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同じような経験は「カスリーン・フェリア」、ブラームスの『四つの厳粛な歌』をラジオで聴いたときにも。
名を憶えるのが苦手なので、必死で憶えることがあります。
今回の展覧会のことは知らなかったので、明日が最終日、残念、明日はネパール人と南ア人を夕食に招いているので、出かけられない。
モザイクの象と動物の絵は静岡県立美術館で見て、飛び切り楽しい絵ですね。
まとまって若冲を観たのは初めてだったので、感動しました。
ところで、ドナルド・キーンが<キャスリーン・フェリアー>(キーンの表記です)を、1948年からケンブリッジに留学した際に、何度もコンサートで聴き、1953年のフェリアー最後のコンサート『オルフェオとエウリディーチェ』の、予定されていた全5回のうち3回目の切符を買っていたのが、フェリアーが2回目まで出演して倒れ、キーンはついに聴くことができなかったということを知りました。
1986年にキーンが『朝日』に「ケンブリッジのキャスリーン・フェリアー」と題して書いたものが、彼の『私の大事な場所』(中央公論新社、2005年)に載っています。
すばらしい文章ですよ。
私はバーンスタイン。大学院、アルバイト、子育てなどで余裕のなかったので、今度は最後かもしれないと、切符を手に入れようと思ったけど既に売り切れ。Taが仕事の関係で、冠コンサートのを2枚手に入れてくれた。その頃出来立ての横浜アリーナ。でも、バーンスタインは東京、横浜コンサート(本来こちらはおまけ)の前の札幌での太平洋交響楽団(という名だったか?)の指導と指揮活動で体力を使い果たしてしまったようで、サントリーホールもYアリーナも佐渡洋(だっけ?)に任せて帰国せざるを得なかったようです。真夏だったと思いますが、その10月に訃報が報道されました。
僕は逆に、不世出のカウンター・テナーのアルフレッド・デラー率いるデラー・コンソートの演奏を日比谷音楽堂で聴けたことや、クリーブランド交響楽団を率いて来日し、帰米した直後に急逝したジョージ・セルの、モーツァルトの40番の信じがたいような名演を聴いたことなどの、幸運を思い出しました。
先年、NYに着いた晩に真っ先にカーネギーホールに行ったのですが、クリーヴランド・フィルの来演だったのですが、当日券を買いたいと思ったけれど、どこにティけってお売場があるのか見つけられなくて、既に、開場後で入場者がひっきりなしに入っていく中で、知らない土地、知らない場所で、人の流れをかき分けて当日券の売場を探すのも面倒になって、次の機会に、と諦めて、椿さんが教えてくれたカーネギーデリに行って、馬鹿でかいサンドウィチェなどで夕食、店主の自慢話で色々な演奏家達のことを聴いて、、、クリーヴランド・フィルとのニア・ミスの憂さ晴らしになりました。
日比谷公会堂でまともな音楽会の開かれた最後の頃だったと思います。
セルはマーラーの一番も聴きましたが、モーツァルトの40番がなんと言っても名演でした。
その実演盤以外のセルの40番の演奏では聴くことのできない、あの冒頭の旋律が微妙にテンポを揺らしながら流れ始めたときの、瞬時に心臓を鷲づかみにされたような感動を、今も忘れることができません。