今までのブログでは軽く少々面白く書いて来ましたが
自分のために今日は簡単にリアルな膝蓋骨骨折についての記録を残そうかと思います。
(読みたくない方は引き返してください)
22日
縁石につまづき左膝骨折
自分で救急車🚑を呼び渡辺病院へ搬送され
る。
その時、見知らぬおじさんがずっと見守っていてくださった。
親切な人だった。
あまりの失態にショックで病院に着いても震えてが止まらず。
右膝の時もそうだったが、痛み無し。
5階の外科病棟の病室へ。
左足全体を覆うサポーターを付ける。
尿管カテーテルを入れる。
土日は休みで月曜日25日午前中に手術を受ける。
ワイヤーで割れた膝を固定する手術。
全身麻酔なので目が覚めたら手術は終わっていた。
手術前に来てくれた夫に何か面白い事を言わなくてはいけない気持ちになり
「行って来ます、もしこのまま死んだら
天井の隅から誰が本当に悲しんでるか見とくから。」
と、一言。
夫もはははと笑い私もはははと笑って手術室へ。
病室に帰り、麻酔が効いてる間はなんと言う事もなかったが、麻酔が切れてからじわじわと痛みが。
そのうち激痛が襲う。
夕飯が出たが食べられず。
痛み止め💊を2個飲んでも痛み止めの点滴をしてもらっても痛みは治らず。
朝までほとんど眠れず。
翌朝26日はひとまず痛みは少し治り、朝食を食べた。
翌日、尿管カテーテルを抜いてオムツを装着
リハビリも始まる。
看護師さんに押してもらって車椅子でトイレへ。
ずっと点滴あり。
29日車椅子をこいで自分でトイレや色々な所へ行ってもいい許可が降りる。
トイレに行くたびにナースコールを押すストレスから解放される。
やっと点滴終了
30日、リハビリ順調
杖で歩く練習
31日、杖で歩いて移動しても良いと言う許可が出る。
1日、新しい年を病院で迎える。
朝食はお節が出た。
リハビリで外を歩く
杖を付いて歩いていると右手首が痛くなり
杖無しで歩いても良いと言う許可が出る。
能登半島で地震発生。
気持ちが沈む。
3日、退院の日が決まる、1月6日。
4日、同室の方がインフルエンザに罹り
私達の部屋は5日間隔離。
トイレ以外、部屋を出てはいけないと言うお達しが出る。
リハビリも室内でやる。
またナースコールを押さなければ何も出来ないと言うストレスが。
5日、隔離済みの90歳代の方が3人入室。
全員、認知症で動けない。
将来を思い暗澹たる気持ちになる。
頭と身体を鍛えて人に頼らず自分で生きられる力を付けると固く誓う。
6日、退院。
ずっとベッドにいたので体力が落ちているのを実感。
16日振りにシャワーを浴びる。
膝の傷に水がかからないようにサランラップをぐるぐる巻いて浴びた。
まだサポーターを付けていて、足は曲げられず
不便で、寝ていても座っていても不快。
10日から膝を曲げるリハビリが始まる。
右膝の時同様がんばろう。
大事な事を書き忘れていました。
食事は手術の日以外は完食しました。
睡眠は取れたり取れなかったりでした。
以上、リアルな膝蓋骨骨折の記録でした。
m(_ _)m
お歳暮にいただいた桜と木製の鏡餅
(隣のベッドに20年膝痛を我慢していて、今回人口関節の手術をした方がいらっしゃいました。
痛みから解放されて嬉しい、とおっしゃっていました。
今回は右膝、何ヶ月か置いて左膝をするそうです)
誰も人の骨折話など聞きたくもないでしょうが
自分の記録用に書きました。