0010110 ハートの贈りもの―2020―黄金時代08年 

2020-光あふれるニューアースを共同創造し、さらにアセンションを目指します。ワンネスを体現していきます。

あなたは、”じっちゃん”の愛が受け取れる次元にいますか?(5/17 追加)

2016-05-17 21:43:43 | 二元性を超える
5/17 追加: 昨日、この記事を載せた後、これを読んだご本人のクライアントさんからメールをいただきました。とても感動的な内容です。さらなる気づきをシェアしてくれました。こちらに付け加えてありますので、ぜひ、お読み下さい。


ネガティブは、ポジティブに変えられる。というか、ポジティブは、ネガティブからしか生まれない。

以下は、地震後の私たちに宛てての”じっちゃん”からの一連のメッセージの一つです。だと、私は理解しています。

”祝祭”セッション、コンシャス・チョイス、お誕生会瞑想、それに霊導者さんを通じてやってくるメッセージは、すべて連動しています。

私たちはこんなにも励まされている。

今、私が見ている世界においては、陰影こそが美しい。陰影こそが、愛だと思う。いつも、背中にじっちゃんを感じます。

あなたは、どのリアリティにいますか? どのタイムラインを歩いていますか?

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なるでこ様

遅くなってしまいましたが、2016/4/2のセッション・レポートをお送りします。
まずは、私の気づきを助けてくださりありがとうございました。
また、過去から直近までカウンセリングやセッションをシェアリングしてくださった方々にもお礼を申し上げたいと思います。なるでこさんと同様、私の気づきの助けとなっております。本当にありがとうございました。
セッション申し込み当時は、「アセンション」に対する焦りがありました。知識や情報の収集は進めていたものの、内観や気づきがまだまだ全然出来ていません。未解決のカルマはないか、今生の課題はないか、他にやるべき事がないか、気づきもないような気がして、もやもやしていました。生活や仕事は、総じて恵まれている方なのだと思います。三次元的な特筆すべき問題は思い浮かびません。ただ、本当の自分に気づきたい、生きる目的が知りたい、現世の課題が知りたい、多次元の自分を知りたい、ライフワークを知りたい、とにかく、アセンションに向けて自分の課題、為すべき事、どんな努力が必要なのか、早く早く知りたいとセッションに向かいました。

なお、以下セッション中、全く想像もしていない、まだ記憶に新しい歴史上の出来事があったこと、また、私にとってはかけがえのない、既に亡くなってしまった親友が同場面に出てきたことにより、このレポートを完成させるのに随分時間を要しました。どこまでシェアしようか、また、ご不快に思われる方もいらっしゃるのではないかといろいろ考えた結果、詳細は大幅に省略させていただくことにして、主に私の気づきをシェアさせていただければと思います。ご容赦ください。もし、なるでこさんの方で補足がありましたら、もちろん、是非是非お願い致します。

セッションでは、白い獅子に導かれて、三つの多次元の私を見させていただきました。

一つ目は、古代イスラエルか古代エジプト。シリウスから得た情報を日々の知恵として民に伝える男性に師事した女性、アイサさん。この男性を教師として大変尊敬しており、彼女自身もその後、教師から受けた教えを引継ぎ伝えています。一生を独身で過ごしますが、平穏で幸せだったようです。アイサさんは、シリウスと先生からたくさんの知恵を授かったことに大変感謝しているようでした。最後は、祈りの場で、自らの魂が相応しい場所に導かれることを祈って人生を終えました。

ここでのメッセージは、「自然がすべて教えてくれる」、「与えられるままに」でした。未知の時代の、大変興味深い場面でした。

二つ目は、第二次世界大戦中、占領下のハンガリー。強制収容所に連行され、大変若くして一生を終えたユダヤ人女性、マリアさん。

この場面では、マリアさんと同じ収容所で一緒に亡くなる同級生の女の子がいるのですが、私の現世の親友でした(現世では既に他界)。また、マリアさん、同級生の女の子と、いつも三人一緒で、とても仲良くしていた同級生の男の子が、現世の夫でした。マリアさんの姉は、現世の従姉。マリアさんのお母さんは、現世でとっても慕っていた会社の元同僚。ここの場面で出てきた現世の知り合いは皆、私にとって大好きな人たちばかりというのが、悲しくもとても印象的でした。

