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マトリックス.5

※初めての方はこちら「プロローグ」「このblogの趣旨」からお読みください。

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【chapter.7/虫退治】

(; ̄Д ̄) はっ!

自宅ベッドで目覚めるアンダーソン。

エージェントから受けたあの忌まわしい体験は悪夢だった…のか?

飛び起きたアンダーソンにモーフィアスからの電話が入ります。


「盗聴されているから手短に話す。連中は君のことを甘く見ていたようだ。そうでなければ今頃殺されていた。」

「なんの話だ?一体どうなってる?」

「君は“選ばれし者(The One:NEOのアナグラム)”だ。君はここ数年私を捜していたようだが、私は生涯をかけ君を捜していた。まだ私に会いたいか?」



この映画では、「電話」がとても印象的に描かれています。

現実(真実)と仮想現実(幻想)という2つの世界を繋ぐ架け橋。その間を行き来する唯一の方法。

そのキーワードが「電話」です。

これは「口伝・口承文化(言葉のメリット)」と「言葉による概念化・固定化(言葉のデメリット)」という2つの意味を暗示させたものです。

釈迦にしろイエスにしろ、その教えは「口伝え」で説いていました。(「お経」や「聖書」は彼らの死後、後続の者達によって残されたものです。また、お釈迦様が使っていた“パーリ語”は、“アイヌ文化”の様に、固有の“文字”がありません。そのためサンスクリット語など、他の言語に置き換えて記されています。)

釈迦もイエスも「文字」を意図的に残しませんでした。

本当の現実は言語を越えたもので、どんな言語であっても表象不可能です。事象を言葉に置き換えた時点で「真実(ありのまま)」からかけ離れてしまうんです。

禅の世界では、これを「不立文字(ふりゅうもんじ)」と言います。

文字(言葉・単語)の概念や知識に囚われることで、本質が見えなくなってしまうんです。(というか、見えないからこその「本質」なのですが…)

ありのままの事実ではなく、「言葉」の概念・枠に縛られた別の世界(仮想現実)が出来上がってしまうんです。

とはいえ、その「本質」を指し示すためには、やはり「言葉」が必要になってしまいます。

コミュニケーションをする上で、どうしても起こりうる「通約不可能性」。それを最小限に抑えるために「文字」を使わず「口伝」を行っていたんです。


この事を、この映画では「電話」というキーワードで表現しています。

また、ストーリーの中で度々登場する「盗聴」は「言語概念による弊害」つまり、「言葉」が、“自我”に繋がってしまう「思考」の一部であることを示しています。


さて、物語に戻りましょう。

モーフィアス(導師)の元へ向かう車中、アンダーソンはトリニティ(先輩)の協力の下、2つの関門を突破します。

1.目覚めへの意思確認

2.自分が無自覚に抱えていたネガティブな思考パターンへの気付き


車に乗り込んだ途端、アンダーソンは拳銃を向けられます。

「なんのマネだ?」

「身を守る為よネオ。」

「何から?」

「アナタから。」



ここからは、真実を理解するためのステップ、「八正道」の説明です。

自分を苦しめているのは、他でもない、自分自身。

その事を「受け入れる」為にはある程度の覚悟が必要です。

その理由は、これまでの人生で避けて通ってきた「苦しみと向き合う」という作業が必要になるから。

目の前にいる先輩は「苦しみと向き合え」と言います。でもそんな事はしたことがありません。これまでは向き合うことではなく、そこから目を反らすことや、その苦しみと闘うこと(抵抗すること)を「よし」として生きてきたのですから。

「苦しみを受け入れろ」と言われても、「未経験」ゆえの恐怖心が現れます。

先輩を信じ指示に従うか、このまま止めるか。

「お願いネオ。私を信じて。アナタは散々見てきたでしょう?この道の先にある、元の暮らしを。もう、望まない世界のはずよ。」

トリニティのその言葉で、アンダーソンは覚悟をきめました。

そして目の前に差し出される仰々しい機械。

いよいよ虫退治(ネガティブな思考パターンの自覚作業)が始まります。

「リラックスして。さぁ…出ていらっしゃい…。」

ああ、なんだかめっさ痛そう…

そうなんです。ホントに痛いんです。この時。


「ネガティブな思考パターンを引き出してもらい、確認する」という作業は…

・コンプレックスを指摘される

・プライドを傷つけられる

・嫌いなものを提示される

・何かを奪われる

など、精神的に辛い出来事を通して行われるからです。

そういった状況を通して、きちんと自分(自我)と距離を置き、ありのままの自分(苦悩を抱えている自分)を受け入れることができると、これまで無自覚に発動していた「ネガティブな思考パターン」の存在に気付くことができます。


気付きに伴う痛みは一時のもの。

気付いた思考パターンは、窓の外にポイッ。

するとね、これが後に、新たな気付きに繋がるんです。

「なーんだ、苦しんでいたのも、痛がっていたのも、本当の自分じゃなくて“自我”の方だったんだ」って。



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コメント ( 12 ) | Trackback ( )
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コメント
 
