カンボジア日記  ゆめきの日々

カンボジアの情報と、世俗・慣習・文化
等も少し入った文章にしようとしています

ご期待の下さい

国王の生誕祝賀会

2014-10-30 13:33:32 | 国王関係
10月29日生誕日のパレードについて

王宮前では、色々の催し物が行われまして、テレビ放送があったと聞き及びますが見ていませんでした。
※チャンネル権が無いので、好きな番組の視聴が制限されています(笑)
関係者が、お揃いの上衣白服と青服で王宮前に集合し、風船を空に離すいつもの光景でした。
パレードについては、大したことが無かったですね・・・潤沢な資金が用意できないと、参加者が極端に減ります。
夜の花火
何かの催し物があると午後7時頃から始まる花火ですが、5分程度? で直ぐに終了してしまいまして、タチマチ終了してしまいました。

王様からの特別恩赦
議会の採決を受けて、国王生誕日に特別恩赦が28日に公表されました。
820名の囚人が対象となり、それぞれ減刑および赦免となっていますが、長期の囚人に対しては適用がなされないことが多く、今回の適用者に関しても同一の条件が課されているので、強盗殺人犯とか累犯集団武装強盗の類には適用外の運用となっています。



以前の記述が解決しました
以前の記述で、兵士同士が酒を飲んで喧嘩になり、兵士用のナイフで何人もの兵士を殺害した兵士が死体で逮捕されました。
家族と地方に隠れ住んでいたのですが、警察の追跡捜索で居所が確認され素手で警察官に立ち向かいましたので警察官に殺害されました。
カンボジアでは、一件落着となります。




武装強盗犯に対する取り締まりの強化について
追跡して犯人を逮捕するにあたり、GPSを運用している会社のシステムを利用して、広範囲に犯人追跡を可能にする警察システムの実験運用中に犯人が引っかかりまして、犯人の四方八方から警察官が「御用」しましたので、システムの公表がなされました。
以上が警察の発表ですけど、別にGPSが無くても無線があるので、犯人逮捕とGPSシステムは無関係な筈だけどねーーーー。
考えて欲しいのは、現在の科学では「無線より速く移動できる乗り物はありません」・・・GPS追跡システムは、予算消化の一旦なのでは?
※大方、そんな事だろーと思う(笑)
※GPSの利用は、シアヌーク通りの会社にあるよ・・・確か、そうだったと思う。
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一報・・・10月29日のプノンペン市内は渋滞になる

2014-10-28 13:33:38 | ゆめき発【カンボジア安全情報】
一報

10月29日は、シハモニ現国王の生誕日で国民休日指定日です。
この日に、プノンペン市内で大掛かりな「国王就位10周年記念式典」開催されますので説明します。
28日から、王宮で僧侶が500人程度集合して国王の就位を祝う行事が既に開始されていまして、カンボジア全国の25洲各州都代表者・刑部(検察と警察の総称)・軍部(軍隊と属する機関)・カンボジア赤十字・各国駐在大使が29日に集合し、就位10周年を祝う予定です。
これには、パレードが予定されていまして、順次3ヶ所からプノンペン市内を朝の5時程度から夜の9時程度まで動き回りますから相当の交通渋滞が予測されますので、十二分にご注意願います。

★この情報は、28日の朝に伝えられましたが、私は午後まで知りませんでした。
理由
最近テレビを見ていないし、事情通と疎遠になりつつありましたので情報入手が遅くなりました。

★★★モニゴンのセントラルマーケット付近は、2つのパレードが重なる地点ですし、もうひとつのパレードも迂回コースの範囲にあるので目茶苦茶渋滞と予測します。
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水祭りの開催情報 他

2014-10-28 10:29:01 | 三面記事
囲碁の話
井山雄太王座と村川7段の王座戦挑戦手合い1局目は、井山雄太王座の半目勝ちで終えました。
王座戦は、持ち時間各3時間ずつの1日勝負ですから長く観戦しておりまして、序盤は黒持ちの井山雄太王座が相当いいのではないかと予測していまして100手程度で中押しなのではと考えた差があったような気がします。
中盤も何となく黒が押している感じでしたが、終盤に差し掛かったころには急激に差が縮まりまして、左下隅の劫を狙った黒の手が単なる誤算だったので、更に3目ほど差が縮まったと感じて目数の計算をしましたら、込を入れて1,5目でしたからありりゃー判らんぞ?
しかし、寄せの途中で黒も白もチート間違いをしたので、逆転はならずに王座の半目勝ちでした。
冠をかけたプロの寄せでは、時間が無くても応手が20手程度で1目程度しか違わないので、黒の完全逃げ切りでした。

ソニーの話
以前の記述で、ソニーは売れるものは既に売りつくしたと記述しましたけど、これは元ストリンガー会長時代に、五反田の本社土地を片っ端から売りつくしたのを揶揄して記述しましたけど、現社長さんは更に徹底して売りつくしまして、アメリカの土地も品川の土地も大崎の土地も売っていますので、もう既に売るものが無くなってしまいました。
会社を売るかもしれませんねー。
原因
ソニーの株主の大多数は固定株主だったのですが、株が乱高下するので多くの株主が売りまして「ファンド」が買い占めましたけれど、過半数には届かなかったので投資はしても何にもできない状況でした。
ただ、ソニーの創業者家族の学業成績だけが優秀なボンボン(脳タリン)が、他人任せで事業をしたのはいいが「株券担保の借金」ですので、坂道を転げ落ちる雪だるまのように借金が膨らんでいき、全ての株券を外国のファンド企業に差し出したと言う訳です。
★常識的には、株券を市場で販売して現金化してからの話だと思うけれど、其処がボンボンと企業経営者の異なる点かも知れません(笑)
★株券担保の無用金利を何年も払い続け、株式が価格低下の評価があると更に株式を上乗せしなければならないし、其の新たな金利が負担になりますから、ボンボンの経済感覚は判りませんねー。
本当に、大学に行ったのかな?
経済修士課程卒業という冠がついてたと言うけれど、単なる脳タリンだったのではないのか? (笑)

ソニーの問題点
もはや売るものが無いので株価は下落一方で、ソニーを販売する事になるはずと予測する。
ファンドは、売れるものは全て売るので此処がハゲタカファンドと言われる所以ですが、もはや会社を売るしか方法は無いはずです。
過去の特許?
ブルーレィ・・・既に時代遅れな特許です。
理由
記憶容量が大きくなったのでブルーレイの必要性は感じないので、無用のものです。
ソニー製品で、特許を含めてずば抜けた品物は無かったよね?
決定
10年持たないで、倒産か身売りだな!!

ここ10年以上は踊りの名手が社長様だけど、アメリカ人はイギリス人と日本人の特徴を良く捉えて、踊りどころか「アメリカ人専用の女郎に仕立てたね」(笑)
やっぱし、慶応の教授である「竹中平蔵」様は、並の経済学者では無い非国民経済学者だね・・・学者に、政治は無理なんだよ。
小泉さんへ・・・平蔵に、一生勉強してろと言えよ。


リクルートの話
リクルートは、汚れた話で成長した会社ですけど、一度は潰れても甦りましたね。
この会社の凄い所は、労働者からピンハネした金額が年間9,000億円あると言うので、人材派遣という企業は何なんだ?
人材派遣一社で、年間9000億円の利益は異常ではないのか?
公共職業安定所というのは? 
厚生労働省?
やっぱり、根が腐ったのしか居ねーぞ。。。
しかも、汚れが酷いぞ。。。
もっともっと、清潔にしろよ(笑)



いつものように天気から
(此処からはカンボジア)