マリアさんと同級生の女の子(現世の親友)とは、学校から職場、命を落とす場所まで生涯を共にしました。家族、仲の良かった同級生の男の子は行方知れずでばらばらになってしまいますが、皆同じ運命をたどりました。

ここでのメッセージは、「現世で再会できたことを喜んで」「人生をただただ楽しんで」「楽しいことは悪くない」でした。ここでの気づきは、後程、改めて述べますが、大変深いものになりました。

三つ目は、地球人を覚醒させるための調査・研究をしているプレアデス女性、ハルさん。新米研究員で、研究室のリーダーや先輩から指導を受けながら右往左往しています。私のパラレルですね。納得です。今の私の頼りなさとシンクロします(汗)。

ここの研究室のリーダーさん、有名人の方に大変似てらっしゃいます。・・・やっぱりご本人のよう(笑)。ご迷惑がかかるといけないので、お名前は伏せさせていただきます。すみません。現世の弟の音楽の仕事関係者。実際に、弟の職場においてもリーダーであるお方です。なるでこさんには事前にこの方のお名前をお伝えしておりました。
「○○さん、まさかそこにいないよね??」となるでこさん。
「・・・いえ、それが、いるんですよね、○○さん。」と私。・・・これって、私の想像??創造??妄想??心が折れる瞬間でありました。
「いるのね!!、じゃ、プレアデスだよね?」となるでこさん。
「はい、プレアデスです。」と私・・・・。もう、なんか、そのまんまじゃん!と再び心が折れました(泣)。

ここでもたくさん興味深い場面を、詳細に見させていただきました。
新米研究員ハルさんからのメッセージは、「頑張ります」、・・・でした。はぁ、頼りない。苦笑するしかありません。
さて、最後は「じっちゃん」による解説をいただきました。最初はなんとか光を感じることができ、更になるでこさんの誘導に助けを借りて、出てきたお姿を捉えることができました。なぜか、白いスーツを着た長髪でお髭をたくわえた素敵な男性。素敵です。今回は、「John」と呼んでくれと・・・。私の妄想がそうさせてるんですかね・・・。お恥ずかしい限りです。
気を取り直して(笑)、今回の三つの私の多次元を見せてくれた理由をそれぞれ以下のように述べてくれました。
一つ目は、「自然を思い出して欲しかった。自然が教えてくれる。委ねることが大事。」
二つ目は、「体験に意味がある。赦しなさい。体験は大したことではない。今回の人生の課題は、人生を楽しむこと。」
三つ目は、「学びの過程を楽しみなさい。難しく考えるな。答えは性急に求めなくてもよい。」でした。

そして、お願いしていた私のランプの詰まりですが、じっちゃんはこの時は取ってくださいませんでした。残念でしたけど、身近にヒントがあるんだよと教えていただきました。

ここまででも私は十分な気づきを得ることができたのですが、やはり、二つ目の場面がどうしても気になってしまい、なかなかレポートを進めることができませんでした。その後、熊本での地震があり、レポートは完全に中断してしまいました。

「楽しみなさい」「赦しなさい」「体験は大したことではない」、これらのキーワードが、簡単なようで、難しくなってしまったのです。ユダヤ人のマリアさんが引き受けてくれたことをもう一度考えてみようと思いました。

それから、「ハートの贈り物」で連日アップされた、なるでこさんと霊導者さんとの対話、「コンシャス・チョイス」でのセッションのシェアリングが気づきの助けとなり、上記のキーワードの意味がよくわかりました。今では本当にその意味が理解できたと思います。

ネガティブ、ポジティブ、どのような言葉でもいいのですが、マリアさんの体験したことは、マリアさんの多次元体である私の視点からすると、全くネガティブではありません。
マリアさんが辛かったのは、本当に最後の一場面だけ。多次元体の私は知っています。
マリアさんはとてもキラキラした素敵な青春時代を過ごしていて、とても楽しそうに無邪気にすごしている場面を私にたくさん見せてくれました。マリアさんは、この場面もとても重要だと伝えていました。

