たかぶりの かたはあしたの 露の身の たれこぬいほり いてはてし骨
*たかぶりとは傲慢のことだ。かたは「形」、もののかたちという意味が強いですが、抵当とか担保とかいう意味もあります。「かた」と言っても現代語で通ずる。ここは素直に「かた」と言いましょう。
傲慢のかたというものは、あしたの露のような人のことだ。だれもこぬ庵にいて、そこで凍て果てた骨になるのだ。
なかなかにきつい歌です。
この時代、馬鹿の暴虐があまりにひどく吹いたので、限界を越えて馬鹿なことをやりすぎた人がたくさん出た。その結果、その人は人類のすべてに嫌われてしまったのです。
誰も何もしてくれなくなった。一人ぼっちの家に住んでいて、もしかしたらもう死んでいるかもしれないのに、だれも心配しない。だれも行こうとしない。だれも何もしない。
なぜいかないのかと人に問うてみると、みな、いやだというのです。あんな人のために、何かをする気持ちが、なにも起こらないのだと。
それが、人類世界の愛を食い尽くした人の運命というものです。いやなことをして、人を苦しめすぎると、そうなるのです。
だれも愛してくれない。だれも振り向いてくれない。人間なら最低限それだけはしてくれるということさえ、その人のためにする気が起こらなくなるのです。
もはやそうなってからでは遅いですから、そろそろ目を覚ましなさい。悪いことができるものが勝つのだと言って、人を馬鹿にしてばかりいると、そうなるのですよ。すべての人間の心の中にある、自分への愛の泉を、全部消してしまうのです。
人から盗んだ豪奢な広い家の中で、たったひとりで住み、だれにも看取られずに死に、葬ってくれる人もなく、動物の死骸のように腐っていくのです。
人間というものを、すべて、くだらない馬鹿だと言ったからです。
これから、こういう風に、すべての愛に嫌われた人間の、苦しい屍が増えるでしょう。それらはもう人間ではありませんから、棺も墓もないのです。
人間の形をしながら、鹿よりもむごい死に方で、死ぬのだ。永遠に誰も来ないところで、じっとしているしかない。
だれも骨に触らないからです。