曇り空が多くなりましたので、汗の量が激減です。(笑)
私としては、昨年のような「涼しさ」を2年続けて経験したいのですが、今まで2年続けての経験はありませんから多分無理と思いますが、ちょっぴり期待しています。(笑)
ここ1週間は、連日冷たい風が朝から吹いてまして、1週間の時を経て大気中の空気が徐々に冷えてきましたね。
ただ、日中に強い直射日光が4-5時間降り注ぎますと、タチマチ気温が上昇するので冷気は夜間までお休みです(笑)
今時分の雨について
今時分は、どの程度の暴風雨が来ようとも泣こうが叫ぼうとも、プノンペンに洪水はありません。
保証しますが補償金の支払いはできませんけど、簡単に保証可能な領域程度の確率とお考えください。
ご注意
洪水は無くとも低地の場合は水が溜まりまして、排水が間に合わない間は水の停滞は有りますから、この時間内はどぶ川の中を行くが如し。



えーと、三面記事から

土地問題
今でもゴタゴタしているバッタンボンの土地問題では、200-300人程度が当局とにらみ合いして戦いになり、15名の戦死者(逮捕者)を出しまして鎮圧されました。(笑)
プノンペンの土地問題、バッタンバンの土地問題、カラチェの土地問題等が有名で多くの逮捕者が出ていますが、土地問題はカンボジア全土でありまして、過去から未来への継続課題です。
私が以前の記述の中で、土地の登録料金について簡易に記述した事がありますが、以前は登録料金が土地の購入料金より高価格請求があった時代もあるので、土地取得ができても登録できなかった過去の歴史もありますので、現政権下で創設された新規の制度と規則が全て正しいと言う認識は成立しないという考え方が私にはあります。

地方の土地問題ですけれど、退去を迫る方も迫られる方もどうにもならないというか口あんぐりの状況がありまして、いくら口で説明しても退去しないのが常識なので、それならばと、「バックホウ=ユンボ」の機械力で建物の土台付近土地を根こそぎ取り払う強制力行使で建物を破壊する手法が大流行で、不法占拠された土地の建物を全てぶっ壊しました。
この場合は、住民とか支持者が少ない場所或いは都市部では無い地域に行使される強制力の実行ですけど、まあ、どっちもどっちと言う感じですね。

道路を勝手に耕して、自己の土地と主張した事例
幅7-8m程度の道幅で、曲がりくねった道路延長距離6km程度の土地を一人の男が耕し初めまして、自己の土地と主張し始めました。
しかも、大型の犬を10ぴき程度飼い犬として周辺域に放し飼いにしていますので、恐ろしくて近寄れない時宜が長く続き3年が経ちましたら、近接する土地主に安価に販売しましたので道路が全て田んぼに変わりまして、元の道路が不明というか無くなってしまいまして、現在は全て田んぼです。
販売価格1㎡あたりus1$・・・田舎の土地(プノンペンから200km程度離れた場所)
一度調査が来ましたが、周辺域の人々は全て「知らぬ存ぜぬ」ですし大型の犬が何匹も一斉に吼えるので、調査はそこそこに終了し以後は調査無し。
行政の街にある昔の道路地図に道路があるのですが、道路自体が知らないと言いますので「どうにもなりません」。
玄人用記述ですが、何故に確認できないのか理由が判るかどうかですね。


強盗
昼前の午前11時頃、二人の男が買い物の振りをして店舗を留守番していた28才の女性を殴りつけ300,000riel(us75$相当額)とus40$を強奪したのですが、少年17才の男は捕まり他の一人は逃亡中です。


食中毒
1家4人が激しい食中毒になり、一人が死亡し三人が入院中です・・・継続委細報道無しなので、その後は不明。


交通事故
午後3時頃、60才近い酔っ払いの中国人が運転するUVA車が他人の家壁を突き破りまして、家に居た家人の中学生と友人をブッ飛ばしました。
死者はいませんが、背骨とか身体の何ヵ所も骨折した中学生がいるので、相当に後遺症が発生するはずです。
家にいた全員の怪我人6名で、全員重症で救急搬送されています。
運転手本人も、重症で緊急搬送されています。
※道路に面した家の煉瓦ですが、全て横積み煉瓦なので車が容易く家の中に飛び込みました。
当地の常識として、街道筋の道路に面した家壁は煉瓦二列積み程度は最低限で、家の前の門を強化し横積みの場合は二列の空間にモルタルセメントを注ぎ込む手法が一般的ですが、飛び込まれた家は単に一列の横積み煉瓦家後壁でした。(多分、相当古い家と思います)


珍しい事故
交通事故なのですが、裁縫労働者を乗せてトラックを運転中に運転を誤り貯水池に落下して、死者と重傷者が多数出た自爆型交通事故です。
死者5名で、全員うら若き乙女の年齢(死ぬのが早すぎる)涙
他に、怪我人多数ですが、擦り傷たんこぶとか2-3針縫った程度は勘定に入れません。
運転していた男は助かりましたけど、「お前が代わりに死ね」です。(笑)


80才の男が運転しての事故
年齢80才の男が、車を運転していて一気に20人程度ブッ飛ばし、一人死亡で11人を病院に送りました。
ブッ飛ばされた人々は全員怪我をしているはずなのですが、委細の内容については判りません。
プノンペン首都圏は人口密度が高いので、徒歩移動中の歩行者が何十人もいる場合が多いので、列に突っ込んだら「一回で10,20,30人規模の事故」が偶にあります。
ただ、年齢が80才という事ですから記事になりましたけれど、75才程度からの高齢者による運転からは無理だけどね。
バイクは大丈夫だよ。
理由
二輪なので、動作が鈍いと事故前に転んで自爆事故で本人が怪我して運転を辞めるが、車は転ばないので事故をやるまで自己の身体衰えに気が付かない。

他の交通事故は割愛・・・ものすごく多いので、記述する意味がない。
日に何人も死傷しまして、小さな国で年間1万人以上は亡くなっているはずですが、正確な数字がワカラナイのが難点です。
理由
当地の警察発表は、今でも日に交通事故死者が一人などと冗談のような場合も多いですから、新聞見ろーと言いたいです・・・一紙だけでも良い県土。
しかも、発表が素晴らしいので、信頼性〇ですね。
私自身は、よく発表できる内容だなと言いたいのですが、日本の検察庁長官でさえ「パチンコは両替のできない遊戯」なので、両替については「あずかり知りません」と公式公表するぐらいですので、カンボジアだけに特別という事ではありません。

国道の橋を越えた所で、大型タンクローリーでガソリン20kL積みが雨の降り始めで土埃にタイヤが載り、横滑り気味に乗合ハイエースタクシーを3台巻き込みまして横転しました。
橋ですから、集中する交通の場所なので、バイク・歩行者・自家用車その他も居ましたから、全て爆燃ガソリンが綺麗に周辺を焼き尽くしまして、警察発表は死者14人です。
ナンダァー?
140人ならわかるけど????
通常、乗合ハイエースタクシーは法定15人乗りなので一台あたり子供を含めて15-20人程度は乗っていますから、3台だと60人弱ぐらいは乗車していると考えるのが妥当なので、此処に歩行者とバイクにトュクトュクが道路上に居るので、100人近くはいただろうと推測される事故内容でした。
場所
今は通らない6/7号線の旧道で、イスラム寺院の近くで、プノンペンから行ったとして右から左に橋を渡る感じの渡った直ぐの場所で坂の道路。
この記述が判る人が居ると良いけどねー。


裁縫労働者のストライキ
今までは、残業と日曜出勤がありましたので通いの生活が可能だったのですが、ここに来て「残業無しで日曜出勤無しなので法律が保障する最低賃金だけ」の給与という職場が現れたので、生活できない給与という事で給与というストライキが出てきています。
原因
利に素早い企業経営者が、長期に働く者の賃金抑制に走りまして、手法は長期に働く労働者の賃上げ抑制方法として数年以内に辞めていく方法の採用です。
理由
裁縫労働者は単純労働者なので、何年も働かせない手法の方が利があると判断したようです。
※ストライキに参加した連中は全員解雇されましたが、会社の前で不法解雇だとかストライキ継続中宣言でガァガァーやるものですから、会社が就業時間変更を行いまして新規採用労働者の就業時間が昼出勤からとなっいますので、就業終了が夜になりました。
(労働者の頼れる見方が参加していますので、ちーと長く戦いになるかもしれないし、場合によっては事業所閉鎖の提起があるやもしれないので、事業所は閉鎖視野で対処と思う)
裁縫労働者に関しては、タイからの不法就労がタイでの強力な取り締まりで帰国し、多くが職を求めて裁縫労働者になったりしていますのでいつも満員状態ですから、企業側が実質給与切り下げを目論んだとしても不自然ではありません。
しかも、現状では再度タイでの就労ができないので、カンボジア国内で何かの職に就かなければなりませんから、相当のプレッシャーが労働者側にあるようです。