ネガティブを知らなければ、ポジティブも知り得ない。ネガティブからポジティブに変える力も生まれない。だから、どんな体験も無駄ではない、無駄にはならない、すべてのことがすべてにとって必要なのだという、ありふれたことに心底合点がいきました。

マリアさんの体験を知ることにより大変強くなったと思います。責任感が伴いました。その私を見越してマリアさんは引き受けてくれた。私が強くなることは、マリアさん自身も強くなることだと知っていたから引き受けてくれたのだと思います。すべてはそれに気づかせるため。これには、じっちゃんの苦渋の選択もあるかもしれない・・・、愛であるから、もう何も無駄にはできないんです。

楽しいこと、キラキラした世界を求めただけでは、手に入っても、おそらくセッション前のもやもやした私に戻るだけでしょう。ネガティブを受け入れる覚悟を持って、新しい世界を味わい尽くすことが、じっちゃんの言うところの人生の「楽しみ、学びの過程」になるのだと。

なるでこさん、ありがとうございました。自分の気づきに対して小さいですが確信が持てました。なるでこさんのように、求心力のある大きなワークをする方もいれば、先日の霊導者さんのように尊いワークをされる方もいる。私は、ステップ・バイ・ステップで、小さな気づきの連続で、私のワークを行っていこうと思います。
気管の不調もすっかりなくなりました。マリアさんが言いたかったことに気づいてあげられたのかなと思います。
もし、私のように気づきの初心者の方がいらして、なるでこさん達と共にする光のバトンのワークに気後れするようなことがあっても、些細でも自分の気づきに確信を持ったら(信じたら)、ランプに光が灯るのだと思います。小さな光でも、ここで光のバトンリレーに参加できるのだと思いました。

最後に、私の大好きな大好きな忌野清志郎さん。私のお恥ずかしいお願いにお付き合いくださりありがとうございました。大事なことは全て曲にして伝えたと言っていました。いつでも繋がれることを知れました。
皆様、ありがとうございました。


◇◇◇◇◇

(なるでこから)

楽しいこと、キラキラした世界を求めただけでは、手に入っても、おそらくセッション前のもやもやした私に戻るだけでしょう。ネガティブを受け入れる覚悟を持って、新しい世界を味わい尽くすことが、じっちゃんの言うところの人生の「楽しみ、学びの過程」になるのだと。

深い、深いセッションになりました。

地震前のセッションでしたが、地震後の今、シェアするのにふさわしい大きな学び、じっちゃんからの深いメッセージが伝わるものでした。この流れも、多次元の”今”において、すでに準備されていたものなのでしょう。

セッション前のカウンセリングでは、クライアントさんがセッションを希望する理由に取り立てて深刻なものはありませんでした。ご自分で書かれている通りです。

生活や仕事は、総じて恵まれている方なのだと思います。三次元的な特筆すべき問題は思い浮かびません。ただ、本当の自分に気づきたい、生きる目的が知りたい、現世の課題が知りたい、多次元の自分を知りたい、ライフワークを知りたい、とにかく、アセンションに向けて自分の課題、為すべき事、どんな努力が必要なのか、早く早く知りたいとセッションに向かいました。

ところが、蓋を開けてみたら、思いもかけない過去世が出てきました。強制収容所で亡くなったユダヤ人女性だったのです。これには、クライアントさんも驚かれたようです。それまで、それにまつわる記憶や、特定の感情反応は無かったとのことでした。

この事実がわかったのち、私は、クライアントさんのこれまでの人生、”特筆すべき問題は浮かばない”、前向きに平穏に生きてきた生き方をあらためて振り返って、一種の感動を覚えました。その思いは、クライアントさんの現世での親友、同様に強制収容所で亡くなる体験を共有した女性が、今世を葛藤の末に自死していたという、もう一つの現実との対比でさらに強まりました。

第二次大戦中の収容所で亡くなるという体験は直近、すなわち今世の直前の過去世でしょう。それを終えて、今世に転生してきたわけですが、クライアントさんは、恐怖に負けることも、人間不信をよみがえらせることもなく、今世をそれなりにポジティブに生きてこられました。

