0010110 ハートの贈りもの―2020―黄金時代08年 

2020-光あふれるニューアースを共同創造し、さらにアセンションを目指します。ワンネスを体現していきます。

諏訪; 縄文と出雲と古代ユダヤが出会うところ。

2015-02-09 13:43:30 | 不思議ニュースから
お知らせ1: ヒーリングルーム”祝祭”のサイトに、「セッションから2か月; HSはちゃんと約束を守ってくれています!魂の再生レポート」を載せました。とても嬉しい報告を頂きました。

お知らせ2: 癒しを求めている方へ。
AAマイケルによる「新しい自分になるためのピラミッド瞑想」の音声ガイドを作成しました。「想像力を使う訓練」、「高次元と繋がりヒーリング」、「不眠症改善(*^-^)」を目的としたものです。聞いた人の感想が、こちらに寄せられています。それとは別に、「5次元で楽しもう想像=創造ゲーム」1月お誕生会誘導瞑想のガイドと、そのビジョンも、癒されると同時に楽しめると思います。よろしかったら、ご利用下さいね。”ハートの贈りものg+コミュニティ”からのプレゼントです。



特に、これといって急いでお知らせしたい内容ではありませんが。というか、深入りすると、大変なことになるので、ここではあっさりと、写真を載せるのみですが。((^┰^))ゞ

日本の古代神話・歴史・ミステリーに、私も少しずつ繋がってきたみたいです。というか、向こうからやってくる。(・・*))((*・・) ここに載せるより、g+コミュの方がふさわしいとは思いますが、写真が少し多いもので。

さて、何を書くかと言いますと、うちのオットー、最近やたらに自分のルーツに興味を持つようになってきました。ずっと遡ると、彼の先祖は、諏訪上社の諏訪氏なんですね。なもんで、このお正月に帰省した折には、彼に付き合って、私も諏訪を歩かされました。(諏訪は酒が旨いなア。フフ)

しかし、面白い場所ですね。この八ヶ岳一帯は。

そもそも、尖石を始めとする縄文の遺跡が無数にあります。博物館で、「縄文のビーナス」と「仮面の女神」を見てきましたが、いやはや、縄文時代って弥生の前なので、もっとプリミティブな文化を想像していましたが、とんでもない、ものすごく洗練されているではないですか! むしろ、弥生よりもダイナミックでアーティスティックです。好きだなあ、縄文。縄文人はテレパシーを使い、スペースピープルと普通に交流していたという説がありますが、十分にうなずけますね。

そして、、もちろん、今回の主目的は諏訪大社です。諏訪大社といえば、出雲族の建御名方神。濃ゆいですね、実に濃ゆい場所ですよね~。御頭祭、御柱、守屋山、漏矢族、神長官・守矢氏、物部守屋、などなど、、もちろん、古代イスラエルの失われた10氏族へと繋がっていくわけです。

ここでは、詳細には触れません。ただ、まるで遠い異国の話のように思っていたその古代話が、思いがけず私の身近に近づいてきた、閉ざされていた何らかの記憶に繋がっていくような、不思議な異次元感覚が湧くので、それだけを、ここではお伝えしておきます。(ちなみに、私自身は、生まれで言えば熊野産です。ただ、オットーの御先祖様に室町幕府の御家人がいるんですが、その人の名前がちょうど私の姓名と一字違うだけ。そんなにありきたった名前ではないので、ちょっとビックリしました。ハハ、、有能な人だったらしいです。ヨカッタ。)

そして、この諏訪の地で忘れてはならないのが、ミシャグチの神。何故か、この神が諏訪大社の祭政体です。でも、建御名方命が諏訪大明神。この二重性は何なのか。

ミシャグチ神、建御名方命、漏矢族、物部守屋。。

豊かな縄文の地の土着神に、古代ユダヤが合体することで、非常に特異な歴史がこの地に刻まれてきたのでしょうか。

わかりません。。アハハ。。この辺りのことにお詳しい方、何か教えて頂けるのでしたら、どうぞこの記事に関するハート・コミュのコメント欄で、知識をご披露下さいませね。(こんなにあっさり終わっていいのか~! ウン、いいの (ノ´▽`)ノ)


















↓ 薙鎌神事(国境見の神事)

 御柱祭が行われる前年、北安曇郡小谷村字中土大宮諏訪神社と小谷村戸土境宮諏訪神社で交互に行われる、社前の杉の大木に木づちで薙鎌を打ちつける行事。薙鎌とは諏訪大社の御神体ともいわれるもので、鳥の形をしている。この形が何を意味するのか、さらにこの時期にこの地で行われる神事の意味するものは何であるのかはよくわかっていない。



仮面の女神



縄文のビーナス



守矢史料館



史料館裏手にある、ミシャグチ神を祭る神社。鳥居が無い。4本柱が立っている。



諏訪大社上社本宮



大欅。樹肌に顔がいっぱいある気がして仕方ない。



諏訪大社下社春宮





↓ 万治の石仏

「万治」という名の由来は万治3年(1660年)11月1日(石仏の胴部に刻まれている。他に「願主明誉浄光・心誉廣春」と刻まれているがこの二人は僧籍にも見当たらない)に造られたとされるところによる。伝説によると、諏訪大社下社春宮に石の大鳥居を造る為にこの石仏を材料にしようと鑿を入れたところ(その鑿は現存している)、傷口から血が出てきたため職人達は祟りをおそれ、その晩に職人達が夢枕で上原山に良い石材があるという夢を見て、その山に行き探したところ見つけることが出来職人達はこの石仏を阿弥陀如来として祀った。それに因んでこの辺りの地名は石仏となっている(住所としては載っていない)。この石仏は芸術家の岡本太郎が訪れて大絶賛したことにより有名となった。ほか新田次郎も賞賛している。



実家の氏神様への初詣。当然、諏訪神社です。オーブが沢山舞っていました。白いモヤモヤエネルギー体も。







氏神様からの帰り道。異次元の雪景色。





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