他に、数百人規模のストライキというかデモ
賃上げ要求に対して、事業主は「うるせー」と工場閉鎖で対抗したので、何と説明すればいいのだろうか?
事業主都合によるロックアウトという事業所閉鎖なので、労働者は中に入れないので事実上道路にタムロスルしかありません。


工場内で、揮発性の物質を使って作業中に、何らかの原因で揮発性ガスが爆発し、二人死亡で重症の怪我人多数で10人を越えてます。
原因の追究?
そんな話しは無駄ですから、さっさと修理し工場稼働が先決でしょうね。


ベトナムの話
多くのカンボジア人がベトナムで不法就労していたのですが、これまた当局の取り締まりが厳しくなったせいで帰国している不法就労者が目立ちます。
ベトナム語とカンボジア語に堪能なおばちゃんが、市場でおっきい声では言えないがと「でっかい声のクマエ語で話してくれました」(笑)。
此の人が雇い入れていたところでは既に全員帰国したと言ってまして、ベトナム人の旦那さんと市場で飯屋をやろうか考えていると言ってました。


ベトナム人の不法入国
CNRPの主張に基づく処置で、越南人がカンボジア国内の国境近くで補導されました・・・逮捕ではありません。
こんな事が報道されるのが珍しいので、政治的色彩の強い国内報道内容と思う。

プノンペンで、ベトナム人の不法就労者グループが13名警察に強制連行されました。
一応警察署に連れて行かれたのですが、ベトナム行きのバスに乗せて「消去」しておしまいと思う。


ポイペトで、タイ人二名が旅券無しでカンボジア国内に足を踏み入れまして制止した「police=警察官」と口論になりまして、タイ人は20年も旅券無しで通っているんだと大声ですから、カンボジアの警察官は逮捕してやるーと息巻きました(笑)
タイ人は、馬鹿野郎と言いまして(ここは推測 笑い)、何で旅券が居るんだよ!!
どあほうにスダコですから、カンボジアの警察官も「てめーら、来るな!! 帰れ!!」ですけど、バンコクまでは5-6時間の道程なので即日の往路は無理がありますので、相当ゴタゴタしてトライバルゾーンでの宿泊となりました。
〇この程度の内容で全てを理解できた方は、このカンボジアの達人免許授与です。(笑)
続き
この件に関して、ポイペト近くで官製デモが行われましたので参加者が3,000人程度になりまして、祭りのような賑わいが数日間続きました。
参加者の弁(私の知り合いで、現政権側の知り合いに参加を頼まれた人)
一応の理由として、近くにいたので参加したが、塩きつめの豚肉3切れ入りカレー煮の弁当と水だけしか貰えなかったと言ってました・・・末端の処遇は、何処の地も同一です。
(本人は、一応官製デモを否定していますが、100%官製デモです)
早めに参加した連中は、一人10,000riel配られたが300人ぐらいで打ち切りと言っていましたので、現実には50-200人程度で支払いで打ち切られたはずですね。

タイで、カンボジア人を標的とした不法就労問題が大きく取り扱われていまして、ゴキブリ処遇で帰国しています。(笑)
ベトナムでも、カンボジア人が働こうとしましたら直ぐに密告されてあーだコーダですから、それじゃカンボジアも反撃しちゃると「ベトナム人・タイ人」の入国と不法就労問題を正規の建前論と官製デモという表現で文句を言いまして、タイとベトナムに対する官製デモが継続して何度も実行されています。
※プノンペンに於いても官製デモがありますので暫くは継続するはずとの認識ですが、単に国内世論を扇動しようとする国民向けの官製デモですから、道路で出会っても「暫くすれば終わります」。
※せいぜい、最大2-3,000人程度規模が最大です。
★タイのカンボジア人不法就労問題が更に長引くと、少しは騒々しくなるかもしれませんが早くても年明け過ぎからだと思う。


覚せい剤事案
覚せい剤の取り締まりに引っかかった連中が、一度に20人を越える大捕り物です。
老若男女ですから、暴れた場合は頭の禿げた人でも後ろ手錠で捕まります(笑)
連日、全国で取り締まりなので、今でも覚せい剤事案は毎日逮捕者が出ています。

殺人事件
最近は減少方向にありまして、地方でも警察官の増員によって被疑者逮捕者が増加したので、犯行意欲が萎縮して犯行が減少の方向性にあったと思いますが、最近になって地方では連日武装強盗殺人事件あり、連日複数の被害者が出ていますので地方の生計が苦しいと言う表れと思います。
実は、6月のタイ国内のカンボジア人不法就労問題でカンボジア人が一斉帰国を余儀なくされていまして、軍政がかかる原因の問題点を強調しているので再度の出稼ぎが不可能なようですから、仕送り頼っていた地方の小作農の人達は生活が苦しくなる一方です。
農作業で手間賃を稼ぐのですが、小作農生活で間断無く1年中手間賃の稼げる農作業はありませんから、どうしても仕事の無い端境期は生活が苦しくなり生計維持困難になります。
私は、この時期を本年の12月程度には顕著になるだろうと言う予測を記述していましたが、ここに来て少しずつ新聞に活字が踊り出したので兆候はあるようですね。
〇鉈で首を刺して、金員を奪う強盗殺人事件。・・・犯人不明 
〇複数で、女性を縛り上げて強姦し金員を持ち去り、大声を出せないように口にクローマーを押し込んで窒息死させる殺人。
(死体発見時は裸体で、犯人は4名で容疑者は逮捕されています・・・数日後に、被疑者は3名と訂正が公表されています)
〇ハンマーで、いきなり前から脳天を一撃する強盗殺人事件。・・・犯人不明
〇殺して金員を奪い、木を沢山のせて死体を焼く殺人事件。・・・犯人不明
〇刑務所から、6人が脱獄した事件・・・(白人系混血クマエ2名・ベトナム系クマエ1名・インド系クマエ1名・クマエ2名  全員男性)

〇口で何度言っても判んない悪ガキが、瓶に頭を突っ込まれ水中に押し付けられて窒息死です・・・目撃者が慌てて警察に通報しました。
真実
家にあるお金を子供が盗みますので、脳天分裂した親が子供を捕まえて「水責め」というヤキを入れましたけど、現実には御仕置であり「躾」の一環でしたが、目撃した人がびっくりして子供殺人と警察に通報しましたので、テレビクルーも出動する話になってしまいました。
この話には続きがありまして、子供殺人事件と考えた警察とテレビクルーに新聞記者が駆け付けたのですが、現実には何にもない御仕置の話しでも、手ぶらで帰る訳にはいかないので経緯の再現フィルムを現場再現する事になりまして、子供の手を後ろ手に縛りあげる脚色入りでの映像が撮影されましたので、念の入ったややこしい「やらせ報道」説明による御仕置と躾の話しでした。


※殺人事件の被害者数に関しては、連日、上記のような殺人事件が多数あるので、暇な方は販売されている新聞全紙を購入し年間何名の犠牲者が出るのか数えてください。


生活の苦しい現場の警察官
今年の6月程度までは、CNRPとの緊迫した状況がありましたので、対応する警察軍とか機動警察官は割増賃金がありましたし、常時待機し緊急出動に備えて食住が提供されれてましたので、実質衣食住の生活費無料で割増賃金の受け取りがなされてました。
しかし、平和になると「緊急出動」が無くなりますので割増賃金支給が無くなり給与のみとなり、食事提供されていた内容も変更で廃止になりますから、一気に個人の支払いが増加しますので生活が苦しくなります。
そこで、機動警察官でも交通警察官に寄り添いまして、共に交通違反摘発で生活を懸けて摘発に勤しむのでプノンペン首都圏全域で大規模な交通違反摘発が行われていますので、ノーヘルでの走行ができなくなりつつありますけど、近場ではまだまだやっています(他人の状況はワカラナイ 笑い)
※昔の摘発よりは可愛くて、交通違反を現認した場合だけの摘発だし、無理して追いかけないので逃げる方も容易にスタコラです。(笑)




知恵袋の話

ten_270228_cac01さん
タイに住んでいる友人に日本から航空チケットを買って送るにはどうしたら良いのでしょうか?


