「木下黄太のブログ」 ジャーナリストで著述家、木下黄太のブログ。

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長井健司を金儲けの道具にする「集英社」と明石昇二郎氏②

2009-09-01 23:27:29 | その他
明石氏がミャンマーなどの国外取材に積極的でないどころか、
はっきり腰砕けであることが
僕の中で疑念を大きくしたのですが、
実はあがってきた原稿にも色々と問題がありました。

彼の原稿が大きく事実を曲げようとしている点は
多くは、ありません。
なぜなら、彼の原稿は、
取材で聞いたまま、
あるいはこちらが提供したままに近い原稿で、
「長井健司」という存在を追うノンフィクションや
ルポの視点を決定的に欠いたものでした。


はっきり言ってデータ原稿レベルのものでした。
僕らが提供したものや
聞いたまま羅列している感じなのです。
ただし、データではあるのですが
そのデータの取り方の偏差が偏っているために
このまま本になると
読者に大きな誤解を招きかねない記述もありました。
これは、過去にあった
イラクの人質事件について
長井さんが過剰に思い込んで
俺が行かなければという流れで
書かれている文章があります。
マスコミ報道の仕方に違和感があり
そこで自分がやらねばと長井さんが
考えたという
いわゆる「自己責任論」に
長井さんが踏み込んでくる話です。
長井さんがそういうある意味、思想的な立場やスタンスが
顕著なジャーナリストなら
そういう風に書いても普通とは思いますが
僕を含めて大半の周辺関係者は、
イラクの人質事件での長井さんのそのような反応を
聞いたことが一度もありませんでしたし、
通常の長井さんの言動からすると
首をかしげるような話でした。
明石氏の主張では
長井さんと行動を共にしていた研究者より
聞いた話だということでしたが、
僕自身はその方のバイアスがかなりかかって
こういうエピソードになっている感じが強くしましたし、
明石氏自身が長井さんを捉えそこなって、
長井さんの戦地へ赴く取材動機を
無理矢理ひねり出したような感じでした。
長井さんはなんというか
取材という行為そのものに純粋にのめりこんでいく
タイプですが、
あまりそこに理屈を考える人ではありません。
彼の作品をなくなってから何度も見ていますが、
戦争に対しての嫌悪感や
アメリカに対しての疑問は、はっきりとあるものの、
旧来の左翼的な感覚のジャーナリストとは
かなり違います。
もちろん、僕も長井さんの全ての言動を
知っているわけではありませんが、
彼の人生をきちんと描こうとすると
いろんな取材を総合的に描きながら、
全体として、どういう比重をつけて書くか、
思考しながら書き進めなければならないと思います。
僕は明石氏のここの部分の原稿は
そうした思索を細かくおこなわずに
書いていることが明らかだと思います。
このエピソードを話したという研究者の方は
一番最初に会の署名活動に協力をしていただきましたが
その直後から、会とは事実上没交渉です。
当時、この方は長井さんがなくなったことに
かなり感情的にショックを受けられているのが
顕著で、
エモーショナルに長井さんのことをいろいろと
思っていらっしゃったのだと思います。
そこをどこまで書込み
どこまで精査するのかは
むしろ書く側の立場の問題で、
これは、明石昇二郎というルポライターの
嗜好性が、このエピソードを大きく扱わせた感じがしています。
明石氏もこういう感じが好きなのだとしか
僕には思えませんでした。
当時、この原稿部分は決定的にまずいと思い、
何度も何度も直すように言いましたが
口では「そこは削ります」などといいながら、
直し原稿はほとんど変わらない状態が続きました。
こういうダメな部分をきちんとしない
明石氏の確信犯的ずぼらぶりは、
僕にはさらに不信感を募らせました。

もう一つは、結末のエピソードです。
当時長井さんと僕と同じ番組いたADで
今、テレビのディレクターをしている人間に
長井さんの志を継ぐような
エピソードを語らせている部分です。
彼は、もちろん長井さんのことは大切に思っていて、
その死にはいろいろと感じていることも
多いのですが、
本人が長井さんとは志向性がかなり異なるタイプの
ディレクターで、
彼が長井さんに影響を受けて
その志を継ぐような記述にするのは
彼の現在の状況や今後のテレビ人生を考えても
かなり無理のある話です。
というか、ほとんど明石氏の勝手なつくり的になる部分です。
これは、僕が
長井さんの署名運動に若い人が関わってきていて、
長井さんの行動を若い人が理解してくれている状況がある
という話を明石氏に当初のころにしています。
この僕の枠組みを文章化しようとして、
たぶん取材が不足しているため、
うまいエピソードに当たらず、
彼に最後かたらせて終わるという
かなり無理な手に出ていると思います。
長井さんも彼も知る僕を含めた周辺関係者は
かなり違和感をもちますし、
彼自身も「結末を僕が背負うのは無理です」と言ってきています。
これも具体的に明石氏に言いましたが
やはり直しません。
たぶん、他の結末が彼は思いつかないのです。
本の中でエピローグは言うまでもなく大切で
その点からも、実はかなり無理ある原稿です。


他にもテクニカル的に聞こえることですが
原稿上、長井さんのことを「健司」と
呼び捨てにして
「健司はこう思った」的な文章になっていることです。

はっきりいってご両親以外の
世の中の大半の人は
彼のことを「健司」という単語で認知していません。
「長井健司」でしょうし、
文章中だと「長井さん」だと思います。
多くの人に読んでもらうことを前提にする時、
さらに文中の大半の登場人物も
「長井さん」という単語で認識しているのに
あえて「健司」という単語を使用したがる
明石氏の感覚は僕には理解できませんでした。
これも何回も直すように言ったのですが
明石氏は「じゃあ直しますよ」と口で言うだけで
一向に原稿は直されません。

こういうことを踏まえて、僕はこの明石というライターが
多くの人に受け入れられるものを
あえて書きたがらない類の人間かもと思いはじめました。
僕の中で、疑念から、具体的な困惑になり始め、
「これはきちんと仕上がらないかも」という不安が強くなりました。

元々、できれば十万部、でもまあ数万部、最悪でも一万部を
超える書籍にする、
かなりの話題にして、
映画化やテレビドラマ化まで仕掛けられないのかと
腹案があったのと
明石氏の原稿のレベルに大きな落差がおきていました。
本と署名活動が連動し、
大きな仕掛けになり、長井さんのカメラのことを
取り戻す動きを強くしたいという感覚どころの
話ではありません。

これは、僕個人の感想にとどまりません。
会の活動を共に大きくサポートしてくれた
宗教学者の島田さんとも
何回も原稿読みを繰り返しました。
感想は僕よりもシビアで
「面白くないから売れないよ」
「この原稿のままだと全く普通の人に届かない」という状態です。
僕は何度となく、明石氏に原稿を直そうといいましたが、
彼には僕の言っている意味が伝わらず、
僕の困惑は深まりました。

明石氏は僕より年配で、仕事のキャリアも長い人です。
プライドも高い人です。
そして恐らく、自分を客観的に見られない人です。
僕の言い方がうまくなかったのかもしれませんが
本当に彼は理解しませんでした。

いや、理解したくなかったのかもしれませんが。
自己否定を突きつけているようなものですから。

僕は集英社ではない大手出版社で
明石氏を知る雑誌編集長などに
「どうすればいいだろう」と相談も続けていました。
その編集長はいつもドライな人で
「あなたが悪いよ。
明石がそんなに柔軟なことができるはずがない。
常識だよ。
明石に発注したことが間違いだよ。」

僕は大きくため息をつきました。

(この項、さらに不定期に続く)


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