手稲は最高!

手稲在住30年、手稲って本当にいいなって常々思っています。時に触れ、折に付け思いついた事を、取り留めなく書いてみます。

平成 最後の日

2019-04-30 19:58:00 | 身辺雑記
  平成31年4月30日、記念すべき日となった。平成最後の日なのです。明日からは令和元年となります。

 今日「退位正殿の儀」という古式ゆかしい式典が挙行された。テレビで私も見ました。日本皇室の古式ゆかしい伝統の姿を近代的なアレンジを加えて施行していた将に日本でした。

 私の平成は、退職直後それまで現職だったので指導料をもらわないで指導してきた詩吟、指導料をもらい指導者として独立し歩みだし、咋年の暮れに札幌市社会教育功労者を受賞して詩吟に落ちが付いたような形となり、私の人生の半分がすっぽり組み込まれた時代だったことになります。

 現在89歳2ケ月、数え歳90歳なのです。卒寿として町内会から記念品をいただいたりしました。平成の30年は現役を終えて詩吟に没頭し、本当に張り合いのある充実した年月でした。一時期は詩吟の教室が週5日ということもありました。又、詩吟で手稲文化協会に加盟し、文化協会の改革に取り組み、大きな評価をいただきました。とりわけ、手稲老人福祉センターが開所したのに合わせ、詩吟の講座の講師を引き受け27年間継続指導に当たってきました。これはどちらかといえばボランティアに近いのですが、出欠は自由ですし、さらに詩吟の資格は全く問題にしません。全員同等の立場で参加してもらいます。従って、多様な生徒さんを差別することなく同じように楽しんで学んでもらう努力は結構な苦労を必要としました。そのような詩吟を通しての活動が認められ、昨年11月21日に、札幌市から、社会教育功労者としての表彰を受けることにつながったのです。加盟している北詩連からはお祝いを戴きました。又今年の6月の碌峭会交歓吟詠会は、お弟子さんたちが私の受賞記念大会にしてくれるといいます。平成の締めくくりがこの表彰でした。歳も90歳、鉾の納め時が近づいています。後は体力と相談しながら無理のない詩吟の道を歩もうと考えています。

 
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北詩連定期総会に出てきました

2019-04-29 20:11:27 | 詩吟関係
  
 北24条のサンプラザホテルで北詩連の定期総会がありました。13時から理事会、14時30分から総会という日程。

 2時間の余裕を見てバスと地下鉄で行くことにしました。手稲駅南口11時19分のバスに乗る。余裕を見たつもりだったのですが、歩くのが遅いせいだったと絵もいます。24条の地下鉄改札を出たら12時20分になっていた。すぐハイヤーをつかめたら乗って行こうと思ったのですが、歩く方が早かった。ホテルに着いたら12時30分を過ぎていた。

 理事会と総会の間に時間があればそこで食べに行こうと思い、昼食抜きにしました。理事会時間がかかり、昼食を取る暇がありません。結局昼食抜きで懇親会に出ることになりました。肺気腫の酸素欠乏どんなことになるのか心配だったけれど、何とか持ちこたえて帰宅無事帰宅出来ました。

 やはり軽い食事をして出かけるか、サンドイッチなどを購入して行くべきだったと反省しています。懇親会はノンアルコールビルをいただきながら楽しませてもらいました。
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肺のリハビリー  カラオケに行ってきました

2019-04-27 18:53:51 | 身辺雑記
ぇ7  午前中家内の買い物のお供。寒くて、小雨模様の嫌な日でした。

 十連休の初日の土曜日、多分、店も空いていると思って出かけた。十連休中詩吟は一度もありません。今、飽和度測定器を購入して、飽和度の動きと酸素吸入の効果を確かめながら、肺気腫に対応ています。

 飽和度が下がったら酸素吸入をする。それはいいのだけれど、できるだけ機械に頼らない状況を維持したいと思いながら、模索しているのですが、飽和度98%でも少し動くとと95%位に下がる。その時ゆっくり休んでいると次第に回復して98%まで戻ることが多い。それを大切にしたいと思い、自己修復力をつけるには、肺のリハビリーをする必要があるという結論になりました。そのために詩吟は今まで通り頑張り、暇なときはカラオケで肺を使うことをしていこうと思い立ちました。

