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自我の抵抗

※初めての方はこちら「プロローグ」「このblogの趣旨」からお読みください。
※「極楽飯店」の第一話はこちらから。

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【お知らせ・その1】

一昨日、三鷹産業プラザにて、初めての平日のお話会「月イチ☆」を開催いたしました。

ご来場いただきました皆様、ありがとうございました。

開場前の椅子並べや閉会後の片付けを手伝ってくれた皆様にも、改めてお礼させていただきます。ありがとうございました。

これまでのライブより、アットホームでゆるい雰囲気のものを、と思っていたのですが、会場の予想以上の立派さと、お集まりいただいた皆さんの真剣な眼差しを前にして、思わずいつもの調子で「だーーーー!」っとお話してしまいました。

ペース配分をつかめないまま、2時間しゃべりっぱなし。皆さんのご指摘通り、気がついたころには、質問を頂戴する時間もとれずに閉会時間。^^;

次回からは、皆さんとのお話もしっかりしていきたいと思っておりますので、よろしくお願いいたします。

ついでにお茶菓子も用意しますかね。

ゆるゆると、ざっくばらんにやっていきましょーヾ(≧▽≦)ノ


で。

閉会後、改めてチケットの半券を確認いたしましたところ、数名の方がご来場できなかったようで。

お忙しかったのか、忘れていたのか、それとも、直前で僕に不信感を抱かれたのか(笑)。

その理由がなんであれ、お買い求めいただいたチケットは、捨てずに保管しておいてください。

そのまま捨ててしまうのはもったいないですからね。

次回以降の「月イチ☆」に、そのチケットをお持ちください。

せっかく買って頂いたんですから。日付が違っていても構いません。次回のチケットをご購入いただかなくとも、お手持ちのチケットで受付をさせていただきます。

ちなみに11月は21日(月)、12月は6日(火)に開催します。ご都合がよければお越しください。


【お知らせ・その2】

『もっと あの世に聞いた、この世の仕組み』を連載している、電子文芸誌『月刊アレ!』のvol.3(11月号)が、昨日配信となりました。

今回は、黒斎訳「般若心経」をテーマに、これまでの2倍の原稿量となっております。それでも価格はこれまで通り315円!!

詳細・ご購入は『honto』から。


………


さて。自我の話にもどりましょうか。

先日、福岡で開催した「阿雲の呼吸」にて阿部さんと一緒に、同じく「自我」をテーマにお話してきました。

その場でもちょっとお話したのですが、この「自我」というテーマは、実はとっても話しづらいものなんです。

自我は、日々自我自身を存続させることを何より大切にしています。

変な話なのですが、自我は自我自身を存続することができるなら「死んでも構わない(肉体を失っても構わない)」というぐらい、何より自我を必死に守ります。

なのですが、僕や阿部さんが最終的にお話したいことは、そんな自我の望みとは真逆にある「自我の消失」ということなんですね。

つまり、このお話の帰結となる部分は、自我にとって「一番聞きたくない内容」なんです。

だからこそ、そんな話が始まると、自我はもの凄く抵抗します。

◎聞いたフリだけしといて、大事な部分は聞き流してしまう。
◎「他の人には当てはまるかもしれないけど、私には該当しない」と他人事にしてしまう。
◎「そんな話はウソ・デタラメ・間違いだ!」と聞き入れる姿勢を持たない。
◎話させない。(話し手を消し去れ!)