 
 
ん~~ (えじ)
2008-12-25 15:17:47
「苦しみを受け入れろ」と言われても、「未経験」ゆえの恐怖心が現れます。

本当の苦しみに直面してないからわからないのかな。。。
でも真実ってのは残酷って言うか。。。
聞かせれて嫌なものかも知れないってとこまでは分かる
残酷な真実に直面したコトはまだないけど
イヤな言葉って言うのは体感したコトある

本当にその人の為を思ったつもりで発した言葉は大抵相手の自尊心を激しく傷つけると感じるから
(めったに言わないけど)
人のことまではわかる
自分がわからない

チャンスが来たらじゃダメなの?
自ら進まないとダメ?
 
 
 
うまい (ひとみ)
2008-12-25 15:47:54
うまい


素晴らしい「表現力」に

感動しました!!!

なぜ? その若さで ここまでの説明ができるのか?

まさしく 黒斎さんを使った「雲」さんが書かせているのだなあぁ・・・と

そちらのほうに大きく反応し感動したほどです



文字(言葉・単語)の概念や知識に囚われることで、本質が見えなくなってしまうんです。(というか、見えないからこその「本質」なのですが…)

ありのままの事実ではなく、「言葉」の概念・枠に縛られた別の世界(仮想現実)が出来上がってしまうんです

このご説明は 私も恩師から「言葉」を頂くたびに

辞書で本当の意味をしらべることを何度もさせて頂き

言葉の本当の意味を勘違いしていることに

大きな驚きを感じました。

それにしても『素晴らしい!!』

来年は ぜひ!!

講演会 お願いします。
 
 
 
こくさいさん (まみー)
2008-12-25 19:31:13
メリークリスマス

今日マトリックスのdvdゲットです!

早速拝見してみます
 
 
 
Happy Xmas! ()
2008-12-25 20:03:40
近所や職場に嫌いだったり苦手な人がいたり、困った事が起こるのもネガティブな思考パターンを確認して手放す為に見せられて(遭遇している)と気づくと随分楽になりますねー

心を傷つけられた!自分はもうだめだああ~と思って泣いたり怒ったりしても、傷ついてるのは自我なんですね。

だからネガネガな時こそチャンス!
向き合って手放すチャンス!




・・分かっていてもその時はとっても苦しいですよね(T_T)



マトリックスのDVDを求めてT○UTAYAに日参してたけれど、レンタル中ばかりで、お正月にゆっくり見るかーと思っていたらDVDのプレゼントが♪
マトリックスじゃなかったですが、ホッコリ嬉しくなりました♪
 
 
 
スゴイ (さわら)
2008-12-25 20:34:43
なんで電話なんだろ??ってずっと不思議だったんです。この間改めて見ても、サッパリ分からなかったのに…!そう言うことかぁ~!
「盗聴」までも意味があったとは…「自我」に繫がってしまう思考の一部って言うのは、ホント納得。
脱帽デス! (ついでにメリークリスマス!)
 
 
 
(*^-')ノ☆;:*:;☆“Merry*Christmas”☆;:*:;☆ヽ('-^*) (ラヒリ)
2008-12-25 21:29:31
そうだよね。
自身と対峙すると
/(*ε*) アイタタ・・・
ってなるよね。


しかし、雲さんすごいな~
解り易く解説すると思う。

しかし、ほんと深いんだねこの映画はヽ(´ー`)ノ
 
 
 
Unknown (Unknown)
2008-12-25 21:55:24
「記憶と言葉の全てを失えば、誰でもすぐにありのままの真実の世界が見えるだろう。」
とか最近よく考えてたんですが黒斎さんはどう思います?



>>「ネガティブな思考パターンを引き出してもらい、確認する」という作業は…

>>・コンプレックスを指摘される

>>・プライドを傷つけられる

>>・嫌いなものを提示される

>>・何かを奪われる

>>など、精神的に辛い出来事を通して行われる



なるほど。
やっぱり苦しみは学びのためにあるんですね^^
 
 
 
ああ・・・ (NorthWind)
2008-12-25 23:53:34
メリー・クリスマス!

・コンプレックスを指摘される

・プライドを傷つけられる

・嫌いなものを提示される

・何かを奪われる


なんてタイムリーな!
阿部さんのところにも書きましたが、
私は最近まさしく上記のうちの上三つを
友達にやってしまい、怒らせてしまいました・・・

精神世界のことなど、まるで興味のない友達に
そういうことを言ってもわかってもらえないかな?

自分のこととしては、どん底に落ち込んだときに
徹底的に自分と向き合う作業で、“ネガティブな
思考パターンの自覚作業”というやつをやった
ことがあります。

確かにとても辛い・・・

でも、自分のクセを知ることで、次になにかで
落ち込んだ時は、そのようなクセを出さないように
気をつけることができるようになったと思います。

産みの苦しみ、は、ありますが、産んでしまえば
それは確実に自分を冷静にしたり、小さなことで
目くじらを立てなくなる自分がいると思います。
(いつもでは・・・ないかもしれないケド・・・)

コンプレックスもプライドも、手放してしまえば、
とてもラクに生きていられる自分に出会えますよね!