 そんなことで、単に遊ぶということでなく、肺のリハピリーのために出かけたのです。

 店は案の定空いていました。先客が二人。私を入れて三人でのカラオケになりました。

 3時過ぎに店を出ました。その時、酸素濃度が落ちているはずなのなので、持参していたスピリーバーを一呼吸して帰宅しました。帰宅して家に入ったらかなり苦しいので、もう一度スピリーバーを吸入しました。

 今日の結果わかったこと、出かける時、飽和度を98%にして出かけ、車から降りて歩く時にスピリーバーを一呼吸する。出先から帰る時も、もう一度吸入してから出る。このパターンを基本として、日常的に動いてつらくなったらとにかく、ゆっくり呼吸を整える。更にひどくなったらスピリーバーを使う。酸素吸入機の使い方もかなり上手になってきたように思います。吸入機を手放せなくなることをさける努力をとにかく続けます。
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明日から大型連休

2019-04-26 19:11:59 | 随想
  平成をしめくくるためにそうなったのか。明日4月27日から10連休になる方が多いみたい。連休が明けたら令和での仕事となる。現役だったらとてもうれしいことだし、どこに出かけるかと悩んだりしたと思う。

 今は歩くこともままならず、車で目的地に行けても、歩くことになるとアウトなのです。従って十連休を眺めるだけです。

 こんな体だけれど、軒下畑は今年も何とかしなければなりません。シルバー人材センターに依頼して、毎年来ていただいている方に今年もお願いしてもらった。電話で5月1日に耕しにきてもらうことになりました。

 畑の準備ができたら、後は私がやらなければならない。家内は全く頼りにならないのです。私は畑仕事といえる仕事はほとんど無理なのです。ほとんど腰掛を使って座って仕事をする、それも立て続けに仕事をつづけることが無理なのです。言えば、畑仕事は土台無理になっているのです。それなのに・・・。

 家の前の花畑、植えてある草花が次々と花を開いている。梅の花も咲いている。水仙が今は盛り。それを追ってチューリップの蕾が膨らんでいる。手入れをしたいと思うけれど駄目です。スコップを使っての仕事はできないのです。

 それでも見かけは元気そうなのです。89歳と2ケ月、数え歳90歳とは見えない。ほとんどの人が70歳代といってくれる。それに詩吟の先生をまだ続けているのです。不思議なことに、詩吟で声を出すことはそんなにつらくないのです。詩吟に限れば、あと二年は持つのではないかと思ったりしていますがどうでしよう。それをかなえて区切りたいものです。
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リーダーシップつて

2019-04-24 19:16:23 | 無題
  人生を振り返ると、私も結構仲間のリーダーであったことが多い。でも、本職の教員としては管理職にならなかったし、町内会などの会長も固辞してきた。

 教頭試験は受けさせられたけれど、落第でした。積極的に、なりたいという気持ちがなくて勧められるまま受けたけれど落第だった。でもこれは人には恥ずかしいところもあるけれど、自分では良かったと心から思っている。町内会の副会長は6年やった。でも会長は固辞してきた。文化協会でも、私がやる気があれば会長になれたでしょう。しかし、働きがいのある事務局長を選んで務めてきた。仲間内の集まりみたいなものができるといつの間にか私がリーダーになっていることが多かった。

 これは集まりの目的に沿って手はずを整えてあげることが嫌でなかったからかもしれない。詩吟の会が作られた時、私が会長に祭り上げられていた。職員仲間の間で「村川学級」などという、集まりができたこともあった。嘗ての同僚が集まってのOB会のようなものも、私が設定しなければ駄目だということもあった。