自我というものの性質が明らかになればなるほど、自我にとって都合が悪くなってしまうので、それはそれは必死で抵抗します。

ありとあらゆる策を練って、話を聞かなかったことにしようとします。


そして実際に、「自我」を明らかに示そうとしたばかりに、殺されたり、殺されかけた人も少なくありません。

本人が伝えようとしていたこととはまったく違う解釈をされ、悪人に仕立て上げられていったマスターも数知れずです。

だからこそこの真実は、これまで世に広まることがありませんでした。

広げようとしても、広がったころには、自我の都合に合わせた解釈に成り下がり、大きく歪められたメッセージとなってしまいました。

それぐらいデリケートな内容なんです。


ですから、ここから先のお話を、この不特定多数が目にすることが出来る「ブログ」という媒体の中で、どういう風に書けばいいものなのか、正直とても迷っているんです。

そのことをそのまま書いていったとしたら、多分、書けば書くほど僕は嫌われ、読者が減っていくことでしょう。

(T▽T) ………


うん。それは避けたい(笑)。

ですので、ちょっとずつ、ちょっとずつ、抵抗なく聞いてもらえそうなところから書いていくことにします。

とはいえきっと、人によっては抵抗感のある話。

これまで何度もお話していることですが、この先は、ホントに読みたい人だけ、お付き合いください。

<(_ _ )> しつこいお願いで申し訳ありませんが、なにとぞ、なにとぞ、ご理解のほどを。



【トークライブ・インフォメーション】


約1年ぶりに京都にお伺いいたします!
今現在で、残席5席程度です。

◎11月5日(土) あの世に聞いた、この世の仕組み in 京都
※携帯からお申し込みの方は【こちら】


平日のお話会「月イチ☆」の、11月開催。
今現在で、残席1席です。

◎11月21日(月) 平日のお話会「月イチ☆」
 ※携帯からお申し込みの方は【こちら】


札幌では2度目のソロライブ。
今回は、『月刊アレ!』にて連載中の、最新ネタを中心にお話いたします。

◎11月23日(水・祝) 札幌ソロライブ
 ※携帯からお申し込みの方は【こちら】


←ね。抵抗せずに……
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サイン

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最初にお断りしておきます。

今日の記事は、大した内容じゃないよう。







_| ̄|○ (←若干お疲れ気味のご様子)(←ジョークにキレが感じられないのはそのためです)(←と、いうことにしておいてください)



えー…。

「阿雲の呼吸 in 博多」でお会いした皆様、ご来場ありがとうございました。

会場近くのホテルで一泊いたしまして、昨日東京に帰ってきました。


全国どの会場でも、ライブに来てくれる方には、色々な方がいらっしゃいましてね。

「ブログの開設当初から見てますよ!」という方もいらっしゃいますし、「つい数日前に初めて本を手にとって、それでブログを見たらライブがあるって書いてたので、慌てて申し込みしたんですよー!」という方、その他「実は黒斎さんのことも、阿部さんのことも知らないんです。知り合いに無理矢理連行されてきました」というお気の毒な方もいらっしゃいます(笑)。

で、「本は読んだ事があるけど、ブログはあまり見たことないです」という方も結構多いって事がわかりました。

なので、僕が「それはブログにすでに書いてあるんだけど…」ということでも、知らない方も結構多い。


でね。

そんな中でも、結構知られていないのが、僕のサインについてのことなんです。

ライブ前後に皆さんからサインを求められたりすることもあるのですが、僕がサインを書いていると、「いや、黒斎さん、自画像だけじゃなくて、サインも欲しいんです」と言われたり、「あっ!あっ!あっ!なるほど!これ、サインだったんですね!」という人や、「あぁ!いま気づきました。そうなってたんですね」という人がいたり。

随分前に書いた記事なので、ご存じない方も多いのでしょう。

実は僕のサインは、僕が阿部敏郎さんと出会ってすぐの頃、ある出来事を発端に生まれたものなんです。

その頃は、まさかそのサインが本やDVDのパッケージに使われたり、ホントにライブ会場で書くことになるなんて考えもしていなかったのですが…。

と、いうことで。

今日はその記事を引っ張りだしましょう。

2008年11月27日投稿「サイン」


いまだ黒妻さんから、「デザイン料はいつ支払ってくれるの?」と、言われ続けております。



【トークライブ・インフォメーション】


約1年ぶりに京都にお伺いいたします!
今日現在で、残席15席程度です。

◎11月5日(土)あの世に聞いた、この世の仕組み in 京都
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札幌では2度目のソロライブ。
今回は、『月刊アレ!』にて連載中の、最新ネタを中心にお話いたします。

◎11月23日(水・祝)札幌ソロライブ
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平日のお話会「月イチ☆」の、11月分受付を開始いたしました。

平日のお話会「月イチ☆」

日時:11月21日(月) 19:30 START(19:00 OPEN)
会場:三鷹産業プラザ 701会議室(藤)

詳細・お申し込みはこちら【イープラスチケット】にて。
※携帯からお申し込みの方は【こちら】



←僕のサインと、このボタンのクリックには、宝くじが当たるほどの開運に繋がる効果がある、という噂が……(ないね。うん、ないない。)
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原罪

