が
どれ程素敵な存在であるかを知らせる事となるのです。
つまり、ビビッとの存在に近づく事になるのです。

結婚が長く続き、周囲から理想の夫婦と思われる多くの方々が、実は、ビビッと

感じて結婚はしていないのです。
結婚は、あくまで世間への儀式であり、きっかけに過ぎません。
ビビッと来る相手に巡り会う事は、宝くじの大当たりと同じようなものです。
しかし、そんな相手を探そうとすれば、一生かかっても不可能と言えます。
それならば、それらしき人に巡り合えたら、一緒に同じ屋根の下で生活して
相手を理想の人に変える努力をした方がずっと効率的と言えます。
方法は簡単、ただ一つ、自分の事より相手の事を考える事です。


世界一の長寿国のお寒い事情

2015-09-28 13:00:25 | 高齢化社会

日本は、世界一の長寿国と言われますが、高齢者が医者にかかっている率も
世界のトップクラスです。
高齢者が何だかの病気で医療施設に通ったり、薬物を摂取するのはごく当たり前で
健康で有るために、病気でなくとも、医療施設を訪れる場合も多くあります。

日本に於いて、高齢になって、何の病気治療を受けない方は本当に珍しく、

健康であるための医療検査も、新たなる病人を増やす原因ともなっています。
人間は、たとえ健康であっても、人生の半ばを過ぎると、身体の至る所の機能が
衰えるのは当たり前の事です。

若い頃は、なにか異常事態に見舞われても、怪我をしても、体力が有り、免疫が

高い事も有って、しばらくすれば自然治癒が行なわれるのですが、
高齢となると、治るまでにかなり時間が掛かったり、複合的に様々な症状が現れ
医者の助けを求める事にもなるのです。

とは言うものの、今の、老人医療は、あまりにも病人を作り過ぎです。

医は算術と言いますが、患者を増やしている様にしか思えない事が目立ちます。
先日、知り合いが、少し心臓の違和感を感じるとの事で、病院で検査を受けたのですが、
幸い、何とも無いという事で帰されたそうです。

しかしながら、検査をした結果、身体の様々な問題が発覚したそうで、心臓はともかく

これからそれらの疾患を治す為に、病院通いが始まるという事です。
彼は、運動もよくできて、食生活もしっかりと管理して、今まで、病院に行ったことが無く
風邪すらひいた事もありません。

周囲の人たちの中でも一番健康なのに、一度病院に行っただけで、様々な治療が

言い渡されてかなりのショックを受けていました。
これから週に何度も、幾つかの専門医に診てもらうとの事です。
一体どんな病気に罹っているのかと聞くと、血圧や血糖値等、年齢からすると少し高い
との事で治療をすると言います。

しかし、彼を何十年も見ていますが、急に悪くなったとはとても思えません。

数字的に、平均よりも高いから治療をするとの事です。
確かに高齢ともなると、多くの病気に見舞われたりしますが、緊急の処置はともかく
検査をしてその値が基準値と違っているからと、治療を促す体制は
明らかに病人確保と言ってもいいほどの、算術の治療と言えます。

たとえ何の症状も無く、普段健康な生活を送っている人であっても

医師から、宣告を受ければ、身体以上にメンタルが傷つき、それに伴い
身体の至る所が病み始めるものです。
まるで保険医療の様に、いつか起こるかもしれない危険な病気に備え
今から治療をする事を進められます。

また、患者が増えれば、喜ぶ機関があります。

当然薬品関係、医療機器関係の人々です。
私の知り合いも、何人もが、複数の薬を毎日飲まされています。
内訳を聞いても、もしもの病気にならない為に、薬で抑えると言う
極めて保険的な薬物投与です。

高齢者になれば、薬をいつも持ち歩き、それなくしては旅行も出来ません。

たとえ病気になっても、自分の力で治す事はできず、常に薬の力や
医療施設に頼る老後の人生が、本当に幸せなのでしょうか。

ヨーロッパの北欧の高齢者医療施設を訪れた日本の視察団が

驚いたのは、寝たきりの高齢者が少なく、結構高齢まで自分で
身の回りの仕事が出来る事でした。
出来るだけ医師や介護士が手を施さないで、自分の力で生きる様に
なっているそうで、薬漬けで寝たきりの多い日本の医療の問題を
浮き立たせていました。
高齢に成ったら、誰もが誰かの手を借り、医療処置を受けなければ
ならない日本の現状は、たとえ、世界一の長寿国とは言え
悲しい現実と言えるのです。