 公的なリーダーシップを発揮できるような立場には立たなかったけれど、結果として良かった。自分の性格から、その責任を果たすのに心を擦切らせたと思います。

 ただ、会長さん、会長さんといわれてそれで満足する性格ではない。周りを見渡すと、管理職になった仲間が次々に亡くなっている。いい人たちだった。やっぱり管理職という役職を全うするために、心を擦切らせていたのだと思う。

 いろいろなリーダーが存在する。決まり切ったレールの上を、特に曲げることなしにすすめば多くの場合間に合う。リーダーとしての信念から新しいものを取り入れて改革するというリーダーシップを発揮できる人は少ない。

 今の私は詩吟の会の会長というリーダーでいる。会の運営と指導を両立させ、会員が楽しく、喜んでついてきてくれる会にしたいと心を砕いている。会の会長はリーダーです。会がうまくっているということはリーダーシップが発揮できているということにもなります。詩吟の先生でも単に詩吟を教えるだけを考えているようでは良いリーダーといえないのでしょう。昨年の受賞は詩吟という場面でのリーダシップが認められたといえるのンも知れません。</font>
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人生悔いなしといいたいけど

2019-04-23 19:43:10 | 身辺雑記
  田舎の小学校長の長男として生まれ、校長先生の息子ということでちやほやされて育った。田舎だから自分から勉強をするということはなかった。教室で先生の話を聞いているとちゃんとわかるから特別勉強をしなければならないと思ったことがなかった。

 一番初めの試練は、旭川師範の予科を受験した時だった。戦時中で口頭試問の入試だった。体育の試験もあり、軍隊の教連調の試験で大きな声を聞いただけで気が動転してろくな試験にならせなかった。何か所かの失敗を意識できた。不合格という人生最初の衝撃を受けた。そのあとの学校生活、学ぶことの楽しさを味わうことなしで過ごしてきた。変な自負があった。勉強すればみんなに負けないということだ。しかし勉強をしないで良い成績を取ることは無理な話。学生生活でいじめられるようなことはなかった。仲間の中ては悪餓鬼たちには一目置いて見られていた。兄弟が多く、貧しい家庭だったから、運動用具とかを購入してもらえず、亦運動などで何に適応できるのかもわからずに遂に一時スキー部に入っただけでつづけることもできなかった。

 運動を経験したのは、教員になってからだ。スキー、野球、卓球、バスケットボールを覚えた。でも学生時代に選手だったのなら良いのですが、仲間とただ遊びでやったというくらいです。ですから、顧問になっても高等戦術のようなものを知らないから゜まともな顧問にもなれないのです。一番長くやったのが美唄東で女子のバスケットボールの顧問です。美唄東に転任して直ぐ、女子のバスケットなら私の指導でも勝てるチームにできると思い引き受けたりです。その年に南空知で優勝して全道大会に連れてゆくことができました。しかし、これもここまでのことでそれ以上の指導ができない悲しさが残りました。スキーも一級の資格は持っているものの競技スキーの経験のなさは致命的でした。

 そんな中で、44歳で始めた詩吟だけは、それなりに努力しました。おかげで私の後半生はとても充実しものになりました。短歌もやった,社交ダンスもやった。だけど中途で挫折した。挫折かりの人生だけれど、最後が良ければみんな良しといいますね。これでよかったのでしょう。

 
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今日の詩吟教室

2019-04-22 19:37:39 | 詩吟関係
  第三会議室でした。15名定員の会議室ですから、8名の会員に丁度良い。

 hiさんとても良い素質がありますが、伸び悩んでいる。自分なりの既成観念を持っているように感じる。素直に伸びない。初心だから仕方がないのだけれど間の取り方、母音返しと課題が多い。次の段位に挑戦するようになると変わると思う。MAさん、引きの長さ、母音返し、かなり修正できてきた。修正できるということは詩吟か分かってきたということです。素質的にはいいものがあるのです。kaさん、標準的な纏まりです。ほしいのは野性的な力です。Kjさんはできあかっています。ただ、言葉の切れが足りない、もう少し切れのある読み方になってほしい。TUさん、病気の後遺症から立ち直っていません。腹に力がはいない感じで、口先の吟になっている。審査を必要としにない他の三人は、それぞれ課題吟を楽しみながら稽古をづけています。