腹の立つことが100個あったものが10個くらいに
は減らせるかな~
 
 
 
Unknown (みら)
2008-12-26 01:46:55
一歩下がって(苦しみ怒る自分を自分と同一視せず)苦しみを観察していて、それが状況とは関係ない、自我の解釈によるものだとわかったら引きずらなかったです。
むしろ隠れてた自我の発見に感謝するくらいw

そこで自我君の巧妙な手口
「そら自我(苦しみ)が消えたぞ!ああ心地いい。やはりこれは正しいことなんだ。
それなのにあいつときたら自我に振り回されて俺の話も聞かない愚かな男だ。
奴は間違ってる。間違ってはならない。
間違うのは悪いことだ。そう、俺は正しいのだ」

なかなかやり手!
 
 
 
翻訳の問題と (あきや)
2008-12-26 07:39:23
>「身を守る為よネオ。」
>「何から?」
>「アナタから。」

For our protection.
From what?
From you.

英語のセリフでは、この部分は、単純に、トリニティたちがネオから身を守るためにけん銃を向けた、となっています。
ourをネオも含めると考えるのは、物語の進行からして早急ですし、結末を知らない観客の主観を考えるならば、ごくシンプルに解釈すべき場所です。

映画を論じるならば、オリジナル言語で解釈しないと、方向性を見失うと思いますよ。
 
 
 
始めまして~ (紫色の火星人)
2008-12-26 12:59:34
職場で休憩中に過去の記事を読み続け約二ヶ月、本日やっと最新記事に辿り着きました~。

心の道場でスピリチュアル関連のものを読み漁り、もう読むものが無くなっていた頃にmixiのコミュからこちらを発見し、嵌ってしまいました。

少し前に札幌近郊の実家に戻りましたが、黒斎さんが同じ道産子と知り益々ファンになりましたよ!

映画「マトリックス」はスピリチュアルの勉強を始める前に見ましたが、多くの場面で“これもメッセージだ!”とピンと感じるものが沢山ありました。
普段は録画しても保存はしないのですが、つい最近まで残してありました。

仏教のお話は自分が今どの段階にいるのかを少し理解出来た様な気がしました。丁寧に調べて我々に理解しやすく解説して頂き、とても有り難く感じました。

説明の出来る人の“お役目”なのでしょう。これからも頑張って更新して下さる事をイメージさせて頂きます。
 
 
 
コメントありがとうございます! (雲 黒斎)
2008-12-26 14:21:24
えじさん
>チャンスが来たらじゃダメなの?
チャンスは、日々訪れていると思いますよ。^^

ひとみさん
いやいやいやいや!
そんな…
もっと褒めて!w

まみーさん
遅ればせながら、メリークリスマス!
映画、いかがでした?

苺さん
>分かっていてもその時はとっても苦しいですよね(T_T)
うんうん。
苦しんでいるのは「自我」なんですけどね。
「自我」を自分だと思い込んでるから、苦しんですよねぇ。

さわらさん
>…「自我」に繫がってしまう思考の一部って言うのは、ホント納得。
ね!ね!そうでそ!?

Unknown(2008-12-25 21:55:24)さん
確かに一度、記憶を失いましたからねぇ、僕w

NorthWindさん
うんうん。
だからこそ、この映画では何度も相手の意思確認をしているんでしょうね。^^

みらさん
うんうん。ほんとに巧妙ですよね。

あきやさん
んー…
ごめんなさい、いまいちご指摘の意味を掴みきれずにいます。
For our protection.
→「身を守る為よネオ。」
From what?
→「何から?」
From you.
→「アナタ(自我の反抗)から。」
これ、不自然ですかね?
それと…ですね、
>映画を論じるならば、オリジナル言語で解釈しないと、
>方向性を見失うと思いますよ。
僕はいま、映画を論じているわけではないんです。
むしろ、ある種ひねくれた解釈をお話していますので、一般的なレビューを書いているつもりはありません。
映画のコンセプトという意味でも、厳密にはそれを語れるのは、製作者であるウォシャウスキー兄弟だけです。(ちなみに、公表されているストーリコンセプトのバックボーンは、フランスの思想家、ジャン・ボードリヤールの著書「シュミラークルとシミュレーション」だそうです。)
ですので、「ああ、こういう解釈の仕方もできるのかぁ」ぐらいでご覧ください。
僕としても、この解釈を無理やり押し付けるつもりもないですから、受け入れらないならそれはそれで構いません。^^
あらら、なんだか、言い訳がましくなっちゃってごめんなさい。

紫色の火星人さん
ども。はじめまして~。
ご近所さんなんですね。^^
よろしくお願いします。
 
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