食の摂り方は千差万別

2015-09-26 13:19:41 | 食生活

食の文化と言いますが、本当に多種多様であり、
人々に好き嫌いが有る様に、その土地の食習慣は
他の地域からすると、脅威と言える場合も有ります。

私が大学生の時、インドネシアから留学していた

同級生を食事に招待し、カレーライスを作った時、
皿に盛られたカレーを見て、彼が激怒したのを
いまだに思い出します。

彼は、カレーに入っている肉を指さし、これは何の

肉かと言ったので、豚だ、と答えた瞬間、彼の顔は
硬直し、もしこれが国で同じ事が有ったら、殺されても
文句は言えないと言いました。

彼は宗教上の理由で、豚肉は一切口にせず、もし

豚を食べさせたとなると、最大の侮辱と成り、
彼の国であったなら、私はその場で殺されても文句は
言えないとの事でした。

豚を食べない国が有れば、牛を食べない国もあり、

世界の国々や地域には、私達が想像し得ない食習慣が
文化として根付いているのです。
私達日本人でさえ、各地の食習慣には、驚かされます。

学生時代の友人は、沖縄出身で、子供の頃から

オヤツとして蝉を食べていたと言いました。
冗談だろうと思っていましたが、最近、テレビを見ていると
沖縄出身のタレントがやはり同じ事を言っていました。
この様に、食べた事の無い人からしたら、脅威であり
驚きの食べ物も、その土地の人にとっては、生きる為の
大切な食料であったりするものです。

近年、クジラを代表とする、食に対する偏見とも言える

圧力が日本にかけられています。
動物愛護団体であったり、感情的な理由であってあり
殆どの場合、その土地の食の文化を考えない、
一方的な考えからの身勝手な考えと言えます。

牛や豚は家畜だから殺して食べていいと言いますが、

彼等は、牛豚を宗教上の理由で食べたり食べなかったりする
国に対して、どの様に説明するのでしょうか。
感情的に、生き物を殺す事は可愛そうと言う人は、自国の
あらゆる場所で日常的に行われているトサツ場を見れば
恐らく半分以上の人が牛豚を食べられなくなると思います。

私達は、生物として生きて行くには、他の生物の命を頂き

子孫を育てて行かなければなりません。
この基本理念は、地球上に住む生き物が太古の昔から
変わらず続けてきた行為であるのです。
どの生き物から命を頂くかは、それぞれが住む地域や
環境によって違います。

しかし、いかなる土地に於いても命の糧を得て来たからこそ

今私達は生きながらえているのです。
その方法は様々であり、他の方法で生きて来た人々が
自分の食の摂り方と違っているからと言って、批判したり
否定する事は、極めてナンセンスであり、身勝手です。

人にはそれぞれ生き方が有る様に、食生活もそれぞれが

長い間培ってきた基準が有るのです。
御互いに、相手の生活や文化を尊重し認める事が
この地球上で生きながらえて行く大切なルールです。

人々のトラブルの多くは、自分のルール、生き方に

無理やり従わせようとした結果起こることが多いものです。
自分の主張も大切ですが、先ず、相手の事を認める事が
御互いの幸せにとって大切な事ではないでしょうか。


東京防災冊子の効果

2015-09-25 13:57:43 | 地震

一週間ほど前に我が家に送られてきた、東京防災の冊子が
仕事場にも送られてきました。
毎日、様々な広告がポストに投函される中、黄色い段ボールの
ケースに入ったこの防災推進の書籍は、これまでの、広告とは違い
明らかに、都としても、東京を巻き組むかも知れない災害に、ようやく
本腰を入れて来たと言う事にもなるのでしょうか。

