ムジカの写真帳

世界はキラキラおもちゃ箱・写真館
写真に俳句や短歌を添えてつづります。

みちとせ

2017-11-27 04:19:20 | 短歌





凡庸の 闇におのれは ぬれそぼち 何もせずして みちとせを食ふ





*説明せずともわかるでしょうが、「みちとせ」は「三千年」のことですね。古い数の言い方は文字数が少ないので覚えておきましょう。「八百万(やほよろづ)」「五百(いほ)」「二十(はた)」「三十(みそ)」「四十(よそ)」。

数がたくさんあるということを表現するときに、いろいろ使えます。

凡庸の闇に自分はすっかりぬれそぼち、何も勉強しないで三千年を無駄に過ごした。

この三千年はただ、ものすごく長い年月ということを表わします。人間はたいてい長く生きても百年足らずの年月しか生きられませんから、三千年というのは気の遠くなりそうな年月だ。もう永遠と言ってもいいくらいでしょう。

まあ要するに、弱くて何もわからない人間という段階に自分を甘えさせて、何にも努力せずに、三千年もの月日を何にもやって来なかった。全部人に甘えて、人にやってもらってきたのです。難しいことをしようなどとは思わなかった。勉強をするなどかっこ悪いことにして、辛い思いをするのを嫌がる自分の甘えを許してきた。そしてやることと言えば、影から、努力している人の悪口をいうことくらいだ。

そういう人があまりにたくさんいたので、人間はずっと苦しんできたのです。

凡庸ということ自体が罪なのではない。いつまでも凡庸でいようとすることが罪なのです。人間は生きていく限り進歩していかねばなりません。時におのれのきつい限界を破る痛みを味わいながら、高いところに登っていかねばならない。そうしなければ、無明の闇におのれを噛まれ、何もしない自分がつらいという、自分の業病に取りつかれ、人の邪魔ばかりする悪魔に落ちてしまう。

悪魔とは、凡庸の闇に濡れそぼって、何もせずに人の邪魔ばかりしている、馬鹿な人間のことを言うのです。

みなまで言わずともわかりますね。だが、繰り返しやるのが勉強というものなのです。凡庸の闇に片足でも突っ込んでいる間は、何度も何度も言われなければ、すぐに忘れてしまうからです。

それはもう、三千度(みちだび)も言わねば、馬鹿にはわからないのです。






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