随分、捻った質問ですね。
ある意味、玄人の質問と解釈しています。(笑)
では、解答します。
まず、「呼び寄せチケット」の取り扱い可能な旅行代理店を探す必要がありまして、通常の業務としては取扱いしていないはずなので、探し出すのに結構汗をかきますよ。
簡単なのは、タイ航空の呼び寄せチケットを直接購入する方法しかないので、委細はタイ航空が説明するはずですが、高価格設定は常識の範囲とお心得下さい。
仕組みについて
日本発のチケットの場合と、タイ発のチケットの場合では取扱い基準が異なりまして、タイの発券の場合は通常はタイ発で復路日本発になりますが、貴方のお話ですと日本発券の航空券でタイ発になりますから、日本発で考えると復路のチケット使用となりますのでオカシイですよね。
すなわち、往路と復路のあべこべというか使用する順序が逆転してのが、「呼び寄せチケット」です。
ですから、日本で購入したチケットにもかかわらず、往路使用がタイ発になるチケットが必要で、更に使用者がタイ国内に居住可能な現に有効な査証を所持していて、旅券で容易に確認可能な状態であらねばなりません。
理由
日本人が、日本発の復路使用のチケットを使用するのですから、往復航空券ではないので「この状態は片道航空券使用」と同一意味ですので、もし復路最終目的地の国が上陸不許可という処分が出されたら、責任が航空会社にも波及し本人を本国に送り返す責任が生じますので、概に有効な当該国の査証を保持していると言う条件が必要不可欠なのです。
質問者は、此の意味を求めている内容での「どうすればいいのか?」という事ですが、此処で明確に答えられる人は皆無な筈です。
※呼び寄せチケットを使用できる条件を、満たしている状況を考慮しなければならないのに回答者には不明ですから、呼び寄せチケットの購入時には同一の趣旨で確認が求められますよ。
確認というのは査証という意味ですが、現に有効な査証を保持している証明が必要な場合が考えられるので、委細についてのタイ航空の契約約款に準じたものになるはずです。
補足
タイ航空は、日本国内ではタイ人専用の特別約款による安価な航空券も販売されているので、ある意味種々の航空券が販売されているはずと予測するので、第一番に問い合わせするべき航空会社と思う。




カンボジア訪問旅行者用記述
ホテル・ゲストハウス・シェアハウス
カンボジアは、プノンペン一極集中型の国家ですので全ての国家機能がプノンペンにありまして、プノンペンの発展度合いは国際都市並みの速度で拡大を続けています。
ですから、旅行者用のゲストハウスもプノンペン首都圏全域にありまして、1per day/1room 2bed us7$ 程度の部屋も現れてきました。
これは、外国人の旅行者が減少傾向にあるという事から、料金を値下げして部屋を貸し出して居る経営者が増加傾向にあるという事でして、プノンペン市内外の場所にあります。
問題は、短期滞在というか数日間の滞在しか予定していない外国人には不要な情報かも知れませんが、料金安価で客の獲得を目指す経営者もいるという事です。

2000年頃のプノンペンは、右を向いても左を向いても日本人と外国人が多数長期滞在していまして、プノンペンには日本人専用宿がいくつもありましたので、相当数の日本人長期滞在者が居ましたし、白人の外国人はこの数倍程度規模で長期滞在していましたから、2014年の現在とは雲泥の差ですね。
長期滞在について説明すると、概ね1ヶ月又は3ヶ月程度の査証更新ですから通年を通しての滞在者ではありませんので、最近の通年日本人の滞在者とは内容が異なります。
当時は、常時3,000-5,000人程度の日本人滞在者規模ですので、オルセーのキャピトルレストランには朝から晩まで日本人が10人程度は居ましたね。
(キャピトル近くに、「つーちゃん食堂」という、日本人相手の日本食レストランがありました)
以前は、キャピトル関係に滞在していた日本人が30-40人程度は常時滞在して居ましたが、最近は変動が激しいのですが、それでも常時キャピトル関係に常時滞在している日本人の総数は15-20名程度は居ます。
日本人が集まる理由
宿泊施設とレストランに大型乗合バスの発着場があり、外国人が向かうカンボジア国内各地にバスの運行がなされているので、国内旅行に利便性があるという事が知られています。
参考
大型乗合バスの利用料金
プノンペンとホーチィミン(サイゴン)間の片道料金がus10$で、往復料金の場合は往路と復路共に1$が割引減額されるので、往復利用の場合は大人一人で18$の支払いになります。
(過去の日記に詳しい記述がありますので、興味のある方はご精読願います)
従いまして、国内料金については更に安価設定ですので、詳しい事はキャピトルレストラン横にあるバス案内窓口で確認願います。

プノンペン~シュムリアップ(アンコールワット)片道 大人一人分の大型乗合バス座席料金 21,000-22,000riel 約us5$強で6$以下。
※確か、往復の場合には10%減額された料金支払いだったと思うので、必ずご確認願います。
(競合する同業他社の乗合バスは往復サービス減額料金の適用が無かったと思いますが、委細の確認は各自で行って下さい)
※中国正月とクマエ正月にプチュンバンの帰省期間中は、料金の臨時値上げが常識になりまして、一般的には50%程度の値上げになりまして、帰省期間が終了すると元料金に戻ります。

ホテル
一般論としては、カンボジアの宿泊形態からはホテルに泊まる必要性が無いので委細は割愛ですし、ホテルからの場合は移動が不便ですね。

シェアハウス
ドミトリー(寄宿舎又は相部屋)と呼ばれる方が日本人には多いですが、英語表記は相部屋という表現が適切と思います。
多くの人々が同一部屋に泊まりますと、何かと問題が多いし安価なので経営側が敬遠しまして「極少数の場所」にしかありません。
この状況は、タイ・カンボジア・ベトナムも同一方向に向いてますので、余程旅慣れたバックパッカーという位置づけでいいと思います。
※今から十年程度前は普通にありましたが、過去の宿泊施設という概念でいいと思います。


知り合いからの電話・・・今、パイリンに居るだよ
カンボジアとアメリカの重国籍男性 
カンボジア人の女性・・・二人は夫婦
二人の素性

アメリカ国籍を持つ男性で、両親は共に元カンボジア政府の官僚でした。
相当昔、政権が転覆しそうなので、どうしたらいいのか一計を熟慮中にアメリカに来ないかという嬉しい「ささやき」が両親に届きましたので、両親は全財産を売り払いアメリカに渡り、アメリカ政府の庇護のもとに生活を送っていましたが、彼が誕生する頃からアメリカ政府に捨てられまして生活が苦しくなったと聞きます。
ただ、彼には国籍が付与されていますのでアメリカ国民ですが、両親がカンボジア人でカンボジア国籍を所持していまして、彼自身が現カンボジアで両親の生誕地確認ができているので、カンボジア国籍の取得が可能でした。
風貌
見た目純粋クマエで、英語は読み書き聞く話すの全てがネイティブスピーカーで、クマエ言語は聞く話すのレベルですので「カンボジア語は文盲」です。
女性
素晴らしい英語が可能で、英語は聞く話す読み書きも可能なレベルですから、アメリカでの生活も困らない言語能力です。
勿論、クマエ言語はネイティブスピーカーです。
(聞く話す程度なら、他国の言語も可能です)
風貌
純粋クマエ

