元ニューヨーク・タイムズの記者でフリーランスジャーナリストの上杉隆さん。
閉鎖性の高い御用組合的な記者クラブ批判を続けています。
それに沿って言えば、大相撲の記者たちは、力士が賭博に手を染めていることなど絶対に知っていたのではないかと思います。
あれだけ蔓延していたわけだし、確証をつかんでいたかどうかはともかく、匂いくらいは嗅いでいたに違いないです。
その上杉さんのサッカーに関するコラム。
ワールドカップ敗退で歓喜している国に、ベスト4など永遠に無理な話だ【週刊 上杉隆】
一部引用させてもらいます。
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日本が敗れた。南アでのワールドカップサッカーのベスト16での戦い、PKの末にパラグアイに惜敗した。
翌日の新聞は一面トップでこの「悲劇」を伝えている。また、朝の情報番組を観れば、司会者やコメンテーターが口をそろえてこんな風に語っている。
「感動をありがとう」
「勇気をもらいました」
「日本代表にお礼を言いたい」
一般人ならまだしも、スポーツ報道を扱うメディアの人間にしては、またずいぶんと安上がりに感動するものである。
どうも、この種の言葉に違和感がある。仮にも公共の電波を使って、「感動したり」、「お礼をしている」ヒマがあったら、日本の敗因、もしくはパラグアイの勝因について、解説の一つでもしてもらいたいものだ。
そもそも、今回の日本代表の戦前の目標は、ベスト4であったはずではないか。それは岡田監督自らが設定したものである。
にもかかわらず、結果はベスト16であった。善戦したとはいうものの、自ら目指した目標に到達しえなかったのは間違いない。それならば、なぜそうした結果に終わってしまったのか、という点をサッカージャーナリズムは分析しないのか。
一般のファンならば仕方がない。しかし、まがりなりにもメディアの人間であるならば、そしてサッカーを取材している者であるのならば、ファンと一緒にお礼をしていないで、自らのやるべき仕事をきちんとこなすべきである。
前日本代表監督のオシム氏は試合後、NHKの番組の中でこう語っている。
「改善すべき点は多くあった。決勝に入ってパラグアイのように勝てる相手と当たったのに、この結果はきわめて残念です。本当に勝ちにいったのか、残念でならない。勝つために必要なことをしたのかというとそれはない。後半は個々人がチームを無視した動きをしてしまった。この教訓をどう引き出すか。次のワールドカップを考えるのならば、きょう、この負けた瞬間から考えなければならない」
歓喜に沸く日本の中で、こうした冷静さを保つのは難しいことかもしれない。
だが、サッカージャーナリズムはそれによって口を糊しているのだ。浮かれている場合ではない。自らの仕事を遂行すべきなのだ。
民放のテレビ局だけではない。NHKの解説者までもが同様に応援団と化したことは、いつものことではあるが極めて残念である。
「勇気をもらった」という素人のようなコメントをアナウンサーまでもが連発し、ひどいことにサッカー解説者まで同様に呼応する。
<中略>
スポーツジャーナリストが育ちにくい日本
確かにファンは熱狂する。だが、メディア、とりわけサッカージャーナリズムの中の者は、そうした雰囲気の中でも敗因をみつけ、将来のチームのために、あえてそれを提示してきたという過去がある。サッカージャーナリズムが、あえてその憎まれ役を演じてきたからこそ、自国のサッカーが強くなってきたという背景があるのだ。ファンと一緒に感動している場合ではない。あなた方はそれでお金をもらっている。立場が違うのである。
「カメルーンに一勝したときに巻き起こった陶酔状態について考えるべきだ。ゴールをした選手だけに注目の集まる日本のサッカーは、評論も含めてもっとレベルアップの必要がある」
オシム前監督が、このように健全な批判精神で日本のサッカー界のために語っている裏側(民放裏番組)で、サッカー解説者の一人はこう叫んでいた。
「俺たちは誰ひとり代表選手を責めない。日本の誇りだ。胸を張って帰ってこい」
このセリフを聴くに及んで、日本にはスポーツジャーナリストが育ちにくいことを改めて確信した。なぜ、日本のサッカー報道はいつもこうなのだろうか。
ベスト8の出揃ったワールドカップは、まさしくこれから佳境に入る。世界最高レベルの選手たちが、世界最高の舞台で、最大の実力を出しきる真剣勝負の時がやっと始まるのだ。
