ムジカの写真帳

世界はキラキラおもちゃ箱・写真館
写真に俳句や短歌を添えてつづります。

日のしたたり

2017-03-10 04:20:06 | 短歌






高光る 日のしたたりの 胸に映え さいはひに似し 孤独の痛み






*また短歌が続きます。これはフェイスブックのノートから持ってきました。かのじょの作品です。かのじょは確か、フェイスブックの歌集には、「玻璃の卵(はりのかひ)」と名をつけていましたね。ガラスのたまごという意味です。かのじょは卵のようなものに閉じこもっていたが、それはガラスでできていて、いつもみんなが見ているのを知っているという意味です。

今ならもうわかるでしょう。

「玻璃の卵」には、たくさんの歌が書かれてありますが、実は、かのじょ自身の作品は少ないのです。もうあの頃には、だいぶ試練の天使がかのじょの自己活動を占領していて、かのじょが詠んでいる歌よりも、彼が詠っている歌の方が多い。それは、読んでいけばわかります。

これはその中で、かのじょ自身が詠っている歌のひとつなのです。

「高光る」は「日」にかかる枕詞です。高空に光っている日の光がしたたり、それはわたしの胸に染み込んでくる。光は映え、わたしの心を照らしてくれる。遠くからわたしを見ているものはいるが、だれもわたしに近寄って来はしない。みな、わたしを憎んでいるのだ。なぜならわたしがいるだけで、みなの嘘がばれてしまうからだ。だが、わたしはこの自分を曲げることはできない。なぜなら、嘘をついて万人に受け入れられるよりも、ただ一人でも自分を守っていることのほうが、幸せだから。

そういう生き方をまっすぐにした人でしたね。不器用などというものではない。ほかのものなら、もっとうまいことができたかもしれないが。あの人は、元から、嫌なことを考えることができないという人なのです。

いつまでも、子供が親を無心に追いかけるように、神を追いかけている。そして信じている。神が教えてくれることが正しいということを、微塵も疑わずに、すべてをやるのです。もうわかっているでしょう。

女性とは、そういうものなのです。

本質的に、神の愛の庭から離れられないという存在なのです。男なら、時に冒険して、神の手のひらから飛び上がってゆくこともできる。それがいいことになるということを、大いにすることができる。だが、女性は違うのだ。

金の粒を積むように、小さくてもよいことを積み重ねていく。愛を信じ、疑うこともせず、ただ神のためにまじめに働いていく。こんなものを馬鹿にしてはおしまいなのですよ。

神の愛を絶対だと信じて、すべてをよきことにして、何もかもをやってくれる女性を、いいものだと認めなければ、男はすべてに敗れるのです。

なぜなら、それは、神を否定することだからです。

女性はこのことを肝に銘じなさい。時には、こういう絶対の孤独にも、女性は耐えねばならないのです。男という男が、すべて馬鹿に狂っても、ひたすらに神を信じ、真実の美をつらぬいて、生きなければならない。男のように痛いことはできない。小さなことをまじめにやるということだけで、自分をつらぬき、どんなにつらくても、それを幸福だと言って、微笑んで生きなければならないのです。

これができなければ、女性は天使になることができないのです。







この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 天狼の目 | トップ | 空耳を »
最新の画像もっと見る

短歌」カテゴリの最新記事