この二人から、カンボジア国内旅行を一緒にしないかと誘われていましたが、かなり前から断りました。
理由
行事が沢山目白押しなので、お金が無いと伝えました・・・此の断り方が、世界共通の一番いい率直な話ですね。(笑)
話しの中で子供の誕生日についての話があり、「二段のケーキ持参で行く」と言われたので断れない感じの話になりまして成り行き上「OK」と返事をしてしまいましたけど、この話が巡りましてタチマチ15人程度から「参加申し込」がありましたから、ちーと、気が重くなってしまいました。
※当地は、「結い・義理かけ・付き合い」と言う感じですので、他人を呼ぶとあからさまに呼ばれる形になりまして、人を多く誘うと誘われる回数も多くなりまして、体が忙しくなる事この上も無し。
何故かというと、遠方からの参加もあるやもしれないので反対に考えれば遠方からの誘いが濃厚ですので泊まり込みでの参加になりますし、遠方の人は宿泊しますので準備が大変です。
心の三割程度は、反省が駆け巡っています(笑)
さらに増えたらどうしよう・・・えぇーい、なるようになれ。(笑)



水祭り・・・ボートレース開催の話
最初に水祭り実行の記述をし、其の後後退した記述をしましたが、ここに来て実行されると強く思うようになりましたので説明します。
まず、10月27日の4日程度前から、水祭りのボート漕ぎ競争が始まるはずとの話が彼方此方で聞けるようになりまして、人によっては新聞に書いてあったとか、テレビでフンセン総理がボート祭りの実行証明書に署名したとかの話がありましたし、27日の午後には「特別の号外」が出たと言う話も出ましたので、中止は無く実行されると思います。
号外の件は「眉唾」と解釈していますけれど、話を聞いたら「本当に出たらしい」ので、念の為に価格を聞いたら100rielと言う話でした。
通常ですと、此処まではトンチ気の話は無いはずなので、何らかの号外が出たのかもしれません。
私自身は、別な報道の可能性が高いと言う認識ですが、数日たてば判ると思うのでそれからでもいいはずですね。
(新規の政策が実行される報道かも知れません)
どっちにしろ、外国人には関係が有ろうはずもないので、どっちでも良いです・・・外国人にとっては、安全情報以外はどっちでも良いです。(笑)

11月5,6,7日3日間です。
場所
プノンペンの「モットンレー=王宮前の川」です。
※ボートレースは、テレビでも実況生中継がありますが、5日のレースを現場で見るのが一番興奮します。
※初日のレースが最高に興奮するボートレースでして、過去の記述にもある通り「初日」が最高ですね。

★この国は、昔から情報が無いので「相当不安」です(笑)
私自身は、水祭りの開催についてはまだまだ疑念が継続していますので、開催されるまで疑念が保持されるだろうと思います。
本当に決定的な話は、11月2 and/or 3日にならないと判らないと思いますが、多分実行されると思います。
現在の心境
99%となっています(笑)
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カンボジア(タケオ紀行)・ベトナム(サイゴン)・タイ(スーパーリッチ)

2014-10-17 10:22:38 | 価値のある記述
囲碁の話
囲碁名人戦は、双方2勝2敗になっていますので最終局7番勝負ですので、まだまだ楽しみが続きます(笑)
第5戦は、河野臨九段の投了で終了しましたので、3勝2敗の井山雄太名人の有利で更に熱戦が継続されます。
第五戦については、私自身の感想ですと、三隅を占めた時点で黒番の河野臨九段が有利であり、20目以上の大差状態なので黒の勝ちと早々に断定してました。
しかし、途中での緩着というか私には意味の理解できない石が打たれまして、今でも「何故?」という意味の理解できない黒の手番です。
しかも、投了? ・・・何故? 単につなげばいいではないのか?
碁の強い人から、内容の解説を願いたいものです。


いつものように天気から

10月10日程度から、「クチョール」と呼ばれる冷たい風が吹き始めてまして、15日の朝に肌が感じる気温に変わりつつあります。
何度も繰り返して吹いてましたが、周囲の気温が高いので冷たさを感じませんでしたけれど、15日に初めて肌が寒く感じる朝早くの「クチョールトルチィア=風が冷たい」です。
昨年も、同一時分に冷たい風を感じてまして、このまま冷たい風が吹くのかと思いきや「暑さがぶり返しましたが」、11月に入るや早朝から連日のクチョールで涼しい時が流れました。
しかも、10-20年程度に一度の「クチョールトルチィア」でしたので朝夕の涼しさは格別のものがあり、人によっては「クーラー稼働中止」で睡眠をしましたと言う話がありますので、皆様も十二分に涼しさを堪能されたと思います。
田舎に行きますと、日差しのある日中は暑く朝夕と夜間は格別寒く、井戸水も格別冷たいので「シャワー」の後1時間程度は暑さから逃れられる水温ですから、風邪の引きやすい事になります。
旅行最適季節の12月1月2月は涼しい約束のcool dry の季節で、数ヶ月間は暑さから逃れられる日々になりますので心待ちにしています。
※11月は、 cool wet season ですので雨があり涼しい時期の約束ですが、季節の移り変わりについては変異がありますので、数ヶ月程度は季節の状況に変化が無い場合も多い事をご了解ください。
従いまして、一応の目安程度の認識で間違いがないと思います。
※この時期の気温を肌で実感するには、タイの場合は高地のチェンマイ程度まで行けば街を往来する人々の着ている服装で容易に寒さを感じられますし、ベトナムではハノイで寒さを感じるはずです。
両地域では、12月になると「襟巻=マフラー」を使用する人も居ますし、綿入りのアノラックは昼間でも必需品です。
なお、カンボジアでも綿入りのアノラックが販売される時期でもありますから、夜間は寒くなるという事です。
★晴天日の日差しは強いので暑さを感じるはずですから、直射日光下の移動は【通年】を通して避けるべきですし、朝夕と夜間が涼しいのですが直射日光下は暑いと言う寒暖の差が激しくなる時期でもありますので、風邪を引きやすいと言う気温でもあります。
ですから、1日を通じて、身体が無理なく寒暖をなだらかに出来る様に心掛けるという事で風邪の予防をしやすくします。

〇何年前だったかな?
故シアヌーク元国王が崩御された年は、10月から連日燦々と輝く太陽光線でとても暑く11月と12月の中旬まで連日太陽光線が降り注ぎ、クチョールトルチィアがほんの2週間程度でしたから、カンボジアの気候は油断がなりません。(笑)
ベトナムは、電気の供給量が十二分だし電気料金も安価なので常時エアコンの稼働が可能ですが、更に暑いカンボジアでは電気料金が高く供給量も不安定なので、いつ何時停電があるのかワカラナイし、首都プノンペンは別にしても地方は今でもしょっちゅう長時間の停電がありますので体調維持が難しいです。




記述について

カンボジア・・・タケオ紀行と水祭りについて
ベトナム ・・・ホーチィミン紀行
タイ   ・・・ヤフーの知恵袋から  スーパー・リッチの話(20年前の情報が流されるので、時代遅れも甚だしい)