20年ほど前は、天変地異と言ったたぐいのものは、テレビに於いて

極めて、視聴率を稼ぐ為の、色物のイメージが強かったのですが、
数年前の東日本大震災や、ニューヨークの国際貿易センターへのテロ等
のんびりとした日本人にも、かなり危機感をあおるには十分すぎる災害が
身近になって来たとも言えます。

火山噴火、巨大地震、スーパー台風、異常気象と、私達の住む地球は

新たなる激動の時代に突入したと言っても過言ではないでしょう。
東京都が都民に向けて、これまでにない程の危機感を訴えているこの冊子は、
少なからず、近い将来、夢ではない、極めて現実的な大災害が起こると言う
警告でもあるようです。

しかしながら、毎日の生活に追われる私達は、殆ど一日中、危機感を抱く事は

無いと言ってもいいでしょう。
行政が、その日に備えて、様々な公共施設や公共機関を整備する事が、
災害に対する準備と言ってもいいのですが、私達都民は、単に便利になって
街が機能的になって来たと言うくらいにしか感じないものです。

その為、特に、地震ともなると、予知が殆ど期待できない事から、やはり

寝耳に水の様に、その時が来た時にしか、自分の危機感は感じないのです。
しかし、この防災冊子にしても、様々なメディアの情報にしても、
私達は、知らず知らずのうちに、その対策が刷り込まれていて、いざと言う時には
何だかの行動を無意識の内に取ると思われます。

起こった瞬間は、誰もが運命の様に、その脅威にさらされるのですが、

その数分後には、災害の後の行動として、それまで蓄積された知識や行動方法が
自然に私達を動かして行くのです。
私達日本人は、有史以来様々な災害に見舞われ、何千年に渡って、知識と経験が
伝えられ、防災と言う事に関しては、世界のどの国よりも冷静に対処できるのです。

東日本大震災の時、首都圏は、未曾有の交通マヒに襲われました。

直接の被害は少なかったものの、都内を移動する人々の足はことごとく失われ
多くの人々が自宅まで歩いて帰ると言う事態になりました。
しかしながら、その川の流れの様に続く人々の動きには、整然とした落ち着きが見られ
暴動も混乱も起こらないその姿に、世界のメディアは驚きの声を挙げました。

しかし、これは、私達がこのように歩こうと決めたのではなく、突然の災害に襲われたとき

私達日本人の心には、無意識の内に、周囲を気遣い、協力し合い、誰もが安全に
動ける様配慮する気持ちが現れるのです。
今回送られてきた冊子をどれだけの人が読むかはわかりませんが、殆どの人が
自分の好きな本を観たり、番組を観たりする時よりも、はるかに気乗りしないで
読むと言うより覗く程度と思われます。

ならば、こんな冊子は効果が無いかと思われるかも知れませんが、読む以前に

この黄色い本が送られてきたという事で、各自の心の中の防災のギアが一つ上がって
もしもの時の心構えとなっているのです。

最初のページを開くと、後30年内に、首都圏直下の大地震が来る確率が70%と

書かれています。
これは、30年後に来るかもと言うのではなく、明日来ても不思議ではなく、
首都圏に今住むほとんどの人が被災すると言う予言の様な警告です。
本来、人々の心を落ち着かせなければならない行政が、不安をかき立てる様な
極めて強烈な文を送りつけるという事は、本当に危機が迫っていると考えるのが
正解とも言えます。

でも、この冊子を手にしたから命が救われるとは言えません。

消防庁が発表した予想数字の中には、恐ろしい数の命が失われると書かれています。
その痛ましい犠牲者になる可能性が有るのです。
しかし、災害に巻き込まれた時、少しでも助かる為の知識が有れば、その犠牲者の中に
自分が入る確率が低くなるのです。

何処でその惨禍に見舞われるかは、誰にも解からない事ですが、その時、いかに冷静に

対処できるかが、その後の生きる道を決めると言っても過言では有りません。
首都圏直下型の大震災が起これば、東日本大震災の時の首都圏の時とは
比べものにならない想定外の事態が起こると考えられます。
どんな事態に巻き込まれても、そこから無事生還する為にも、日頃から冷静に対処できる
心構えだけはしておきたいものです。