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先日コメント欄に、興味深い書き込みをいただきました。

言葉遣いの粗暴さに、目に余るものがあったので、表示するのは控えさせていただきましたが、そこに書かれていた内容を要約いたしますと、

「自我を知ることに何の意味があるのか」

「生まれていないと知ったところで、それが何の役に立つというのか」

「あれこれ偉そうに話した結果『自我に自我を消すことはできない』と言う。それではただ人を惑わせ、自分の優位性をひけらかしているだけじゃないか、バカ野郎」

といったものです。

まぁ、僕がこのブログやトークライブでお話しているアレコレを知ったところで、「それが何になるんだ!」という「そもそも」の話です。

僕としては、ここに訪れる皆さんなら、そういった前提はすでにご理解いただいているものと、勝手に思い込んでいたところがあったのですが、そうでもなかったようです。


で、折角そういった書き込みをいただいたので、今日は、僕がどうしてこんなお話を続けているのかということを、改めてお話してみたいと思います。


何度かお話させていただいている通り、「自我」というのは本当の自分ではありません。

本来の自分にある「全体性」というものを完全に見失った分離意識、それはいわば「混乱した自意識」です。

しかし自我は、その分離された自意識のことを頑なに「自分」と信じ込んでいるため、「自身が混乱している(自分が本来の自分を見失っている)」というそのことにすら気づくことがありません。

真実のレベルから観察すれば、明らかに混乱状態であるにも関わらず、自我のレベルでは「私はいたって正常」という状態に見えています。


日々、僕たちの目の前に現れる様々な世界の混乱の原因、その発端は「自我」にあります。

世界を作り出しているのは、僕たち自身です。

いや、もっと正確に言うなら、世界と僕たちは別物ではありません。

世界=僕たちです。

その僕たち(自我)が混乱しているから、そのまま「混乱した世界」が出来上がっているのです。

自我は長らくそのこと(自身が世界であること)に気づかず、世界を混乱から救うには、世界を修復しなければならないと、「世界」に目を向け続けていました。

しかし、そうやって「世界を修復しよう」とアレコレ思惑を練ってみても、それをしているのが「混乱」なものですから、どれほど努力を重ねても、修復されることが無いのです。

「混乱を使って秩序・平和を生みだそう」という、理にかなわないことに必死になっているにすぎません。

考えてみてください。

混乱している状況の中に、混乱した人が入っていっても、混乱が無くなることはありません。

混乱が大混乱に変わるだけです。


また、「世界」ということだけではなく、「自身」や「対人関係」においても同じ事が言えます。

自我は、自我を救うことができません。

混乱した私が、混乱したまま、私に秩序や平和をもたらすことはありません。

だからこそ僕は、このブログ上でも何度か「僕はアナタを救うことはできません」と言ってきました。

アナタが救われるのはアナタ(という自我)が消失することによってのみ可能となるものだからです。


かつて、キリストが「原罪」と呼び、釈迦が「苦」と言い表したことは、僕たちが抱えているこの「自我」に他ならないのです。

何かを改善しようにも、改善しようとしている本人(自我)がすでに混乱している=原罪

秩序を生みだそうにも、それをしようとしている本人(自我)が混乱しているため、どうにも思い通りになどならない=苦(ドゥッカ)


そして、今僕らと共にある混乱は、混乱のままではいてくれません。

僕らの目の前に「苦悩」や「痛み」というものに姿を変えて現れます。


だからこそ僕は、そのことに気づいてもらいたくて、いや、僕に何かをすることはできないかもしれないけど、その小さな切っ掛けの一つにでもなれるなら、という気持ちでこのブログやライブでお話させていただいています。

「どのような未来を築いていくか」を語ることも大事ですが、その前に、その未来を築こうとしている本人の混乱が収まらない限り、混乱のない未来など築けるはずがない、ということをお話したいのです。


自我に自我を消すことはできません。

しかし、自我をよく観察し、自我の混乱を自覚することができれば、その時の自分は「自我」ではなくなっています。

「自我」そのものと同一化している状態ではなく、「自我を観察している」という自我から一歩離れた次元にある自分を感じることができます。


そのために、自我とは何か、何をどう観察する事が可能なのか、と言った視点から、自我のお話を続けてみたいと思います。

あ、それと……。

あらかじめ知っておいて欲しいのは、こういうことを話している僕自身が、いまだ「混乱している自己」であるということです。

ですから、混乱がなくなった者としてお話することはできません。

僕は、混乱がなくなった者ではなく、混乱している自己であるという自覚を持つ者としてお話します。

混乱している自己であるという自覚があるがゆえ、「自分が混乱していることにも気づいていない」という状態よりは、幾ばくかまし、という程度です。

その程度ですが、少なからず「混乱している自己」がなんであるかを語ることはできます。


勿論、興味関心の無い人に押しつける気はありません。無理に説得するつもりもありません。

僕の話を信用できないのであれば、それはそれで構いません。

話を聞いてくれないこと、信じてくれないことに対して、責めるつもりもありません。

ただ、僕は、興味がない方に向けてお話することはありませんし、できません。

僕の話に興味がないのであれば、どうぞそのままお引き取りください。引き留めることもいたしません。

それでもなお、アナタの意志において再びここを訪れることがあるのなら、それがどのような思惑であれ、このブログに「興味関心を寄せてしまっている」という表明となっていることに気づいてください。


僕はこれからも、ただ、僕が表現しえる範囲内において、お話するだけです。

とはいえ、関心を寄せてくれている方に対しては、出来うる限りわかりやすく、そして楽しく、納得いただける表現を心がけたいと思っています。

ブログ、書籍、ライブなど、色々な形を通してお届けします。


僕の話に興味関心をよせてくれる皆様、これからも、どうぞよろしく。



【トークライブ・インフォメーション】

いよいよ今週末開催!
最近お話しようとしている「自我」について、
また、来場頂く皆様が聞きたい事を話尽くします!

