ムジカの写真帳

世界はキラキラおもちゃ箱・写真館
写真に俳句や短歌を添えてつづります。

白月

2017-09-03 04:19:13 | 短歌





あをざめし 色はかれゆく きざしかは 天のかたへに 細る白月





*この人生はまだ続いていますが、わたしたちが、かのじょ、とひらがなでよんでいる人が死んだのは、事実上2013年の6月のことでした。

最初の予定では70代まで人生をやるはずでしたが、この時代の暴風に堪えられなかった。法則的に、かのじょは飽和状態にあり、馬鹿が何をしても無事であるはずなのですが、ほかの天使がみな死んでしまい、その使命がいっぺんにかのじょだけに降ってきたにもかかわらず、馬鹿が暴虐をやめなかったので、とうとうつかれはて、倒れてしまったのです。

何事にも限界というものはある。かのじょ自身はまだやりたいと思っていたが、もうとても無理でした。

馬鹿というものは、無明に眩んでいると自分をとめることすらできない。真実の美女がひとりでもいると、自分たちが嘘で作っているすべてのものがだめになりますから、狂ったように恐ろしく大勢で攻め滅ぼそうとした。まあもう何度も言われてわかっていることでしょうが、これからも何度でも言われるでしょう。

あまりにも愚かだったからです。

嘘というものは、結局真実を暴力で見事に崩さなければ、すぐにだめになってしまうのです。所詮は何もないものだからです。何もしたことがないものは、自分の記憶の中に痛いほど使える記憶がありません。何をしたらいいかの知恵もほとんどありません。ですからいつも人から盗んだもので何とかするしかない。全部人から盗んだもので、いかにも立派そうな自分を作り、なにもないところに、いかにも本当にありそうな自分を作った。それでなければ、何もない自分がつらかったのです。

だがそんな自分を生きていても、いつも不安なのだ。何もないからです。痛いことをしたくても、何もないからです。ですからそこに、美しいのにいいことばかりする、おまけにいろいろなことができる美人という者が現れたら、嘘の人間はみんな沸騰するように狂ったのです。

愚かな知恵を使って、そのたったひとりの美人を全員で滅ぼすことのみのため、生きてしまったのです。

それで、結局は何もない。かのじょは死んだが、特に不幸になったわけではない。結局最後まで悪いことをせず、汚れなかった。たったひとりの美人が、きれいなまま死んだというだけで、それを馬鹿にした大勢の人間がみんな汚いことをした馬鹿になったのです。

これが真実というものです。嘘というものは、たとえそれがたったひとつぶであろうとも、真実には勝てないのですよ。もうこれくらいのことはわかるでしょう。

経験というものは大事だ。この時代に起こった様々な現象を、つぶさに記録していきなさい。人類は深く学ぶでしょう。

あの青ざめた色は、枯れていくきざしだろうか。空の片すみで細く萎えて行く白い月よ。

死んでいく前のかのじょは、本当に細る月のようだった。まだやろうとしているのに、目がどんどん沈んでいく。

そして何かが裏返るように、その奥から新しいものが出てきたのです。






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