ムジカの写真帳

世界はキラキラおもちゃ箱・写真館
写真に俳句や短歌を添えてつづります。

五十の小あり

2017-09-19 04:20:59 | 短歌





これは嘘 てふにもなれぬ おほありを 五十の小ありで なししものなり





*これは確か、ある歌人に挑戦した時の歌でなかったかと記憶しています。返歌は帰って来ませんでしたし、返信も消されたようだ。嫌だったんでしょうね、自分が否定されたことが。しかし対等の歌を返すこともできない。所詮は偽物だからです。できもしないことを、嘘で固めてやっているだけのことだ。

「五十」は「いそ」と読みましょうね。数字の読み方も、古い言葉では文字数が少ないので非常に便利だ。「八十」は「やそ」だし、「五百」は「いほ」だ。数が多いことを表すのに便利ですから、いろいろおさえておきましょう。

これは嘘の人間です。本当は蝶などではないのに蝶だと言っている大蟻のようなものだ。その大蟻も、多くの小蟻が結託してやって、作っているようなものだ。

これだけではよくわからないでしょうが、要するにその歌人は、本人はほとんど何もやっていなかったのです。ただ自分の人生にのっかっているだけ。いろいろな活動は、バックにいるほかのたくさんの霊が結託してやっていたのです。

それで、一見才能も美貌もある優れた人間のように見せていたのです。

そういうレベルの偽物の人間はたくさんいます。人から徳分を盗んで、かなりのステータスを得ていたりするが、目を見ると虚ろなのだ。何もしてないからです。ただ自分の中にいて、みんながやってくれる自分を感じているだけなのです。その中で、随分といいことを味わって、すごくいい気になっている。

自分はいいものだと思い込んでいる。その傲慢が、実にみっともない。

耳が痛いでしょうが、人間はこんな馬鹿なずるを、ずっとやってきたのですよ。

ですが、もうそれも限界に達した。こんな偽物の人間が、あまりに馬鹿をやりすぎて、この世界がひどいことになったからです。

神が本気で怒ったのです。

嘘で作った自分ばかり生きて、いい目を見てきた人間は、自分では何もやろうとせず、すべてを人から盗もうとする。そのためにあらゆる人を傷つけ、馬鹿にしてしまう。それでいろんな人が困って、社会が荒れて、大変なことになっているのに、責任も取らないで逃げるだけでなく、あまりにも傲慢に、自分はいい奴だと威張っているのだ。

もうそんなものは人間ではないのです。






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