ムジカの写真帳

世界はキラキラおもちゃ箱・写真館
写真に俳句や短歌を添えてつづります。

鷲の眼居

2017-06-20 04:20:38 | 短歌





あしかきの ふる日の空は あめりかを 思ひて青む 鷲の眼居






*どうも、俳句が来ませんね。やはりこのブログは短歌が中心になっているらしい。どうしてもこっちに傾いてきます。

「あしかきの(葦垣の)」は「古る」とか「乱る」にかかる枕詞です。その「古る」を「降る」にかけて、「ふる日の空は」を序詞として、「雨」を呼び、それをかけて「あめりか」を導いている。まあ、枕詞と序詞を併用してみた例ですね。こういうのもおもしろいでしょう。

「眼居」は「まなこゐ」で、目つきとかまなざしのことです。

葦で作った垣は古くなりやすいが、それにかけて雨の降る空を見ると、アメリカを思い出す。その国に住むという鷲のまなざしは、悲しみで青みが深くなっているだろう。

鷲は、アメリカの国鳥がハクトウワシなので採用しました。鷲とはいうが、もちろん鳥の鷲とはいうよりも、その国に住んでいる人のことだ。あるいは、外国にいて国を悲しんでいる人のことかもしれない。国を思う人々の目が、深く青んでいる。

青い西洋人の目も、もっと深く青くなっていることだろう。

まあこういう序詞の技術も、慣れてくればすいすい出て来ますよ。もう一例あげましょう。




ふるさとは 昏く淀むを 吉野川 小えび探しし をさななる頃




これは、「止す(よす)」を「吉(よし)」にかけた序詞ですね。「昏く淀む」で「止し」を導き、それで吉野川にかけているわけです。吉野川と言えば、和歌の世界では大和の国にある川のことだが、もちろんここではそうではない。かのじょが幼い頃に住んでいた故郷を流れている川のことです。こちらの川の方がずっと長くてゆったりとしている。

わたしの故郷は、暗くよどむことのない吉野川だ。小さな頃はその清い川の流れで、小えびを探したものだ。

あの人の小さな頃の記憶というものは、この存在の中に今も残っている。小さな頃、透き通った流れの中に、透き通った小さなエビを見つけた時の喜びが、今も残っている。それを詠みたかったので、こういうものができました。

国でも川でも、自分を育ててくれた土地というのはよいものだ。何かにつけて思い、詠いたくなる。








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