雑文の旅

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猫爺の連載小説「池田の亥之吉」 第二十回 消えた望みの綱

2013-10-26 | 長編小説
 箱根で知り合った母子は、近江の国から武蔵の国は川崎の叔父を頼って行くところであった。 女の子は人懐っこい性格らしく、もう亥之吉と政吉に懐いていた。
   「お嬢ちゃん、年は幾つ」 政吉が女の子に声を掛けた。
 女の子は、白い小さな掌の親指を折り、四本の指を立てて政吉に見せた。 四歳である。 これは数え年と言って、正月ごとに年を重ねるもので、現在の誕生日ごとに年を重ねる満年齢に直すと、三歳になる。
   「お名前は」 政吉が重ねて問うと、「お由(およし)」と答えた。
   「おっ母ちゃんの名前も言えるかな」と、今度は亥之吉が尋ねると、「お幸(おゆき)」と、しっかり答えた。
   「お幸はん、見れば商家の若奥様のようですが、何でこんなに小さなお子連れで旅を」 亥之吉が問うてみた。
   「はい、実は…」 お幸は、話し始めて直ぐに涙が溢れて、黙り込んでしまった。
   「えらいすんまへん、どうやら辛いことがおましたのやな」 
   「はい」
   「かまへん、かまへん、言い難いことやったら、言わんでもよろしい」
   「いえ、どうぞお聞きください、聞いて頂いたら、きっと気持ちも落ち着くことでしょう」
 お幸は、ゆっくりと話し始めた。  お幸は武蔵の国の農家に生まれたが、父と母が次々と病に倒れ、叔父に引き取られて育てられた。 四年前に近江の国の米穀商の若旦那とひょんなことから知り合って、近江へ嫁いだが、姑に百姓の娘と罵り嫌われた。 意地の悪い仕打ちには堪えてきたが、娘のお由が生まれたことで、「女の子要らん」と、ますます虐めが酷くなった。
 お幸は、お由の為だと、歯を食いしばって耐え忍んできたが、一ヶ月ほど前に大変なことを仕出かしてしまった。
 掛取りに行った帰り道、道端で若いやくざ風の男が行き倒れているのを見つけ、もう幾日も食べていないと言ったので、憐れと思い掛取りで預かってきた金子(きんす)の全てを、後先も忘れて与えてしまったのだ。 お店に戻り、ことの一部始終を打ち明けたが、姑と夫が激怒して殴る蹴るの暴力を奮われた。
 それでも自分が悪かったことを謝り、許されないまでも必死に働くことで事なきを得たと安堵した矢先、夫が女を連れて戻り、この女を妻にするからと三行半(みくだりはん=離縁状)を叩き付けられた。
 夫の言い分は、お前は行き倒れなどと言っているが間男に違いない、お由も誰の子か知れたものではないと、お由共々着の身着のままで放り出されたのだった。
   「私は間男などしていません」
   「そうやろ、そんな暇なんか与えられなかったと思います」
 亥之吉も、貰い泣きしそうなところ、ぐっと堪えて涙は見せなかったが、政吉はしっかり泣いていた。
   「その旅人とは、その後逢っていないのですか」
   「はい、旅に出た後も、見かけていません」
   「そうですか、その男は名前など告げなかったやろな」
 もし、名前が分かれば、近江へ連れて行き、せめてお幸さんの名誉のために間男が事実無根であると証言させようと思ったのだ。
   「お名前は伺いました、浪花で雑貨商を営む福島屋の長男、圭太郎さんと仰いました」
 亥之吉は何と言う偶然かと驚いた。 圭太郎は一ヶ月前に生きて近江の国に居たのだ。 しかもお幸に金子を恵んでもらい、もしかしたら無事に江戸へ着いているかも知れない。 圭太郎も、商人の血を引いている。 江戸へ行けば、何とか真面目に働いて元気にやっているに違いない。 そして、金を稼ぎ、近江の国のお幸さんに、恩を返そうと頑張っているだろう。 もし、そんなことも忘れて、悪い女に引っ掛かり、やくざ絡みの危ない仕事に手を出していたなら、圭太郎という男は見込が無いと判断せざるを得ない。 その時は、亥之吉がお幸さんの身が立つようにしてやろうと、密かに誓った。