サッカーというスポーツを本当に愛し、日本チームのことを思う者であるならば、敗退した日本代表と、ベスト8に残った上位国の代表のプレーにどのような違いがあるのかを知りたいはずであろう。まさしくそれを知ることが今回の日本の敗因を分析する最大のチャンスにもなるのだ。
<後略>
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上杉さんがあきれるのも無理がないです。
どこのチャンネルでも、どの新聞雑誌でも、
「いいチームだった。」「よくがんばりました。」「岡田監督はすごい。すみませんでした!」
「長友はエースをよく抑えた。」「本田の攻撃センスは抜群。」「戦術変更をした勇気は称えるべき。」
などの論調ばかりです。
その辺の飲み屋での会話とほとんど変わりません。
つい最近、日本らしいサッカーとはという記事を書いたけど、メディアや記者や解説者は、今回のWCの戦いぶりを踏まえて、今後の日本サッカーはこうあるべき、という見解やビジョンをどんどん示して欲しいと思います。
それに僕らが反応したり触発されたりして、レベルの高い議論が成され、進化発展していく。
その結果として、日本サッカー全体のレベルが上がり、Jリーグが面白くなったりしつつ、日本サッカーが世界レベルに近づいていく。
いわゆる“サッカー偏差値”、とか“サッカーリテラシー”、とかの問題。
日本においては、政治でもスポーツでもそうだけど、ジャーナリズムというものが、完全に独立した独自のポジションを作れていないように思う。
日頃の情報収集に加え、しっかり客観的な目で分析し、批判だけでなく、見識に基づく本質を突くような提言を行っていく存在であるべきはず。
いろんな意見があって然るべきだけど、
もっともっと考えて、深く鋭くアグレッシブに切り裂いていく報道姿勢や視点を持つべきと思います。
将来の日本サッカーの発展のためには、サッカー協会の果たす役割はきわめて大きいとは思うのだけど、ジャーナリズムが果たすべき責任はそれ以上に大きいように思います。
閉鎖性の高い御用組合的な記者クラブ批判を続けています。
それに沿って言えば、大相撲の記者たちは、力士が賭博に手を染めていることなど絶対に知っていたのではないかと思います。
あれだけ蔓延していたわけだし、確証をつかんでいたかどうかはともかく、匂いくらいは嗅いでいたに違いないです。
その上杉さんのサッカーに関するコラム。
ワールドカップ敗退で歓喜している国に、ベスト4など永遠に無理な話だ【週刊 上杉隆】
一部引用させてもらいます。
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日本が敗れた。南アでのワールドカップサッカーのベスト16での戦い、PKの末にパラグアイに惜敗した。
翌日の新聞は一面トップでこの「悲劇」を伝えている。また、朝の情報番組を観れば、司会者やコメンテーターが口をそろえてこんな風に語っている。
「感動をありがとう」
「勇気をもらいました」
「日本代表にお礼を言いたい」
一般人ならまだしも、スポーツ報道を扱うメディアの人間にしては、またずいぶんと安上がりに感動するものである。
どうも、この種の言葉に違和感がある。仮にも公共の電波を使って、「感動したり」、「お礼をしている」ヒマがあったら、日本の敗因、もしくはパラグアイの勝因について、解説の一つでもしてもらいたいものだ。
そもそも、今回の日本代表の戦前の目標は、ベスト4であったはずではないか。それは岡田監督自らが設定したものである。
にもかかわらず、結果はベスト16であった。善戦したとはいうものの、自ら目指した目標に到達しえなかったのは間違いない。それならば、なぜそうした結果に終わってしまったのか、という点をサッカージャーナリズムは分析しないのか。
一般のファンならば仕方がない。しかし、まがりなりにもメディアの人間であるならば、そしてサッカーを取材している者であるのならば、ファンと一緒にお礼をしていないで、自らのやるべき仕事をきちんとこなすべきである。
前日本代表監督のオシム氏は試合後、NHKの番組の中でこう語っている。