一方で、自死した親友の女性は、その生涯を通じて人間関係、特に親との問題で苦しんでおられたそうです。収容所で人間に対する深い絶望を味わい、それを今世に持ち越して、結局、癒せなかったのでしょうか。

あるいは、私がふと思ったのは、「究極の赦しを実践するべく」、もしかしたら、当時の加害者を家族や自分の周囲の人々に設定して生まれてきたのかもしれません。これまでの経験から、私は、人間が驚くべき”がんばりやさん”で、魂を成長させるべく無謀なまでに苛酷な状況に自ら飛び込んでくることを知っています。そうではあっても、自分が選択したという事実を忘れてしまうので、多くの場合、お互いに無意識に沸いてくる相手への不信感に苦しみます。そこを達観して乗り越える、ついに二元性を超えて赦しの段階へ進むことができれば、その人生の目的・課題は達成できるわけですが、、、そうそう容易であるはずがありません。

今世で、クライアントさんと親友の方が計画してきた人生設計は同じではなかったにせよ、少なくとも過去の体験を昇華して、クライアントさんが今世で人を信じることをやめず、生きることも投げ出さなかった、しっかりと前を向いて歩みを進めてきたことは、称賛に値すると思います。私は素晴らしいと感じました。

”じっちゃん”はなぜ今回、このような過去世を見せてくれたのでしょうか。

いやむしろ、これを見せるためにクライアントさんを私のセッションに”呼ばれた”のでしょうか。そこには、じっちゃんの深い愛と、導きの”真実”があります。せっかく今世では忘れていたのに、つらい過去の体験をわざわざ思い出させるなんて、一見、ひどい、じっちゃんは厳しいと思われるかもしれません。このセッションは、クライアントさんにとっては決してウキウキ・ワクワクで終わるものではありませんでした。しかし、そこには、じっちゃんの深い思いがあったのです。

一つは、クライアントさんに、今世では、生きる喜びを味わい尽くしてほしい、ということでしょう。

ネガティブを知らなければ、ポジティブも知り得ない。ネガティブからポジティブに変える力も生まれない。だから、どんな体験も無駄ではない、無駄にはならない、すべてのことがすべてにとって必要なのだという、ありふれたことに心底合点がいきました。

マリアさんの体験を知ることにより大変強くなったと思います。責任感が伴いました。その私を見越してマリアさんは引き受けてくれた。私が強くなることは、マリアさん自身も強くなることだと知っていたから引き受けてくれたのだと思います。すべてはそれに気づかせるため。これには、じっちゃんの苦渋の選択もあるかもしれない・・・、愛であるから、もう何も無駄にはできないんです。


涙が出ます。感動です。(;д;) 収容所で終えた人生を思い出すことで、今、この世界を生きている喜びが何倍にも大きくなるのです。生きて楽しむ密度が何倍にも濃くなるのです。闇を見たからこそ、光がまぶしく輝く。光の美しさに気づくための闇だと思えば、それも、愛です。

愛であるから、もう何も無駄にはできないのです。


ここに気づいたことで、この方はどれほど成長されたでしょうか。今後の人生を勇気と愛をもって歩まれるでしょうか。実際には、それぞれの転生は時間の存在しない多次元での個々のアスペクトの体験です。それゆえ、現世のクライアントさんの変化・成長は、マリアさんへも波及してゆくのです。

そして、じっちゃんの二つ目の意図は、そのクライアントさんの気づきと学び、成長の過程を、私たちみんなに見せたかったのだと思います。

ネガティブ、ポジティブ、どのような言葉でもいいのですが、マリアさんの体験したことは、マリアさんの多次元体である私の視点からすると、全くネガティブではありません。
マリアさんが辛かったのは、本当に最後の一場面だけ。多次元体の私は知っています。
マリアさんはとてもキラキラした素敵な青春時代を過ごしていて、とても楽しそうに無邪気にすごしている場面を私にたくさん見せてくれました。マリアさんは、この場面もとても重要だと伝えていました。