◎10月23日(日)「阿雲の呼吸」 in 博多
 第一部「EGO~偽の自分のメカニズム~」
 第二部「阿雲の呼吸リクエストアワー~ザ・むちゃぶり!~」



約1年ぶりに京都にお伺いいたします!

◎11月5日(土)あの世に聞いた、この世の仕組み in 京都
※携帯からお申し込みの方は【こちら】


◎11月23日(水・祝)札幌ソロライブ
 ※携帯からお申し込みの方は【こちら】



←無理矢理「押せよ!」って声を荒げたって、押してくれない人は押してくれないからね。結局人は、最終最後には、自分のしたいようにしかできないんだよね。
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大きなお腹

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日に日に大きくなっていく妻のお腹を眺めるのが日課の様になっています。

竹彩さんの時と比較すると、成長も早く、胎動も激しい。

先日は、妻が電車に乗っている時に、服の上からでもハッキリとわかるぐらいにポコポコと元気に動いていたらしく、それを目の当たりにした他の乗客が目を丸くしていたそうです。


そんな妻のお腹を見ていると、不思議な気持ちで一杯になります。

どこからどこまでが妻で、どこからどこまでが子供なのか。


一般的に、お母さんと赤ちゃんは「へその緒」で繋がっていると表現されます。

そう聞くと、なんとな~く「お母さん」と「赤ちゃん」の境界が「へその緒」のどこかにありそうな気持ちになりそうですが、よくよく考えてみれば、「へその緒」を境にプッツリと分けてしまうのはおかしいということに気づきます。

まずその「へその緒」と呼ばれる部分は、お母さんのものなのでしょうか。それとも赤ちゃんのものなのでしょうか。それとも、二人のものなのでしょうか。

二人のものなのだとしたら、どこからどこまでがお母さんのへその緒で、どこからどこまでが赤ちゃんのへその緒なのでしょう。

その境界線を明らかにすることはできません。

そして、そのへその緒の中を通っている血液は、どこからどこまでがお母さんの血液で、どこからどこまでが赤ちゃんの血液なのでしょうか。

やっぱり、その境界を明らかにすることはできません。


現時点で、肉体的・物質的なレベルで観察すれば、二人はやはり、ここからここまでが「誰それ」と、切り分けることができない、ひと続きの同じものです。

ですが、現時点ですでに、妻にとっては「わたしのお腹に、わたしではない誰か」という感覚があるそうです。

妻曰く、


川* ̄▽ ̄)「この子は私が寝ようと横になった途端に起きて動きだすのよねぇ」

とのこと。


ある視点では、二人は一つの同じもの。

別な視点では、二人は別人。



人の数は数えられても、命の数は数えられないという現実が、目の前にあります。





【トークライブ・インフォメーション】

約1年ぶりに京都にお伺いいたします!

あの世に聞いた、この世の仕組み in 京都

日時:11月5日(土) 14:00開演(13:30開場)
会場:京都市勧業館「みやこめっせ」 大会議室
料金:お一人様3,000円

お申し込みはこちら、【e+チケット】から。
※携帯用購入ページはコチラ


下記会場分も引き続き受付中です!

◎10月23日(日)「阿雲の呼吸」 in 博多
 第一部「EGO~偽の自分のメカニズム~」
 第二部「ザ・むちゃぶり!」


◎11月23日(水・祝)札幌ソロライブ
 ※携帯からお申し込みの方は【こちら】




←クリックの数は数えられても、気持ちの数は数えられないという現実が、目の前にあります。
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自我ってなんだろう

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来週早々に昨年末以来ご無沙汰していた税理士の先生が尋ねてくることとなり、只今、今年に入ってからずっとサボっていた会計帳簿の入力に追われております。

娘に対しては毎日の様に「宿題を後回しにすると、後が大変だぞ」などと言っている割には、夏休みの宿題どころか、約10ヶ月という長期にわたって入力をサボり続けてきた僕。