   「お幸さん、聞いてください、その圭太郎という男は、私が探している男なのです」
   「えっ」
 お幸も驚いて、内心を打ち明けた。
   「実は、もしかしたら私はお金をだまし取られたのかも知れないと一時は疑いました」
   「圭太郎は、私の奉公するお店の若旦那です、決して詐欺などはしまへん」
   「亥之吉さんのお言葉で、すっかり疑いは消えました」
   「ありがとさん、安心しとくなはれ、わいがお幸さんの名誉を回復してみせます」
   「私の名誉など、どうでも良いのです」
   「いいえ、あきまへん、お由ちゃんの為でもあるのでっせ」
   「お心使い、有難うございます」と、礼を言って、お幸はまた泣いた。
 お幸は、亥之吉に囁いた。
   「ご親切にして頂いたのに、何もお返しが出来ません、私はもう亭主の居ない独り身です、どうぞよろしかったらこの体でお返しさせてください」
   「お幸さん、アホなことを言ってはいけません、わいはお幸さんを圭太郎の嫁にしたいのです」
   「そんな夢みたいなことが叶うわけがありません」
お幸は、子持ちの自分が商家の嫁に納まるなど、夢にも考えてもいなかったことなのだ。
   「わいは圭太郎の妹を妻にしとります、お幸さんは、わいの義姉(おねえ)はんになって貰いたいのです」
   「はしたないことを言ってしまいました、どうかお忘れください」
   「お由ちゃんの為にも、気をしっかり持って、待っていておくれやす」
 お由は、政吉に甘え心が出てしまい、政吉に負んぶをせがむことが多くなった。 政吉もまた、お由のことを妹のように可愛がった。 亥之吉が気に入らないのは、お由が政吉のことをお兄ちゃんとよぶのに対して、亥之吉のことはおじちゃんと呼ぶ。 歳は四歳しか離れていないのに…。
 政吉は、自分がお由の父親になってやってもいいと考えているようだった。 お幸の前で、お由に「お父っちゃんと呼んでもいいよ」と、盛んに惹きつけている。
   「お前なあ、お店に入らずやくざになる気やろ」 亥之吉が言った。
   「へい」
   「ほんならあかん、子持ちのやくざなんか、やくざとしても、父親としても中途半端や」
   「そうかなぁ」
   「出入りがあれば、いつ殺されるかわからん、親分や兄ぃに代わって、いつ鉄砲玉にされてお仕置きになるかも知れん」
   「そやなァ」
 政吉は、いちいち相槌を打つが、どこまでわかっているのか分からない。 そこはまだ子供である。
 漸(ようや)く江戸に近くなり、川崎の宿場に着いた。 川崎と言ってもお幸の里は、山深い農村であった。 叔父が迎えてくれたが、離縁されたと聞き、どうも不満顔だった。 子連れの出戻りは、とかく村の噂になる。
   「こちらさんがたは」
 叔父が亥之吉と政吉を見て言った。
   「旅の途中で助けて頂いた方々で、ここまで送って下さいました」
   「それは、それは、有難う御座いました」
   「お幸さんは、わいの奉公しているお店の若旦那が行き倒れているのを憐れと思い、金子を与えてくれたのが原因で離縁されたのです」
   「そうでしたか、この子は気の優しい娘で、困っている人を放っておけないのです」
   「わいは、これから江戸へ行き、若旦那を探し必ず恩を返し、お幸さんの身が立つようにさせます、どうか待っていておくなはれ」
   「よく分かりました、よろしくお願い致します」 叔父の顔が一安心したようにほっと緩んだ。  政吉と別れるとなると、お由が泣いた。 「お兄ちゃんと行く」と言うのを宥(なだ)める政吉も、辛そうであった。
 街道へ戻りがけ、亥之吉は政吉にいった。
   「今度は政吉の親探しや、豊岩稲荷と、菊菱屋が鍵やで」
