さをしかの 入野のいほに 風を葺き たまゆらの世を 夢に見むとぞ
*「さをしかの(小牡鹿の)」は「入野(いりの)」にかかる枕詞です。地名にかかる枕詞は難しいですが、別に特定の場所と考えず、この地球のどこかという感じで使っています。
勿論、野生の鹿が入っていく野のような、すこし鄙びた寂しいところという感じの意で詠っています。古語辞典では、入野というところがどこかは知ることはできませんが、ウィキペディアなどで調べてみると、入野というところは全国にもたくさんありますね。要するに、鹿が入ってくるような田舎はどこにでもたくさんあるということなのでしょう。
鹿が入ってくるような入野というところに、庵があり、その屋根に風を葺いて、このしばし滞在する人生を、夢に見ようとしたのだ。
「とぞ」で終わるのは、そのあとに「せし」を省略しているのです。こういう切り方をすると、後を引いてかなりおもしろい。印象が深まります。
風を葺くというのは、どうしようもない馬鹿なことをしてという意味だ。風で屋根を葺いても何にもなりはしない。だが人間は、風で屋根を葺くようなことばかりしている。
手に届くはずのないものを手に入れようとして、風をつかむようなことばかりしているのです。
目に見えるものなら何でも手に入ると思ってしまうのが馬鹿だ。この世界には目に見えない大切なものがあり、それを馬鹿にしては大変なことになるということがわかっていない。子供じみたわがままで、月をくれろと言ってダダをこねる。そしていろんな馬鹿なことをする。
嫌なことでもずるいことでも何でもすれば、いいものは手に入ると思っている。実際、ある程度はそれで何とかできるところがあるが、いつでもそれは後で大変なことになって、自分に返ってくるのだ。
月はとることはできないのだと、親が何度言い聞かせてもわからない。できないことがあるということがわからない。
もうわかっているでしょうがね、いくら美人だと言っても、人が何万人も集まるような美女は、手を出してはいけません。それは人間ではないからです。
なぜそれだけの人間が集まるのか。それくらいの人間を救ったことがあるからです。それは人間にできることではない。
人間の美女だったら、いくら多くても、20人くらいにもてるのが精一杯ですよ。はっきり言って、あのもて方は異常だったでしょう。
今さら言ってもだめですが、これは異常だと感じたら、やめたほうがいいということは、とにかく学びなさい。