めぐろのめばる

目黒川近辺で日本の四季を楽しみ、未来の日本を憂う。
かつての美しい日本と日本人がいかに素晴らしかったかを思う。

日本の若者たちの苦悩

2017-06-16 16:29:37 | 日本人

現在、100歳以上の高齢者は、65000人を超えて、今後さらに
日本は、高齢者たちで溢れる事と成ります。
出生率は、相変わらず低く、日本人は、世界的に若者たちの少ない
老人大国と成って来ています。
街を歩けば、中高年が常に目に付き、子供たちの歓声が聞こえる事は
学校以外殆ど有りません。

多くの老人を少ない若者たちが支えて行く日本の未来は、決して豊かとは
言い難く、いずれ、日本中が生産性を失った貧しい国へと陥落しかねない
非常事態と成っているの言えます。

そんな高齢者たちは、一体どうやって余生を過ごしているのか、
確かに、国家からの援助を受け、地方自治体や民間福祉団体の力を受けて
それなりに生活をしているのでしょうが、高齢者に対する福祉対策は
目に付くものの、若者たちに対する援助があまりにも少ない事が気になります。

一見、若い人は何でも仕事が有り、元気に生活している様に思えるのですが、
実際は、思ったような職に就けなかったり、経済的な基盤を持つことが出来ず、
日々の生活に苦しんでいる者が非常に多く、高齢者以上に、生活を助けるべく
国を挙げて対策を講じる必要があります。

決して働く能力が無いわけでなく、高等教育を受けていながらも、学校卒業後
社会に自分の居場所が見つけられない若者は非常に多いのです。
かつては、有名大学を卒業すれば、給料に恵まれる会社に入れると言う、
努力の結果を信じられる社会でしたが、今や、どんなに有名大学を出ても
職に就くことが出来ない若者が増えています。

また、不景気による若者たちの教育費が家庭に与える影響は大きく、
家族からの出資が期待できず、奨学金により何とか学業を終えた若者が
年々多くなっています。
所が、彼らは、例え就職できても、その奨学金を返すために、長きに渡り
新たなる苦しみを負う事と成り、決して余裕のある生活が出来ているとは
言えないのです。

社会に出て、一生懸命働こうも、日々の生活を維持するだけで精一杯の若者が
高齢者を支えて行くだけの生産性を生み出すとは考えられないのです。
自分の生活で精一杯の若者が、毎年増えて行く高齢者の食を満たしていく事は
これからの日本社会にとって、お互いの生活を苦しくする負の連鎖を
生む可能性が有り、日本社会が一気に衰退する可能性も有るのです。

これ程にも今の世の中が低迷して荒んできていると言うのに、一方では、
お金の使い道に苦慮する程の人々が居て、国民の税金を使いながら
一生懸命保身に走り、呆れる弁明を繰り返すリーダー達が居る事に
日本国民は、未来を夢見る事も、生活を豊かにすることにも
疲れ果ててしまっているのです。

一体、この国は、何処に向かて進んでいるのでしょう。
経済を復活させれば、日本人の未来は保証されるとでも言うのでしょうか。
美味しい餌を与えられれば、日本人は満足するとでも思っているのでしょうか。
金の亡者たちの喜びは、経済的に豊かな生活でしかないのかもしれませんが、
多くの日本人が求めているのは、人間として、心豊かな生活なのです。
経済的に豊かになる事は、手段であって目的ではないのです。

今や、日本人としての、人と人との関わり合いは、氷河期と言ってもいいです。
人を踏みつけ押しのけても、人の上に立てば、自分の欲望が満たされる風潮は
リーダー達の姿そのものと言えます。
自分達の思いを遂げる為には、どんな手段を使っても構わないとする態度は
如何に彼らが、民主主義国家とは逸脱した精神の元、国民の代表として
罪悪感すらなく、権力の座に胡坐をかいているかと言う事実を示しています。
聞く耳を持たないものが、国民のリーダーとしては有り得ないのです。

しかしながら、一体どうやって、この日本の窮地を乗り越えて行けば
良いのでしょう。
新たなる法律が施行されれば、日本人はお互いに益々孤立化を強いられ、
更には、保身のために相互監視をしたりと、かつての恐怖の時代すら
心配されます。

