雪の朝ぼくは突然歌いたくなった

2005年1月26日。雪の朝、突然歌いたくなった。「題詠マラソン」に参加。3月6日に完走。六十路の未知の旅が始まった…。

100226 日々歌ふ

2010-06-26 23:27:36 | 日々歌ふ

―<「伊藤若冲 アナザーワールド」展(千葉市美術館)を観て>

天才の画業をつひに実物で確かめ得たり彼の若冲の



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6 コメント

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伊藤若冲 (Fou)
2010-06-27 01:14:09
という名を何度も何度も繰り返して記憶して、以来忘れることなく保持できましたが、初めてこの画家を知ったのは80年代?に国立博物館で日本画の大展覧会があったときでした。「月夜白梅図」この一幅の絵だけしかこの展覧会で見た作品を憶えていないほどの深い印象をうけました。そして名を繰り返しおぼえたのでした。
同じような経験は「カスリーン・フェリア」、ブラームスの『四つの厳粛な歌』をラジオで聴いたときにも。
名を憶えるのが苦手なので、必死で憶えることがあります。
今回の展覧会のことは知らなかったので、明日が最終日、残念、明日はネパール人と南ア人を夕食に招いているので、出かけられない。
モザイクの象と動物の絵は静岡県立美術館で見て、飛び切り楽しい絵ですね。
「月夜白梅図」もありましたよ! (髭彦)
2010-06-27 14:58:16
今回は墨絵が中心でしたが、やはり若冲は只者ではありませんでした。
まとまって若冲を観たのは初めてだったので、感動しました。
ところで、ドナルド・キーンが<キャスリーン・フェリアー>(キーンの表記です)を、1948年からケンブリッジに留学した際に、何度もコンサートで聴き、1953年のフェリアー最後のコンサート『オルフェオとエウリディーチェ』の、予定されていた全5回のうち3回目の切符を買っていたのが、フェリアーが2回目まで出演して倒れ、キーンはついに聴くことができなかったということを知りました。
1986年にキーンが『朝日』に「ケンブリッジのキャスリーン・フェリアー」と題して書いたものが、彼の『私の大事な場所』(中央公論新社、2005年)に載っています。
すばらしい文章ですよ。
読んでみます (Fou)
2010-06-28 01:13:25
ありがとう。
私はバーンスタイン。大学院、アルバイト、子育てなどで余裕のなかったので、今度は最後かもしれないと、切符を手に入れようと思ったけど既に売り切れ。Taが仕事の関係で、冠コンサートのを2枚手に入れてくれた。その頃出来立ての横浜アリーナ。でも、バーンスタインは東京、横浜コンサート(本来こちらはおまけ)の前の札幌での太平洋交響楽団(という名だったか?)の指導と指揮活動で体力を使い果たしてしまったようで、サントリーホールもYアリーナも佐渡洋(だっけ?)に任せて帰国せざるを得なかったようです。真夏だったと思いますが、その10月に訃報が報道されました。
佐渡裕ね… (髭彦)
2010-06-28 22:18:51
そのバーンスタインの代役を務めた佐渡裕が、来年ベルリン・フィルの客演で振るということです。
僕は逆に、不世出のカウンター・テナーのアルフレッド・デラー率いるデラー・コンソートの演奏を日比谷音楽堂で聴けたことや、クリーブランド交響楽団を率いて来日し、帰米した直後に急逝したジョージ・セルの、モーツァルトの40番の信じがたいような名演を聴いたことなどの、幸運を思い出しました。
デラー、ね (Fou)
2010-06-29 23:17:46
私は残念ながら、「見送り」時期でした。セルは同じ来日時に私も文化会館で聴きました。あなたも聴いていたとは知らなかった。チャイコフスキー「6番」だったと思う。別の日か同じ日かゴチャゴチャになってしまったのですが、プレヴィンorプレートル(この二人の名がいつもゴチャゴチャになる)がシューマン(ラインかな?)を振ったのですが、セルを聴いた後だったので、シューマンの交響曲がみすぼらしく思えたことだけが印象煮の香っています。
先年、NYに着いた晩に真っ先にカーネギーホールに行ったのですが、クリーヴランド・フィルの来演だったのですが、当日券を買いたいと思ったけれど、どこにティけってお売場があるのか見つけられなくて、既に、開場後で入場者がひっきりなしに入っていく中で、知らない土地、知らない場所で、人の流れをかき分けて当日券の売場を探すのも面倒になって、次の機会に、と諦めて、椿さんが教えてくれたカーネギーデリに行って、馬鹿でかいサンドウィチェなどで夕食、店主の自慢話で色々な演奏家達のことを聴いて、、、クリーヴランド・フィルとのニア・ミスの憂さ晴らしになりました。
デラーのコンサートは… (髭彦)
2010-06-30 12:09:50
舞台に置いたテーブルを囲んでデラーを含めた4人の歌手が向かい合って座り、テーブルに置かれた大きな一枚の楽譜を見ながら歌うという、おそらくパーセルの時代に倣ったユニークなものだったので、特に印象深く覚えています。
日比谷公会堂でまともな音楽会の開かれた最後の頃だったと思います。
セルはマーラーの一番も聴きましたが、モーツァルトの40番がなんと言っても名演でした。
その実演盤以外のセルの40番の演奏では聴くことのできない、あの冒頭の旋律が微妙にテンポを揺らしながら流れ始めたときの、瞬時に心臓を鷲づかみにされたような感動を、今も忘れることができません。

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