手稲は最高!

手稲在住30年、手稲って本当にいいなって常々思っています。時に触れ、折に付け思いついた事を、取り留めなく書いてみます。

吟歴46年・・・・8

2020-08-09 18:53:56 | 吟歴46年 

 13時から始まるのですが、12時30分ころ会場に到着しました。見渡したが東先生の顔が見当たらない。親しくしている方に東先生見えてないですね、と聞いてみた。すると小声で昨晩理事長と事務局長が東先生のお宅に行き宗家の命令「理事会、新年会に出ないでください」と告げてきたとの話を聞かされた。この言葉を聞いて、6月に退会を予定していましたが、これはすぐに実行しなければならないと決意しました。
 あとで分かりましたが、此の日の午前中いつもはクラウンに乗っておられるのに、軽自動車に乗って本屋さんに出掛け、自損事故の事故を起こし、意識不明で入院したとの連絡を受けました。
 即刻の余裕もない感じで、岡内嶺周先生にお会いして、4月から北詩連に加盟する手筈を整えました。丁度嶺周先生の弟さん嶺蒼先生が理事長ををされており、嶺蒼先生ともお会いして内諾をいただき、教室の方はも一月中に了解をいただき、2月11日に私と三教場の代表三人と四名で岩見沢の佐々木象堂先生の自宅に出掛け、全員の退会届を提出してきました。
 北詩連への入会は四月一日となりますので、それまでに移転に伴う諸問題を片付けなければなりません。北詩連の岡内嶺蒼先生他の方とお会いし、いろいろお指導をいただき、資格の扱いは一般会員は現在の資格を横滑りさせることででてもらうことになり、私は吟歴30年、指導歴20年ありましたから総範をいただいてもおかしくなかったのですが、錬師範に格下げされる形で認められました。会名をどうしようか迷いましたが、 象堂流の時の会名を文字を変えただけの碌峭会として、碌峭会平和教場、碌峭会手稲第一教場。碌峭会手稲第二教場、会員数38名で入会することになりました。
東先生は、そのまま他界され、供花に碌峭会の名前をはしめて使わせてもらいました。当然とは思いましたが、象堂流からは供花はもちろ、代表も出席していませんでした。・・・・・つづく/div>
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吟歴46年・・・2  

2020-07-24 18:31:51 | 吟歴46年 

 ともあれ、私たちは恵山流に初段の資格で移ることになり、恵山流では資格審査が5級から始まることになっていたのですが、5級から1級までを受けずに済むことになったのでした。
 私は中伝(6段と7段の間)の時札幌西陵高校に転勤となりました。転勤した年は校務が多忙を極め、詩吟をやめることになるのかとおもっていました。
 2年目に校務分掌が変わり一寸楽になりましたので、詩吟を又やることにしました。しかし、美唄や岩見沢まで出かけることは無理ですので、手稲で探すことにしました。すると公民館に
日本詩吟学院剣風会手稲という道場があり、会ができて4年目くらいで、資格でいえば、私の方が上になるような会員構成でした。そこへ入れていただきました。ここでは私の持っている詩格は
生かされず、5級からのやり直しでした。でもこれが私の詩吟の原点となりました。
 此の当時、コンダクターという伴奏楽器があることさへ私は知りませんでした。そのコンダクターを使いこなす先生がいて、詩吟を楽しく習わせてくださったのです。今まで先生が吟じるのを聞き
それをまねして吟じるということをしてきて、特に音感の鈍い私はとても苦痛であったのです。このコンダクターの伴奏がつくと、とても楽しく、楽に吟することができるのです。そのおかげでこの会の
皆様とても生き生きと楽しんでいました。私の後から入会した女性の方が、先生にお願いしてコンダクターを購入しました。しかし、自分では使えないことが分かり、「村川さんなら使えると思うから
お上げします」といってきた。値段を私は知っていたので半額で買わせてもらいました。
 コンダクターの使い方は自分なりに稽古をして自分の指導の武器にすることにしました。基本的な考えとして、今までの先生からの口伝で習う苦痛と、コンダクターの伴奏で稽古するのでは、全く違うのです。
楽しく稽古ができる武器として使う。上手である必要はないのです。
 詩吟学院の5段をいただいたところで、西陵高校の先生方の詩吟の会を作り、 象堂流の宗家佐々木先生に月一度教えに来ていただくことにし、私も 象堂流へ戻らせていただきました。 象堂流では
7段を戴くと次に準師範の資格を戴くことができるのです。教室を立ち上げるめども立っていたので、早く資格を欲しかったのです。・・・つづく</div>
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吟歴46年になるのだ

2020-07-19 19:25:49 | 吟歴46年 

小学校4年の時、吉田鉄郎先生が詩吟を聞かせてくれた。ただ一回の吟だけれど、私の体にしみこんだみたいで、忘れることができなかった。そして、いつか機会があれば詩吟を習いたいと思い続けていた。
沼田高校から美唄東高校に転勤して、数年後佐久間先生から声がかけられ、先生の伯父さんになる東先生が詩吟の指導者としての免許を取得したので、道場を開きたいといっている、一緒にやってみないかと誘われ
即座に仲間入りをさせてもらった。8名くらいの仲間が集まり、土曜日の18時から職員室で教えをいただくことになりました。
 豊泉流という流派でしたが、ほかにどんな流派があるのかももわからないまま、とにかく先生の口伝に随って初段の試験にまい進したものでした。会は、東吟会と名付けました。美唄東の東と先生の東を取ってつけたものでした。私は一番年上で会長に祭り上げられていましたが、好きだけれど吟はとても下手でした。
自分ではやれるつもりなのですが、最悪でした。でも、やめる気はありませんでした。稽古をすれば人並みにやれるようになるはずだと信じて頑張りました。
 豊泉流で初段を受審して、全員合格してわかりました、特別大きな間違いをしないで吟じればみんな合格するのだということを。それを知らなかったから、全員初段合格ということで、祝杯を挙げたものでした。
初段になった年に、新しい会「恵山流日本吟道会」が立ち上げられ、私たちはそちらに移ることになりました。豊泉流から分派したのでした。分派したといえ、300名からの会員を擁し、宗家流でなく会員制の
流派でした。ただ、指導の中心に佐々木象堂先生が据えられていました。
 佐々木先生は豊泉流でコロムビアのオーデションで全国優勝をして、コロムビア音楽会の副会長をつとめられ、全国に名前を知られた方でした。数年後に会名を 象堂流恵山吟道会に変更され、宗家流に変えられました
。しかし、創立当時の素晴らしい先生方が次々やめてゆかれ、会の勢いも無くなってきました。そんな中で今度は、象堂先生がコロムビアから外される事態が起こったのでした。・・・つづく/div>
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