戦後、日本は、様々な非民主主義の態勢から立ち直り、国民主権の
民主国家として成長してきたはずです。
しかしながら、一方で、経済的独裁は日本国民の経済格差を一段と高め
自由平等の世界から一部の富裕層に支配される、持てる人と持たざる人の
二極化の社会が一段と強くなって来ました。

国の政治も、彼らの意向が強く浸透し、社会構造自体が、豊かな人々に
便利で有利な社会と成って来ているのです。
この事は、アメリカ社会とよく似ていて、同じ経済路線を辿る事で
経済大国として進歩したとは言えますが、国民は、経済発展の中心と成って
莫大なる財を成した者と、庶民が多くを占める、低所得層とに分かれ
この問題が、大統領選挙の行方を左右したともいえるのです。

経済を優先する大統領が生れた様に、日本に於いては、経済を優先する
政治家が同じような考えで政策を打ち出しているのですが、一向に
国民の生活が良くならないのは、この政策が、常に、企業優先と成って
国民を置き去りにしているからと言えます。

そのリーダー自体の実態が暴露されて揉めているのが昨今の茶番劇であり
その対応の見苦しさは、日本中にリーダー不在を実感させる事と成ったのです。
しかしながら、この苦肉の策で、何とか追求を免れたとしているかも
知れませんが、彼らは、一体誰から批判されているのかが解っていません。

国会内での攻防、各メディアからの追求、有識者の批判等、表舞台で
華々しく否を唱えた方々と戦っていたと思っているのでしょうか。
政治的手段を講じて、何とかやり過ごしたと考えている様では
ますます、一国のリーダーとしての資格は有りません。

彼らに一番批判的であるのは、今の働いている若者達であり、
これから社会に出て行こうとしている学生たちなのです。
未来に絶望し、現実社会に生きる事に苦しんでいる者達なのです。
一連の茶番劇に対して、彼らの意見はメディアに殆ど出て来ません。
しかし、彼らの心は、怒りで煮えくり返っているのです。

何故なら、一番人生の中で楽しく夢のある時期を、年寄りたちの
我欲と我儘で、台無しにされているからです。
日本中に溢れる年寄りを生かすために若者は働いているのでは
無いのです。自分の人生を築く為に働いているのです。

外見的な近代国家を見せつけられても、自分自身の生活が
思うようにならない様では、国の為に働くことなど出来ないのです。
若者たちは、直接彼らを否定する力も権力も有りません。
今、彼らが行っている事、それは、人間を否定する最大の行為
それは、シカトです。
いじめに代表されるこの行為は、実際の暴力よりも卑劣で陰湿であり
人間そのものの存在否定を行う事なのです。

つまり、若者たちのリーダー達への批判は、論議に値しない、
その存在すら感じられない程であり、日本を代表する人達とは
全く微塵にも思っていないのです。
彼らは、今の社会に極めて否定的です。ただ、近隣諸国の学生の様に
行動に移していないだけなのです。
今の若者たちが社会の中心と成って来た時、現在の体制は、日本の中で
存在価値も理由も無く、もしかすると、未来の政治は、これまでのものとは
思ってもみない物と成るかもしれません。

おりから、人間の日常生活から社会生活から、全てのものが、近い将来
AIに取って代わられるとされます。
全ての社会機能を円滑に機能的に行うためには、今の大人たちの作った
旧来からの方法は全て葬り去れれる可能性が有ります。
時間とお金ばかりが掛かる今の議会政治は、AIによって、全て瞬時に
決定され、人間が議論する余地すらなくなってしまうかも知れません。

今の人類が作る社会は、地球に生きる生物にとって非常に危険で無駄が多く
将来の地球を考えれば、人間は必要ないのかも知れません。
地球環境を破壊し、人類同士も常にトラブルを起こし、お互いに傷つけあい
その存在すら他の生物にとって悪の根源ともいえるのです。
核戦争で死滅するか、AIに抹殺されるか、いずれにせよ、地球を傷つけ
生き物達を絶滅に追いやる人類は、この世から消え去る運命なのかも
知れません。