タケオ紀行・・・TAKEO 洲
カンボジアの州のひとつで、日本の自衛隊が進駐した地域です。
日本語表記はタケオでして、英語表記は発音の中に今でも「V」が入ります。
ですが、走行車両のナンバープレート表記は「日本式 ローマ表記に統一 TAKEO 」にされていますし、カンボジア国内テレビ放送でも発音は日本式ローマ字表記になりまして、昔から使用されていた発音は地元の人程度にしか使用されて無くなっていますので、どちらかと言えばマイナーな発声となっていて両方の発音が混在しているのが実情ですが、
地域が変わりますと日本式ローマ字発声しかない場所がありますので、どちらかと言えばメジャーな日本式発声となっています。
※恐らく、日本の援助政治力が日本語発声を促したと思うますけど、正しい昔からの発音は「V 入りの タケゥ゛」でしたね。
往路
10月11日(土曜日)午前7時に待ち合わせですが、集まるメンバーが「ちと難儀」なので時間をズラシテ15分程度遅れてバイクで集合場所に行きましたら、メンバーが随分足りずに待たされました。
しかも、どうにもならないのが段取りしていますから、バイクの駐輪場も確保していないので態々他の場所に駐輪に行く羽目になり、戻ってきて都合30分以上遅れているのに更にメンバーが足りません。
電話で確認するように促すのですが、カンボジア式のいい加減な会話方法ですので「更にまたされる事」になりまして、出発は8時少し前になりました。
(何しろ、碌に稼ぎの無い典型的な男なので、話をするという事が間違いです・・・内容を瞬時に予測される方は、カンボジアの達人です。 笑い)
法定15人乗りのハイエースタクシーですが、車体マークはベンツでハンドルのマークはトヨタの文様が付いていて前部のマークはベンツですから、幾度も限りなく修理した痕跡があり、寄せ集めの部品が使用された「外国製中古部品の混合外車」です。(笑)
〇前途多難
総勢が乗り込んで出発しましたが、出発地は「プノンペン Makara7」なのに左に曲がりまして直進しますので、何処に向かうのか?
オリンピックモールからシティモールを通り過ぎ、ステミンチャイの橋のたもとを右に上り新しい立体交差を走行しペートロッシーの前を通過しますので、何で迂回走行するのか?
此処で疑問の方は「相当カンボジアに詳しい方です」が、一般的には無関係なので割愛・・・意味の解る方は、地理と文化に慣習を理解している方デス。
えーと、色々な方が記述を精読されている事が「ひしひし」と感じていますので、通常は無関係な説明も入れて記述しますので、居住者の方も「玄人」の方にもお楽しみ頂ける内容を目指しています(笑)
道なりに直進し左手にある有名どころを過ぎまして、カンボジア最初の立体交差点を右に曲がりまして更にタックマウ方面に1km程度直進すると、超有名な建物が左手に出現します。
過去の日記に、「Mr ポー氏」と握手した記述に関係する建物で、私の記述では修正しなければならないが修正は時期早尚と判断している場所ですが、委細は各自ご確認ください。
理由
各種の日本語情報誌に説明記述が修正されていないので、コピーペーストされるのが嫌で修正していません・・・伏して、伏して、ご理解をお願います。
車はそのまま走行し、タックマウを通り過ぎて花壇・園芸用品の販売地域を過ぎまして、【タケオの道標】を過ぎて右手に見える「タイのワットアルン似=暁の寺院」を過ぎまして、プサー・タケオを越してから更に走行し、どっかで左折しまして目的地です。
〇以上、旅行者向けと居住者向けに玄人向けの記述でまとめてみましたが、旅行者の方はサラリ読みで居住者の方は此の事かで、玄人は「あれ?何だ? 若しかしたらこの事を力説?」となっていますので、どうぞ内容の点検と検証を是非もなく願い奉ります。(笑)
走行時間1時間45分程度と記憶しています。
(2014年現在は、通常速度ですと1時間30分程度なので、ちーと、遅い走行のドライバーです・・・バイクで私が走行すると、概ね1時間15分程度です)
タケオの有名寺院は、更に1時間程度先にもう一つありまして都合2つが有名ですが、何せ田舎の寺院ですから地元民か「相当暇なセレブ以外は訪ねません」ので、もし訪問される事がありましたら公務員を除いた日本人では二番目になると思います。
詳しい事は不明ですが、そのぐらいの確率と思います(笑)
用事の内容
私用で読者に無関係なので、割愛です。
復路
午後3時の帰宅の予定だったのですが、話の中で迂回して途中で降ろしてほしいと言う「我儘が出ました関係」で、予定が変更になり午後2時の出発になりまして、帰路プノンペンを目指しました。
帰路は、途中でロックメロンを購入する為に寄り道したりしまして、ステミンチャイを抜ける走行ルートだったので悪路というか工事中の連続で、車のタイヤがパンクしまして大幅な時間超過となりまして、帰路は午後6時少し前ですから都合4時間の走行でした。
うひっひゃー、足腰が立たないよー(笑)・・・心底から疲れました。


水祭りについて
11月5,6,7日に行われる手筈ですし、既に新聞でも発表されているのですが、何となく暗雲が漂い初めまして「開催の可能性51%」にします。
説明
新聞発表の話ですが、全紙に同一に発表されている訳では無く、各紙勝手に報道の自由で報道しているので信ぴょう性については不明の部分が大きいはずです。
当地の特徴として、以前にも新聞で水祭りが開催されると発表された後に開催数日前に取り消し報道された事実がありますので、予測が困難な部分がありまして、当日にならないと判らないと言うのが真相です。
★特に、水祭りに関しては「多くの要因がある」のです。
(多くの要因があるについては、過去の日記にヒントになる記述があるはずなので、原因を確認したい方は過去の日記をご精読願います)





翌日10月12日・・・ホーチィミン紀行
(プノンペン⇔ホーチィミンのバス往復利用)
数ヶ月ぶりにホーチィミンに行きましたので、記述します。

まず、バス情報から
利用したのはキャピトルバスで、運転手はベトナム人でした。
(国籍不明ですが、ベトナム語と簡単なクメール語しか話しませんでしたので勝手にベトナム人と判断)
キャピトルバスの出発時間についてですが、幾度も繰り返し記述している通り時間の変更は日常茶飯事ですので、利用する数日前に必ず一度は各自ご確認願います。
今回の発着時間について説明しますと、僅か数ケ月しか違わないのに全ての発着時間が往路と復路で変更されていましたので、構えて必ず利用前に発着地と発着時間のご確認願います。
他社について
オリンピック市場近くから発着していた在カンボジア朝鮮系のバス会社は、建物の契約切れで使用が不可能になった会社が2社ありますので、集客が難しくなったようで定期運行から不定期になっていまして、集客があればとか依頼があれば運行する手法が採用されていますが、早晩別な場所に移動するか運行廃止を選択しなければならないと思う。
ベトナムのバス会社が、朝鮮系2社分の穴埋めの為に新規に早朝と深夜便を形成して運行し出しまして、日帰りのホーチィミン滞在5時間が可能なバス運行もされていますが、必要最低時間が5am-11pm程度の時間が考えられるので通常は利用不可能な内容です。
〇他の場所でも、相当数の運航便がありますので、バス会社の淘汰が始まっていると言う認識が正しいはずですので、どの会社の利用に関しても注意が必要です。
以上、バス利用上の注意を「ふまえて」記述開始です。



開演の幕が上がります。パチパチパチー

キャピトルバス利用ですから外国人が沢山乗客として乗っていますが、白人が一塊で勝手に指定椅子の変更で乗っていますので「ちょこっと」トラブルです。
理由
バス利用チケットには、購入時に乗客の要望が尋ねられ本人の意向に沿う乗客の乗るべき椅子のシートナンバーが記載されていますが、購入時にはどのような人々が利用するのかはその時にならないと内容が判りません。
しかし、バスの出発時間前に指定された椅子に座っていても、新規に外国人が来ると「派閥形成」というか「英語圏」で一塊になろうとして白人の女も男もお構いなしに一塊になって開いている席にどっかと座っているので、後から来たクマエが座る場所が無いと文句を言うのですが、言葉が通じないので「勝手に座った白人連中はワカラナイ」です。
〇一応、中立的立場で悶着しないように記述していますが、実はシートナンバーが記載されているので「問題提起」されるのが承知ですから、事がややっこしいです。
ガイドが呼ばれまして、英語で説明するのですが「確信犯」ですから座った椅子を譲らないのでちーと悶着が始まりまして、クマエの夫婦家族が譲歩して解決し出発です。
★★
このような悶着はしょっちゅうありまして、99%は白人連中の我儘というか土壇場で椅子の変更を勝手に行う事が原因です。
殴り合いに発展したのを見た事がありますが、確率は3×365×9= 何ぼかワカラナイ (笑)
この数年は、口論その他を聞いた事がありませんが、これは発地点でバス運行する側も対応改善を試行した結果、男性担当者から熟練した女性担当者になってから「口論」が無くなったという事ですので、いつも白人バックパッカー連中の我儘には「憤り」を感じます。