   「へい、ありがとうさんでおます」
 更に一泊して、江戸は日本橋に着いた。 江戸は広い。 行く人毎に尋ねたが、「豊川稲荷なら知っているが、豊岩稲荷は知らない」と言われ続けた。 従って、菊菱屋が、何の店かも分からず、途方にくれる亥之吉と政吉であった。
 ところが、「新両替町」即ち、通称「銀座」に小さいながらも由緒ある稲荷神社があり、それが豊岩稲荷だと教えてくれた人が居た。 二人は喜び勇んで銀座へ向った。
   「ここや、豊岩稲荷神社と書いてある」 政吉は、心が逸っている。
 強力な情報が掴めた。 十数年前に菊菱屋というお店がこの地にあった。 小さな呉服屋で、京友禅を扱っているお店であった。 だが、二歳の一人息子が神隠しに合い、狂ったようにお店そっちのけで夫婦して辺りを探し回り、見付からないと分かると、店をたたんでお遍路の旅に出たそうである。
   「政吉、がっかりするな、お父っつぁんも、おっ母さんも、きっと何処かで生きている」
   「へい」
 政吉は、お店があった辺りを教えて貰い、懸命に何かを思い出そうしている様子だった。 だが、二歳である。 そのころの二歳は、まだ這うことしか出来ないか、よちよち歩きの幼児である。 記憶に残っている訳がない。 それでも、政吉は必至で辺りを見て廻った。
   「なあ政吉、お父っつぁんとお母さんが、もしかしたらここへ戻っては来て、近所の人に政吉が訪ねて来なかったか訊きに来るかもしれん」
 二人は菊菱屋を知るお店を廻って、「もし来たら、浪花の道修町にある福島屋に手紙で連絡してほしい」とお願いした。 京極一家では不審がられると思ったからだ。 帰りに豊岩稲荷にお参りして、新しいお守りを買った。 途中、飛脚屋により、妻のお絹に圭太郎のことを知らせ、政吉の両親から連絡があれば、知らせてくれと付け足したが、よく考えたら自分の所在が定まらないので、お絹は手紙の出しようが無いだろうと、京極一家へ知らせてくれと書き直した。
 政吉は、親たちが何故店をたたんだのか、思えばそれが悔しかった。 もし、店を続けていてくれたら、今、再会を出来ていたのだ。 政吉は下を向いて歩いているが、肩の震えから泣いている様子が察しられた。 亥之吉は、慰めの言葉が出て来ない自分が情けなかった。
   「政吉、これからどうする」
   「兄貴に付いて行きたいどす」
   「そうか、わかった風来坊の若旦那探しはもっと難しいから、政吉が居てくれたら助かるわ」
   「やくざの一家をまわりましょうか」
   「偽物の旅鴉やさかい、いつ出入りがあるか分からんとこへ、よう行かんと思う」
   「行く宛はないのどすか 友達とか、お店関係の人とか」
   「無い、そやけど政吉、日本橋に着いたのが夕方やったとしたら、日本橋の近くで旅籠をとるやろ」
   「へい」
   「ほんなら、そこを拠点にして、銭が底を突くまでに必死に仕事を探すと思う」
   「そうどすなぁ」
   「若旦那は何か商売をするか、女の紐(ひも)になろうとするやろ」
   「紐とは何どす」
   「女に働かせて遊んで生活する男や」
   「うわ、かっこええ」
   「アホ、かっこ悪いわ」
   「働かんと遊べるのどっせ」
   「そんなもん、男の恥や」
   「わいは憧れる」
   「勝手に憧れとけ、そやけど、若旦那は男振りはわいより落ちるし」
   「紐は、男前やないとあかんのか」
   「そや、女に惚れられんとあかん」
   「ほな、わいは紐にぴったりや」
   「どついたろか」
 何か情報が掴めるかも知れない。 二人は日本橋に向かった。 今夜は日本橋で旅籠をとる積りである。

  第二十回 消えた望みの綱(終) -続く- (原稿用紙14枚)

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