クライアントさんのこの気づきというか”啓き”、それ自体が、私たちに”二元性を超えるすべ”を教えてくれているようです。

クライアントさんが得た学びを目の当たりにして私たちが得る学び、それは、実は、熊本・大分地震、東日本大震災、その他多くの災害で、事故で、同胞、友人知人、愛する者を失った私たちにとっても、今、タイムリーな学びでもあるのです。そこが今回、このタイミングで、このセッションが実現した核心だと、私は感じています。言葉を入れ替えてみてください。「マリアさん」を、「被災者」に。「犠牲者」に。すべては理由があって起きています。私たちが属している多次元においては、すべては”大いなる知”の中で無限の関係性をもって存在しているのです。そして、ワンネスの中で、私たちも、被災者/犠牲者の方たちも、大きなセルフとして一体なのです。

被災者/犠牲者の体験を知ることにより大変強くなったと思います。責任感が伴いました。その私たちを見越して被災者/犠牲者は引き受けてくれた。私たちが強くなることは、被災者/犠牲者自身も強くなることだと知っていたから引き受けてくれたのだと思います。すべてはそれに気づかせるため。これには、じっちゃんの苦渋の選択もあるかもしれない・・・、愛であるから、もう何も無駄にはできないんです。

ね? まさしく、今の日本人へのメッセージでしょう? 霊導者Cさんが伝えてくれたように、じっちゃんは、

そんな、人々へ、そしてたった今、被災地などで苦しんでいる人々へ、どんな言葉がよいか…とそれはそれは、心を砕いておいでです。

上述の一節は、じっちゃんが心を砕いて選ばれた、私たちへの言葉の一つでもあるのではないでしょうか。そして、

「楽しみなさい」「赦しなさい」「体験は大したことではない」

”体験のための体験”とはいえ、3次元で身体をもって生きている限り、苦しみも悲しみもリアルです。私も、心身の嵐に巻き込まれて激しく動揺するときがあります。「体験は大したことではない」などとは、口が裂けても言えない。(ノ_-。)

しかし、魂の進化の過程、長い長い旅路から見れば、やっぱりそれは真実なのです。そして、じっちゃん、「自分の外にいるじっちゃん」ではなく、「自分の中にいるじっっちゃん」に繋がっていれば、何があっても一本の命綱のようにじっちゃんにしがみついていれば、じっちゃんが常にそばにいてくれることを信じていれば(じっちゃんは私たちに、それを知ってほしい、とおっしゃっています)、いつの日か、私たちは再びまた、「赦して」、「体験は体験、大したことではない、自分の魂にとっては」と思える日が来るのでしょう。

それを信じて、一歩ずつ前へ進むしかない。つらい出来事に巻き込まれて、どんなに苦しくても、悲しくても、恨めしくても、やっぱり「じっちゃんを信じること」をやめることはできない。やめてはいけない。歯を食いしばって、その体験の意味、自分にもたらした学びを考えることで耐えぬくしかない。

そして、そんな私たちを決してじっちゃんは見捨てはしません。むしろ、”分離の幻想”の中で苦しむ私たちの姿を、ご自分も泣きたい思いで見守っておられるに違いないのです。うずくまる私たちの背中に、光を注いでくださっているに違いないのです。何故なら、じっちゃんは”大いなる愛”だから。青い空も、小鳥のさえずりも、道路の端に咲く雑草の花も、すべては、じっちゃんからあなたへの愛だから。

じっちゃんが私のセッションに出てこられる理由は、今、どうしても伝えたい、何度でも念を押したいメッセージがあるのでしょう。それは、「みんなを、一人ひとりを、愛しているよ」ということ。このことだけは、絶対に忘れないで下さいね、皆さん。

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最近行った”祝祭”セッション・レポートの一部を、こちらのブログにも載せました。多くの人に、ぜひ、じっちゃんの深い教え、災害を怖れる私たちへのメッセージをご紹介したくて。

伝わりましたか? あなたは、どのリアリティにいますか? あなたは、どの次元にフォーカスしていますか?

セッション・レポートの続きはこちらです。






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