 後半、交歓吟詠会の課題吟の稽古をしました。特別番組として、 合吟と連吟を考えることにしました。font>
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いつの間にか4月も末に入りました

2019-04-21 19:13:21 | 身辺雑記
  三月からとても天気に恵まれ、春一番もないままに4月に入り、もう、連休が目の前だ。

 明日は今月最後の詩吟教室。次の稽古日は5月の7日になる。先週引いた風邪がまだ治り切っていない。此の大型連休で回復できるでしょう。

 確か昨日からパクゴルフ場が一斉に開場したはずだ。5年前の私なら、待ち兼ねて出かけていてたはずです。今や一ホール歩くのがつらくて、やめてしまった。

 それでも車のトランクにパークゴルフ用具一式が積まれている。未練ですね。明日の詩吟の教室、パークゴルフに行くか詩吟に行くかと迷っている方もいると思います。私のブログのカテゴリーにもパークゴルフが入っている。 

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風邪でダウンしていました

2019-04-19 19:41:31 | 身辺雑記
  一週間前の朝、目が覚めたらせきがではじめた。葛根湯を飲みながら様子を見ていた。一日咳込んでいた。夜寝ると収まるだろうと思ってたら駄目でした。一晩中、寝ることもできず咳込んでいた。手稲耳鼻咽喉科は日曜もやっていて、国分先生が見てくれることにっている。髯も剃らず、もちろん朝食も食べず6時45分に家を出た。着いたら玄関か前に5名ほど待っていた。間もなく受付が始まった、私は6番だった。先客か多かったら一回帰宅して出直すつもりでしたがそのまま待ちました。

 点滴を受け、吸入機が貸し出され、薬をいただいて帰宅しました。かなり症状がひどかったようで、何とか落ち着くのに三日かかりました。しかし、完治には遠くほぼ就寝はできるのですが、起きてソフアに横になると咳込むのです。それも仰向けに寝るとひどいのです。横向きのいい角度でいると咳が止まっている。でも一寸動くと又咳込むというありさまなのです。

 月曜日は詩吟の教室、声はほとんどでないようなありさまでしたが何とか、務めを果たしました。次の火曜日も詩吟です。どうしても範吟をしなければならないので、何回か声を絞りました。

 今、椅子に座ってPCに向かっていますが。ここでは咳が出ていません。でも横になる咳込むはずです。お腹の調子と連動しているのだと思います。

 何とか、今晩くらいで解放されたいけれど。どうなることやら。辛い毎日です。6ont>
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老人クラブが壊滅するかもしれない

2019-04-13 17:22:31 | 身辺雑記
  私の町内会では、町内会から独立して「健幸クラブ」という老人会を作っています。50名以上の会員数と、年間4回ほどの研修会を開催すれば,区から助成金がいただけるのです。もちろ会員も会費を納入することになっている。設立した当初は70名くらい在籍してかなり楽しい会でした。会費は緬2400円だったのですが、数年前に1200円に値下げされました。

 幾つかのサークル活動もあり、助成もしてくれていました。しかし、会員が減少してサークル活動もむつかしくなっています。私は詩吟のクラブを立ち上げて指導していたのですが、昨年度から5名を切り、助成を受けることができなくなりました。

 来週、本年度の総会がありますが、話を聞くと50名を確保するのに会長さんが苦労したといいます。今年は何とかなったけれど、来年の保証はないということです。

 町内のロジン人口が減っているわけではなく、老人クラブに入る意義が薄れていると思います。年に何回かの研修会には懇親会がつきもので、ここでお酒をいただき余興を楽しんだのですが、今はお酒を飲めなくなった方も多く、余興も盛り上がりません。

 近いうちに、健幸くらぶは解散ということになるかもしれません。町内会から独立して活動しようという目指したところは素敵だったのですが、後継者不足で目的とした活動もできず、区からの助成も受けられなくなると、自然消滅ということになるかもしれません。ちょっと寂しい。
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