空籠の むなしき底に 残りたる ただひとつぶの 君の悲しみ
*これは、2008年の作です。入院中のノートに残っていたものを収録しました。本館で検索してみましたが、ヒットしないので、たぶん未発表のものです。
かのじょの未発表の作品はもう少ない。見つけた時は宝物を手に入れたようでしたね。これからも、いろいろと発掘してみましょう。まだ捜索していない部屋があるので、そこを探すことができるようになれば、何かが見つかるはずです。
かのじょはある時期、強引に妙な病院に入院させられていましたが、その苦しい日々を、できる限りの様々な創作活動で乗り越えようとしていました。入院中のノートには、友達にあてて書いた手紙の下書きなどもありました。他愛ない手紙だったが、友達に対する深い愛が読み取れて、愛おしかった。この人はいつもこうなのだ。まぎれもなく、愛だけで人に尽くそうとする。条件などほとんどない。何も気にせず愛することができる人が見つかれば、尻尾をちぎれるほどに振る犬のように、愛をふんだんにしたたらせる。
そういう人を、馬鹿にして、いやな病院に入院させたということは、あなたがたにとって、消すことのできない馬鹿になっています。わたしたちも見ていながら、あきれ果てていました。人間とは、わからないものだと思っていたが、ここまで来ても何もわからないのだ。阿呆になったなどというものではない。人間が真っ逆さまに落ちるのを無理に無理をして支えている天使を、馬鹿だと言って永遠に封印しようとしている。
空っぽの籠の、何もないむなしい底に、ただ一粒残っているのは、あなたの悲しみだ。阿呆をやって、すべてが無に帰して、何もかもが馬鹿だったとわかったとき、自分に残っているのは、悔いることさえできない、おまえの鈍い悲哀なのだ。
阿呆め。
やさしくいこうと思っていましたが、きついですね。一応言っておきますが、解説文の後半はわたしの付け足しです。かのじょが歌に込めた意は、もっとやさしいですよ。ですが、かのじょもこの時期は、相当につらかったようだ。普通なら経験しないような経験をしている。馬鹿にしか見えないような現実を見せられている。あんなことは、本当は天使に見せてはいけないんですよ。人間が嫌になって、来てくれなくなるかもしれない。
入院中のノートの同じページには、ほかにも面白い歌が書かれていましたよ。それも紹介しておきましょう。
いらだちの 根方を見れば たあいなき くせものどもの 馬鹿騒ぎなり
あの人は、あなたがたのしていることなど、とっくに見抜いていたのです。馬鹿は何もわからない。自分を超えた感覚や愛があるということを知らないから、単純な暴虐だけですべてができると思い込んでいる。
そしてそれが反動として返ってきたとき、あまりの現実に呆然とすることしかできないのです。