往路
バスは、いつもの時間でスバイリェンに到着しましたから、順調な走行でした。
水の多い地区を走行していましたが、水位が幾分低いな程度の認識がありましたので、川の水位が低いのかもしれません。
ネアックルンのフェリーに乗りましたので、橋の完成程度を確認しましたら川の中の橋脚が見事に二本立っていてつり橋の様子が窺い知れたのですが、橋の接続はされてませんでしたから、まだまだ完成までは時が必要かと思います。
アクセス道路の工事も継続していますが、新規造成された道路法面の強度に問題提起がされるはずと認識がありまして、こんな程度の強度では1年以内に道路が崩壊するぞと強い思いがしましたから、どうなるのかはこの先のお楽しみですね(笑)
カンボジア側バベットとベトナム側モクバイの通過前に腹ごしらえのレストランにバスが入りますので、此処では食事その他の用事をすませました。
〇勝手に椅子の変更をした連中は、全員ひと塊で椅子に座っていまして、常に見事な団体行動をしますので「旅慣れたバックパッカー」ですから、レストランで食事はしませんで単に座っているだけですね。
此処が日本人とは異なる認識と思想でして、何かが有ったら同一の派閥を直ちに結成して同一の問題として対処する大陸的感性ですから、白人の側に居たら白人の立場で行動する事が必要です。
私の場合は、クマエの立場で家族主義ですので、皆知らんぷり(笑)

ベトナム入国の段取り
両替場所は食事のレストランで、必要な物全てを此処で調達します。
(当日の交換レート レストラン us1$=21370ベトナムドン  サイゴンのレートus1$=20700-21000ベトナムドン サイゴンマーケット最良両替比率us1$=21100ベトナムドン  理由 日曜なのでサイゴンは低い)
米ドルをベトナムドンに半分程度両替し、ベトナムで使用する電話の利用料金前払いを数ドル分購入し電話機に入れてもらいました。
やり方は、業者任せの一辺倒・・・料金支払いは可能だが、記載された番号を確認できない視力です(笑)
40分程度の食事時間ですが、白人連中は一塊で椅子に座ってますからいつもの光景で、日本人は何人いても一人ぼっちです・・・これまた、いつもの光景。
食事終了
国境検問へ
カンボジア側の出国検問なのですが、一つのゲートの係官が丁寧に対応するのでタチマチ列ができましたので別のゲートに移動し手続きを開始したのですが、前のベトナム人の旅券保持者には厳しく確認し出したので更に列が伸びましたが、更にゲートを拡大して解放してくれたので列が途中途中からぶっちぎれまして、10分程度で全員終了です。
係官が愛国者らしく、家族三人分の日本旅券とカンボジア旅券を一瞥した感じで「ニコリ」としまして、私だけが指紋の採取を右手一回だけです。
これじゃ、優遇処置の人種差別だぁー(笑)
この、記述の意味を考えて欲しいものです(笑)
問題はベトナム側
日曜でバスが連続して到着していますので、たちまちゲートの前は黒山の人だかりができていまして前が見えません。
バックパックを持つように言われていたので背中にしょっていますので、暑く重いので顔見知りの人達に挨拶を送り「勝手にゲートの通過」を家族三人でしまして、これまたガイドに先に行っていると告げてバスに乗り込もうとしましたら、バスが違いますので「あんだぁー? 着てねーのかよ??」で外に待ってました。
30分ほどしたら、バスが来て「もうすぐなのでバスに乗ってて欲しいと変なクマエ語で言いますので」、無理だーです。 
(乗らずに、外で煙草を吸っていました・・・係官が一人でスタンプ作業をしていましたので、旅券一山30分以上は必要な処理を三山以上分ありますので、最低90分以上必要)
結局、2時間弱バスの中で待っていましたけど、白人連中は重い荷物を背中に背負ってゲート前に並んでいた訳ですから相当大変な目に遭っていますけど、これが正常な姿で私のは「ズル」ですが、ずるの真似をすると「上手くいくときと行かないときがあると思う」ので、成功してもいい気になって繰り返して挑戦しては駄目です。(笑)
〇ここには、要領と勝手があり100回くらい往来すると意味が判ります。

全員乗って出発です。
直ぐに、バイクタクシーの溜り場で人が乗せろと合図をしますが無視して走行です。
(バスの空き椅子が10個程度ありましたけれど、乗せません)
3KM先程度の飯屋で客が7-8人待っていますけれど全然止まらずに走行しますから、「どうしたのか?」。
自称、事情通曰く、煩いので2回目禁止??? 何??? ・・・ボソボソの話で終了(笑)
本当の事は判りません・・・当事者ではないので、内容までは不鮮明という事にします(笑)

午後9時少し前にサイゴンです。
★ホーチィミンという話が正式の呼称名として日本人には周知されていますが、昔からの呼称名サイゴンも立派に継続して使われていて、サイゴンビールとかビルの名前にもサイゴンが使用されていますので、ホーチィミンに画一的に統一された呼称名ではありません。
※役所関係の書面については不明ですが、例え画一化された内容であっても街場では同一視の内容では無いという事です。
(日本語情報誌の発信元は日本に住む日本人なので、日本的常識でしか記述しませんので「大きな間違いが目白押し」ちゅうもんだよ)笑い。
この点を曲解記述している日本語情報誌がありますけれど、サイゴンには「ベトコン銀行」だってあるんだよ。(笑い事実 2014/oct)

前回宿泊した場所に行きましたら受付の人間が変わっていて、前を通り過ぎても声を掛けてくれませんので「営業」しているのか?
英語で声をかけたのですが、此処はホテルではないと言い張りましてアパートメントハウスと言い張りますから「何言ってんだ?」ですけど、どうやら税金の問題が絡んでそうなので半歩引いた話をしましたら、経営者が出て来まして「何となく泊まれ」みたいな言い方です。
受付の女は、外国人の私にまでオーナーが宿泊を許可したと言い、芸の無い真っ正直で責任回避「ミエミエ」の全てに無責任言動です。(笑)
〇芸達者な踊りの名手も困るけれど全然踊れないのも困るし、何の為に居るのか理解していない言動には「もっと困ったアルヨ」。(笑)

宿泊費用と条件
朝食3人分付きで、1 room 2bets 但し、日本的には4Fの部屋(階段使用) us22$/one night two days
とてもきれいな部屋で、無料の無線ラン付・・・ケーブルTV W/HBO, A/C,歯磨きセット,バスタオル有り。
宿泊施設コーリングカードについてですが、記載の番地と異なる場所にあり「相当複雑」なのでご紹介不可能です。
就寝
good morning vietnam
朝食がam0700という事でしたが、0730分には待ち合わせがあるので30分繰り上げてもらいまして食事をしました。
コーヒーを段取りするのが遅いので、私だけ注文のコーヒーを再三再四催促してやっと口に入れたら既に7時10分ですので、こうしちゃいられません。
出発です。
徒歩2分程度の場所で、カンボジアのヌンパン・パティーのベトナム版を10,000 vietnam-dong で購入し、待ち合わせ場所にタクシーで向かいました。
車内で、相手に連絡して確認完了。
用事終了 午前10時30分

