めぐろのめばる

目黒川近辺で日本の四季を楽しみ、未来の日本を憂う。
かつての美しい日本と日本人がいかに素晴らしかったかを思う。

大晦日午後 

2012-12-31 17:51:07 | 日記
昼過ぎに知り合いからうち立ての蕎麦を送ってきた。
毎年年末になると自分でそば粉から練り上げ、まるで
プロが作ったかのように美しく仕上げてくる。

美味しい蕎麦を食べた後、新年を迎えるために
家中のガラスを磨いた。東京の小さなマンションの
掃除はあっと言う間だが、田舎の窓ガラスは広くて
多い。しかしながら年に一度の帰省で体験する
掃除は気持ちいい。両親と一緒に家中を綺麗に
していくと、自分の心も綺麗になっていくようで
充実感もひとしおだ。

新年と言えどもたった一日進むだけ。時間的には
なんの変化もないのだろけど、われわれ人間の
心には大きな節目となって働く。
後数時間後の決意が一年の喜びへと繋がって
行くことを願っている。

大晦日

2012-12-31 11:13:55 | 日記
前日までの雨も上がり、青い空に眩しい白い雲が浮いている。
田舎の大みそかは慌ただしさもなく静かだ。
時々行かう車の音とマーケットに集まる買い出しの人たちの
話し声が聞こえてくるだけだ。

ストーブの上に置いたヤカンのシュンシュンとした音が
部屋の中で暖かさを教える。
妻は台所で正月料理に忙しい。
父は今年一年の書類や郵便物の整理。
母は何やら病院でもらった薬の選別。
ただ静かに田舎の大晦日はカウントダウンしていく。

庭を眺めると赤いセンリョウとマンリョウの実が
散り始めた山茶花の花と共に色合いの少ない冬の庭に
鮮やかな色取りを添えている。
遠くの山々は白い雪に被われ、海に流れる大河の水は
深い暗青色の巨大な帯となってゆったりと流れていく。
すべてが大きな時の流れの中で確実に未来へと進む。
来年はどんな年になるのだろう。
来年のこの日に今日の様に静かに迎えたい。

大晦日前日

2012-12-30 23:45:58 | 日記
年末には珍しいほどのしっかりとした雨が朝から降っている。
故郷の冬は極寒の寒さがいつものパターンなのだが、今年は
雨も暖かいし気温も肌に優しい。

正月の準備のために昼から近くのスーパーへ買い物に行くと
年末商品が数多く並んでいる。何を買おうか迷うところだが
大体いつもの食品を買ってしまう。ただ地方のマーケットの
特性として地元商品が多く並ぶ。一つ一つ手にとって吟味する。

お店の人と言葉を交わすと都会では感じられない懐かしい暖かさが
快く私の心を温めてくれる。幼い頃から身に浸みた故郷の
温もりが蘇る。田畑も町の風景も一変してしまったが、人々の心に
まだあの頃の優しさが残っていることに肩の力が抜けた。

父が今年米寿を迎え母も年をとった。二人だけの数十年の生活が
我々の心を重くする。何も親孝行ができなかった情けなさと
まだまだ長生きして欲しいという我ままが心の中を駆け巡る。
父が酒を注ぎながら一言。酒を交わす相手と飲む久々の喜びを。
帰省をした時しか交わせない杯がいかに嬉しいか。 

二人で酌み交わす酒はウマいなー!

帰省

2012-12-29 22:40:01 | 日記
今年はいつもの年より一日早く帰省した。
最近は高速バスを使って田舎に帰ることが多く
今年も朝の9時に新宿を発ち故郷を目指した。

予定通りだったら大体3時過ぎにはバスの終着地に
到着するはずだったのだが、今年はちょうど帰省する
日が土曜日で一番混雑する日だった。
案の定東名高速は最初から数珠つなぎ、足柄インターの
手前から低速道路となってしまた。

静岡を抜けてからまたエンジン音がダウン、ゆっくり流れる
車窓の景色にもすっかり飽きてしまった。
予定していたパーキングエリアも渋滞に合わせて変更され、
小さなサービスエリアではあまりの人の多さで買い物すら
できなくなってしまた。

ようやく目的地に着くと3時間以上の遅れ、それから在来線に
乗り換えて故郷の我が家にたどり着いたときは、辺りはすっかり
闇に包まれ、東京ならば余り夜を感じないのに、我々の歩く
道路は明るくても周囲の景色は真っ暗で何も見えず、やっと
光の漏れる我が家に辿り着くとほっとするやら身体の力が
抜けていくやら、体中が狭いバスに閉じ込められたストレスで
疲れきってしまた。

だが、故郷の我が家に帰って懐かしい味付けの料理に舌鼓を打つと
疲れていた体もどんどん回復、やっぱり帰省は良いものだ。
だが、父も母も確実に老化している。あまり親孝行ができていない
これまでの人生が心の中のプレシャーになりつつあるのも事実だ。
寂しさや孤独に耐え子供たちの我ままにじっと耐えて歳を重ねる
二人に心から感謝したいし謝りたい。

新しい手帳

2012-12-27 13:23:25 | 日記
あと数日で新年を迎える。
簡単に言えば、来週の火曜日には新しい年が始まる。

先日街に出て来年の手帳を買ってきた。
毎年買う定番の厚めの手帳だ。
かなり気に入ったもので、毎日書いていても
疲れないお気に入りの手帳だ。

だが、傍らにある同じ種類の今年の手帳は、一月
二月の紙面は沢山の文章で埋め尽くされているのに
六月を超えるころから全く書いた形跡がない。
単に忘れてしまったと言えばいいのかもしれないが
今の時期の決意からすると、なんとも恥ずかしい内容だ。
ならば半年のページでいいのではと思ってしまう。

この事は日常的に計画するスケジュールにも当てはまる。
計画を立てて半分は満足してしまい、完結に至らない
情けない結果に終わることが多い。

いつもながら来年こそは今年こそはと思っている。
それは今の自分が来年も当たり前に在ると錯覚して
いるにずぎない。
現実的に未来が見えなくなったときに初めて自分の
思いが実現していくと思う。
未来が見えなくなると、人はときに自分を殺めたり
他人を傷つけたり、自分の未来にマイナスとなっていく
方向に行ってしまう。
その選択は天国と地獄。来年はこの時を迎える。
未来を創る新しい年が始まる。