あ、どうも。ご挨拶が遅くなりました。

特技は「自分のことは棚に上げて」でお馴染みの黒斎です。


さて、そんな中、時同じくして「月刊アレ!」の原稿〆切が迫っておりまして、さらには年内中にまとめなければ、という新刊の進行(数冊分)なども激しく滞っており、いつもの如く軽くパニック状態になっております。

そんなこんながありまして、只今ブログを更新して現実逃避中の僕ですが、この「軽くパニックになって現実逃避中の僕」ってのが、いわゆる『自我』ってヤツです。

じゃ、その「軽くパニックになって現実逃避中の僕」が「パニックではなく、現実逃避もしていない、どちらかと言えばワクワクしながら目の前にある状況を楽しんでいる僕」なのだとしたら『自我』じゃないのか、と言ったら、それでもやっぱり『自我』なんですね。


『自我』というのは、何も「ネガティブな思考(状況)に巻き込まれている自分」ということだけではありません。

不幸のどん底であろうが、幸福の絶頂であろうが、そこに「私」という感覚があれば、それは『自我』です。


『自我』とは、誰もが当たり前のようにして持っている「私(自分)」というこの感覚のことです。

その「私」の最大の特徴は、「私」と同時に「私以外」という認識を合わせ持っていること。

「私」は「私以外」の様々なモノに取り囲まれて存在しているという感覚、分離意識が『自我』です。


アナタと私、世界と私、宇宙と私、自然と私、ご先祖様と私、神様と私……。

そうやって、「私以外のあらゆるモノに囲まれて存在している私」という、この当たり前の感覚が『自我』です。


つまり、「私と私以外がある」というこの“認識の芽生え”が『自我の誕生』であり、「私と私以外を分ける隔たりの消失」が『自我の死』です。

これは「肉体の誕生・消失」とは別なものです。


ですから「(私が)生きながらにして死ぬ」、つまり、「肉体の消失」を待つことなく「私の消失」を経験することも可能となるということです。

肉体があって「私」が消えた状態。

それがいわゆる「無我」と呼ばれる状態です。


しかし、残念なことに、それを経験したとしても「私は無我を経験した」とは言うことができません。

「私が無い」のが「無我」ですから、「無我を経験した私」は居ないのです。

ややこしいですね。


ややこしい話ですが、経験が訪れてしまえば、実はとても単純なことなんです。

言葉にしてしまうと、どうしても無理が生じてしまうので、あまり言葉尻に囚われずに読んでみてください。


僕はその経験をするまで「僕と僕以外がある」という認識の中で生きていました。

しかし、その時に「あるもの」が無くなる経験をしました。

「僕」は無くなりませんでした。相変わらず存在しています。「僕以外のあらゆるもの」も無くなりませんでした。こちらも、相変わらず存在しています。

ただ、なぜかその時、「僕」と「僕以外のあらゆるもの」を隔てていた壁が無くなってしまったんです。


記号で表すなら、「僕≠僕以外」が「僕=僕以外」にシフトした瞬間です。


分かりますかね。上記の通り、実は「僕」にも「僕以外」にも何の変化もありませんでした。

ただ、「イコール(=)」に重なっていた「スラッシュ(/)」が消えたんです。

「僕」にも「僕以外」にも何の変化もありませんでしたが、「≠」が「=」になったことで、そこにある世界は全く別な意味のものになってしまいました。


そして後に、この「スラッシュ(/)」が、自我を形成する唯一の原因、通称『カルマ』と呼ばれるものだとわかりました。

これを簡単に言うのなら、アナタと誰か(何か)の間にある「心の壁」のことです。



う~ん。どうでしょう?

こんな説明だと、余計難しく見えちゃうかな。

とりあえず、掴める人だけ読んでください。

このこと、とても大事なことなので、この後も引き続き他の表現をさがして続けて行きたいと思います。




【トークライブ・インフォメーション】

約1年ぶりに京都にお伺いいたします!

あの世に聞いた、この世の仕組み in 京都

日時:11月5日(土) 14:00開演(13:30開場)
会場:京都市勧業館「みやこめっせ」 大会議室
料金:お一人様3,000円

お申し込みはこちら、【e+チケット】から。
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平日のお話会「月イチ☆」

日時:10月26日(水) 19:00開演(18:30開場)
会場:三鷹産業プラザ 701会議室(藤)
料金:お一人様2,000円

THANK YOU! SOLD OUT


下記会場分も引き続き受付中です!

◎10月23日(日)「阿雲の呼吸」 in 博多
 第一部「EGO~偽の自分のメカニズム~」
 第二部「ザ・むちゃぶり!」


◎11月23日(水・祝)札幌ソロライブ
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