宮城県栄養士会 食のコラム

「食と健康」についての情報発信!!

被災を通して思うこと~保育所での給食づくり~

2011年07月15日 | インポート

14時46分は、保育所の子ども達がちょうど、お昼寝から目覚め出す時間帯でした。地震だ…と思った瞬間、今まで感じた事のない揺れに、驚いている暇もなく、給食室内のガス等の確認を行い、すぐに子ども達のもとに駆けつけました。揺れがなかなかおさまらず、不安になる子どももいましたが、保育士の声がけで、少しずつ落ち着きだした頃、午後のおやつのメロンパンを食べながら、保護者のお迎えを待っていました。
余震は数え切れないほど続き、電気もガスも止まり、雪が降っていたこともあり、徐々にあたりは暗くなる中、水道はかろうじてすぐには止まらなかったので、汲み置きしておいたり、給食室内の倒れた物品、落下物等をできる限り元の状態に戻しました。備蓄しておいたカセットコンロやガスボンベ、紙コップや紙皿、備蓄食品など、今後必要なものを取り出し、震災の夜、保護者が迎えに来られなかった子どもには備蓄のレトルトカレーとアルファー米を提供しました。
翌朝は、備蓄の菓子類やパン、ジュース等を提供し、その日もレトルトカレーを提供しました。
翌週には、私が勤める保育所では電気、水道が復旧し、ホットプレートや電気ポット、電子レンジ等の器具が使えるようになりました。在庫の食材等を活用し、その日使える食材で給食を作りました。
ほとんどの業者から納品がない状態がしばらく続きましたが、全国の方々からいただいた支援物資や、営業しているお店へ直接食材を調達に行くことで、少しずつ、給食の内容が充実していくことに、安堵と感謝の気持ちでいっぱいになりました。
近年、食育の取り組みが重視されている中、今回の震災を受けて、食材やその生産者の方への感謝の気持ち、食べられることの喜びなど、子どもたちだけでなく、私たちも改めてZk_06_04_4感じました。また、作り手として、限られた食材を使って子どもたちに楽しくておいしい給食を食べてもらいたい、という思いがより強くなりました。
幸いにも、保育所自体はほとんど被害がなく、震災後3週間以内に全てのライフラインが復旧しましたが、復旧するまでの間、また、それ以降も職員同士や保護者の方々との協力、復旧作業に携わってくださった全国の方々に感謝の気持ちでいっぱいです。
今回の震災で思ったこと、感じたことを忘れず、これからの仕事の糧にし、今後も子どもたちにとって、おいしい、楽しい給食を提供できるよう努力していきたいと思います。


避難所としての学校

2011年07月01日 | インポート

Gakkou_2 避難所と指定されている仙台市の学校には災害時に備えて、備蓄品が置かれています。最初は1リットル入りの水とアルファ化米と乾パンでした。これまで災害で使われることがなく、賞味期限が近づくと避難訓練の際に児童がもらったりして処分を行ってきました。アルファ化米を給食で食べたこともあります。そのうち、乾パンがクラッカーに代わりました。簡易トイレや毛布も加わりました。また、水が500ml入りになりました。
震災当日は私が勤務する学校には約400人の方たちが避難してきました。学校の職員は、トイレのための水をプールからくみ上げたり、ストーブの用意をしたりしました。食事のことを考え始めた時はすでに暗くなっていたため、その夜はクラッカーと水を配りました。翌朝は給食室のガスがプロパンで使えたため、教職員に180本のペットボトルを開けてもらい、水を沸かしてHinann500人分のアルファ化米を用意しました。町内会の役員の協力も得て、避難者に食事を提供することができました。
また備蓄品が届きましたが、今回の反省を踏まえて、おむつやマスク、消毒用アルコールなども加わりました。
教職員の半分ほどといっしょに職員室で暖をとりながら一夜を過ごしました。目の前のことに必死でしたが、その現実が信じられない嘘のような心境でした。