ムジカの写真帳

世界はキラキラおもちゃ箱・写真館
写真に俳句や短歌を添えてつづります。

黄水仙

2017-02-11 04:20:07 | 






いつの間に 我を訪ひ来し 黄水仙     夢詩香






*この家の庭の隅には、毎年一群の黄水仙が咲いてくれていました。植えたわけでもないのに、いつの間にかやってきて、咲いてくれるようになったのです。

かのじょがそれを見つけたときは、とてもつらい時期でした。いろいろなことが重なって、生きるのが苦しくなりすぎたころだった。その頃に、まるで神の贈り物が来たかのように、庭の隅に黄色い水仙が咲いてくれた。

かのじょは心にきれいな水を吸い込むように、喜んだのです。つらい日々を乗り越えていける材料が増えたと、喜んでいたのです。

花というものにも、魂があります。だいたい花は毎年同じところに咲いていて、その周りにいる人間たちに語り掛け、助けています。ただ時には、特別な活動をしている花もいます。

この黄水仙は、かのじょという天使を特別に愛して、かのじょが生まれてくるたびに、近くに来て咲いてくれるのです。かのじょの前世の人生においても、この花はそっと近くに来て咲いてくれていました。そのときの人生では、かのじょは男性で、とても厳しい人生を送っていたので、花にはほとんど気付きませんでしたが、この水仙は心を添わせて、かのじょを助けてくれていたのです。

なぜそんなことをするでしょう。もちろん、愛しているからです。愛しているから、追いかけずにいられないのです。

愛しているものを、追いかけたいと思うとき、それに無理に逆らうのは難しい。かといって、無理に追いかけて、愛するものを苦しめるのもつらい。そんなことに悩むときは、この黄水仙の生き方を参考にしてください。

花のように何気ないものになって、愛する人の世界の隅に、そっと咲くのです。気づいてくれなくてもいい。ただ、愛するためにそばにいたいからいる。それだけでいいと言って、影から愛するもののために、できることをすべてやるのです。

この黄水仙は、相当に昔から、そういう活動をしていたらしい。そして、最後のこの人生になって、かのじょがようやく気付いたのです。いつも自分の人生に、この花と同じ美しい心の気配があったと。それはあなただったのかと。

愛は愛するものを苦しめるものであってはならないから。あまりに美しい愛をささげなければならないときは、隠れていなければなりません。それでないと、愛するものを苦しめてしまう。

あの人がつらく思わないように、恥ずかしがらないように、見えないところから、愛していきなさい。それであの人が幸せになってくれれば、それでいいと思いなさい。馬鹿なことではない。なぜなら、神はそのような愛を必ず見つけてくださるからです。

あの人が、水仙のあの愛に気付いてくれたように。

なお、今年は、あの黄水仙は咲いてくれませんでした。かのじょがいなくなったから、もう去ってしまったらしい。ゆえに写真は、2013年のものです。

さみしいですね。







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