「改善すべき点は多くあった。決勝に入ってパラグアイのように勝てる相手と当たったのに、この結果はきわめて残念です。本当に勝ちにいったのか、残念でならない。勝つために必要なことをしたのかというとそれはない。後半は個々人がチームを無視した動きをしてしまった。この教訓をどう引き出すか。次のワールドカップを考えるのならば、きょう、この負けた瞬間から考えなければならない」
歓喜に沸く日本の中で、こうした冷静さを保つのは難しいことかもしれない。
だが、サッカージャーナリズムはそれによって口を糊しているのだ。浮かれている場合ではない。自らの仕事を遂行すべきなのだ。
民放のテレビ局だけではない。NHKの解説者までもが同様に応援団と化したことは、いつものことではあるが極めて残念である。
「勇気をもらった」という素人のようなコメントをアナウンサーまでもが連発し、ひどいことにサッカー解説者まで同様に呼応する。
<中略>
スポーツジャーナリストが育ちにくい日本
確かにファンは熱狂する。だが、メディア、とりわけサッカージャーナリズムの中の者は、そうした雰囲気の中でも敗因をみつけ、将来のチームのために、あえてそれを提示してきたという過去がある。サッカージャーナリズムが、あえてその憎まれ役を演じてきたからこそ、自国のサッカーが強くなってきたという背景があるのだ。ファンと一緒に感動している場合ではない。あなた方はそれでお金をもらっている。立場が違うのである。
「カメルーンに一勝したときに巻き起こった陶酔状態について考えるべきだ。ゴールをした選手だけに注目の集まる日本のサッカーは、評論も含めてもっとレベルアップの必要がある」
オシム前監督が、このように健全な批判精神で日本のサッカー界のために語っている裏側(民放裏番組)で、サッカー解説者の一人はこう叫んでいた。
「俺たちは誰ひとり代表選手を責めない。日本の誇りだ。胸を張って帰ってこい」
このセリフを聴くに及んで、日本にはスポーツジャーナリストが育ちにくいことを改めて確信した。なぜ、日本のサッカー報道はいつもこうなのだろうか。
ベスト8の出揃ったワールドカップは、まさしくこれから佳境に入る。世界最高レベルの選手たちが、世界最高の舞台で、最大の実力を出しきる真剣勝負の時がやっと始まるのだ。
サッカーというスポーツを本当に愛し、日本チームのことを思う者であるならば、敗退した日本代表と、ベスト8に残った上位国の代表のプレーにどのような違いがあるのかを知りたいはずであろう。まさしくそれを知ることが今回の日本の敗因を分析する最大のチャンスにもなるのだ。
<後略>
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上杉さんがあきれるのも無理がないです。
どこのチャンネルでも、どの新聞雑誌でも、
「いいチームだった。」「よくがんばりました。」「岡田監督はすごい。すみませんでした!」
「長友はエースをよく抑えた。」「本田の攻撃センスは抜群。」「戦術変更をした勇気は称えるべき。」
などの論調ばかりです。
その辺の飲み屋での会話とほとんど変わりません。
つい最近、日本らしいサッカーとはという記事を書いたけど、メディアや記者や解説者は、今回のWCの戦いぶりを踏まえて、今後の日本サッカーはこうあるべき、という見解やビジョンをどんどん示して欲しいと思います。
それに僕らが反応したり触発されたりして、レベルの高い議論が成され、進化発展していく。
その結果として、日本サッカー全体のレベルが上がり、Jリーグが面白くなったりしつつ、日本サッカーが世界レベルに近づいていく。
いわゆる“サッカー偏差値”、とか“サッカーリテラシー”、とかの問題。
日本においては、政治でもスポーツでもそうだけど、ジャーナリズムというものが、完全に独立した独自のポジションを作れていないように思う。
日頃の情報収集に加え、しっかり客観的な目で分析し、批判だけでなく、見識に基づく本質を突くような提言を行っていく存在であるべきはず。
いろんな意見があって然るべきだけど、
もっともっと考えて、深く鋭くアグレッシブに切り裂いていく報道姿勢や視点を持つべきと思います。
将来の日本サッカーの発展のためには、サッカー協会の果たす役割はきわめて大きいとは思うのだけど、ジャーナリズムが果たすべき責任はそれ以上に大きいように思います。
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