タクシーで宿泊施設に戻りまして、今日は連泊しないので帰る事を告げ、11時30分頃に精算に降りるので必ず居て欲しいと確認し、併せて旅券の収受をするので取り揃えておいて欲しいと話をしました。
ベトナム式の簡易な食事ですので腹が減っていますから、ヌンパンその他を平らげてシャワーしたら、戻る時間になりましたので精算です。
約束の精算金us22$を支払い、旅券を受け取りバスの会社に行きました。
バスの出発時間が変更になっていて、1時30分の便があると言うので予約を入れまして荷物を預けて、本日2度目約束で12時に待ち合わせた場所に行きました。
軽い飲み物を飲みながら待っていましたら相手も時間前に来たので話し合いまして、直ちに終了です。
近くの市場に行って、買いたいものがあったので購入しに行きました。
終了

復路
13日は、直射日光が燦々と輝く日になりましたので、暑い事・・・バスの中も暑かった。
サイゴンからモクバイまでは、時間にして概ね140-170分程度ですので、しばしグースカです。(船を漕いでました)
起きろと言う話なので起きましたら、モクバイの国境です。
旅券?
どうだったのか?
多分、家族が持っていたと思う・・・記憶喪失デス(笑)
えーと、子供と約束の国境で購入するチョコレートを購入し、4$50¢の支払いに5$を支払いまして10,000dongの釣銭というベトナム式に遭いまして、そのままバベットにバスで向かいまして、カンボジア国境審査終了です。
★バス会社は、入国カードその他についての段取りをしますので、単に旅券を預けるだけです。
平たく説明すると、バス会社のガイドは、乗客の旅券の確認も仕事として行うので、旅券の有効期限確認はもとより査証の有無も確認しますから、査証が無ければ取得する様に段取りします。
この場合の代行金額がありまして、ガイド言い値料金となっていますが、ボッタリの話は無いとお考えください。
料金の考え方
査証料金+写真代金+代行手数料(入国カード記入・査証取得申し込み用紙記入)。
★★支払い総額料金は、通常ですと査証料金にプラス5$程度内外です。

カンボジア国境審査が終了しましたので、直ぐにレストランで食事休憩に入りましたが、ガイドが何か変です。
旅券があるのに本人が居ないので、「ガイドが何か変」と言う話で何やら連絡帳で確認しようとするのですが確認できないので、私に知り合いに確認してくれと話があり、私は妻に連絡しろと言いましたら、妻が子供に連絡しろと冗談を言いましたが、子供は電話で本当に連絡し出しました。
本人と連絡がついて、「かくかくしかじか」で旅券はレストランに預けておく事になりまして一件落着です。
〇本人は、「クマエ・クローイ」です・・・いずれ、内容について記述するつもりです。

午後7時40分頃にプノンペンに到着しました。
ふーう、疲れました。
洗濯物が山になりまして、1日では干しきれないので2日間洗濯です。




タイの話 (ヤフー知恵袋から)
タイで外国通貨両替について(街場の両替所)
別名、スーパリッチ

★現在は、銀行や空港内の両替所の方が両替比率は良いはずですので、街場の両替所の場合は緊急的に両替する場合だけという認識を持つべきです。
従いまして、事前両替については「銀行内」で行うのが望ましいはずですので、知恵袋の記述には間違いがあるという事になります。
決定
必ず、両替レートの検証をすべし・・・銀行・空港内の方が、外国通貨両替比率は高いレートになっているはずです。

内容説明
タイでは、バーツ下落の騒動があった時期がありまして、1us$→75-55bart その他の場所ではus1$→89-75bart 程度までのレートがありました。
この事実については、30才未満の方は判らなかったはずで、40才前後程度の方になって初めて認識できる事実ですが、知恵袋を利用される方は多くの方が40才未満と考えれば仕方のない内容の質問かと思いますけれど、是非事実の認識を保持されるように願います。

タイでバーツ騒動が起きた時に、バーツが限りなく下落しましてus1$が60bartを切り始めたころから、街場に米ドル有利な交換所ができました。
当時は、スーパーリッチという日本語呼称名で日本人の間には通用していた名前ですが、当時のバンコクには日本人が常時50,000人は滞在していたと言う社会状況が有ります関係で、絶対多数派の日本人が使用する呼称名が白人関係者にも浸透しましたので、外国人は全てがスーパーリッチという名称を使用していたと思います。
この、街場の私設両替所が銀行の無い地区に雨後の筍のように沢山出来ましたので、便利でしかも両替比率が良いという事ですから多くの外国人が外国通貨を持ち寄りました関係で、銀行や国家に入るべき外貨が入りません。
現金は、高額紙幣ほど引き取り利率が高く、日本円の現金需要もあるので米ドルよりも少し交換比率が良かった記憶があります。
ですから、現金は街場の闇に流れてしまうのですが、タイの官僚はT/Cの両替比率を1%では無くて1,5%程度有利な両替比率を政策決定し施行したのですが、中国人の闇市場はT/Cもバクバク消化してしまうので国家の外貨貯蓄が底をつきまして、政府が外国から品物を購入できないが民間は可能という本末転倒の現実になりましたので、政府が新規の政策を次々実行するのですが、中国人にはタイ政府の関与する政治家が多数在籍しているので、実行が不可能な状況になり「降伏の旗が掲げられました」。

降伏の旗が掲げられたので、他国からの政策をタイ国が受け入れると言う話になりましたので、急激にタイバーツの価値が上昇したのですが10年以上の月日が流れていまして、us1$ 40bartの時期は、2002-2003年程度まで続いたはずです。
※現在は、us1$ 30bart 程度と思います…各自ご確認を願います。

★★
街場のスーパーリッチが利用されていたのは2000年程度までの話しであり、タイ国の為替フロートが完全に行きわたってからは街場の両替所の方が両替比率が悪い状況になりましたので、2001年程度には両替所を営業している経営者はほとんどいなかったはずとの認識です。
従って、スーパーリッチの話は、タイ国為替に関する騒動時の「ゲリラ商法」という認識が正しいので、長期に亘る商いではありませんでした。
〇タイのバンコクは大きな都市なので、緊急に外貨が必要な時には突然相場よりも1-2bart高くなったりする場所が目白押しの状況でしたから、us100note ×10程度の両替では交渉する事も容易い社会情勢でして、交渉によって掲示両替率よりも3-6%程度の有利な両替も可能でした。
(この両替比率を求める時は幾つかの両替所を駆け巡り気持ちが必要なので、概ね半日から1日程度はかかりました)
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ボート祭り(11月5,6,7日)・・・4年ぶりの開催です

2014-10-10 18:34:04 | 三面記事
2014年の11月5,6,7日に、3年間中止されていたボート祭りが再開される事になりました。
当地の水祭りですが、3年間中止されていたので4年ぶりに再会される事になりました。
当然、花火が打ち上げられまして、騒々しいボート祭りも再開されるはずですので、しばらくぶりのボートレースを堪能したいと思います。

解説
実は、今年の8月頃だったと思いますけれどボート祭りの開催上奏の話がありまして、暫くの後には一時立ち消えたような感じだったのですが、10月早々にはかなり具体的に開催の話が出まして、10月8日頃にはテレビで11月の5,6,7日開催されるような話に変わっていました。
決定的な話になったのは10月9日ですが、何となく後戻りはないような雰囲気の話しだったので記述しました。

★当地は、行事の前発表が突然取り消される事もあり、掛かる原因の理由発表その他が無いので、当日行って見て中止という事がたびたびありますから経過の観察も大事ですが、今回の水祭りに関しては中止は無いだろうと言う予測です。

★★★
当地の水祭りの花形はボートレースでして、特に初日の5日に行われるレースは、観客の心に刻み込まれるボートレースになると思いますので、暇がある方はテレビ及び現場観戦をお楽しみください。
私は、現場観戦をお薦めします。
理由
テレビ放送は、ボートの転覆を放送しない自主規制がありますので、見ていても「ツマンナイ」です。(笑)
コメント
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