土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

浄住寺、街なか異界に吸い込まれました。

2013年09月13日 | 京都の古寺巡り


(2013.09.07訪問)

地蔵院から地蔵院岐れの道標まで戻り、そのまま住宅街を南に行くと間もなく浄住寺です。
住宅街の中にお寺は在るんですが、一歩参道に入ると別世界に飛び込んだよう。シトシトと来ている中でひ
とっ子一人いない山門の中を恐る恐る覗くと一本道が異界へおいでおいでと呼んでいるようで、思わず吸い
込まれてゆきました。

▼参道。この前は生活道路、道を挟んで住宅街です。





[ 浄住寺 ]
●山号 葉室山(はむろざん)
●寺号 浄住寺(じょうじゅうじ)
●宗派 黄檗宗
●勅願 嵯峨天皇(さがてんのう)
●開創 弘仁元年(810年)
●開山 慈覚大師円仁(じかくだいしえんにん)
●中興 葉室定嗣 (はむろさだつぐ)
●開山 興正菩薩叡尊 (こうしょうぼさつえいそん)
●本尊 釈迦牟尼仏坐像
▲京都市西京区山田開町9 TEL075-381-3417
▲拝観料 境内自由だと思います
▲阪急電車嵐山線上桂駅下車徒歩15分
 嵐山から京都バス苔寺下車徒歩約10分

浄住寺縁起 (浄住寺案内板から抄出)
弘仁年間嵯峨天皇勅願寺として慈覚大師円仁の開山で常住寺として建てられ、その後、葉室定嗣が西大寺の
叡尊を招き中興、永仁六年 (1298年) 将軍家祈願所となり、塔頭四十九を誇る大寺となも重なる戦火で衰退。
元禄二年 (1689年) 黄檗山万福寺の鉄牛道機が復興、現在に至っている。


▼寺標。いきなりボケボケ、字読めます?





▼石柱を白壁と繋ぐシンプルな山門。





▼そう長くない参道の先に本堂が見えます。樹叢鬱蒼で錦秋にはさぞやの感ありそう。





▼枯淡が滲み出る味のある石段じゃありませんか。濡れているのでソロリソロリ。





▼石段の上、本堂です。





▼本堂扁額。





▼本堂本尊釈迦牟尼仏坐像です。



堂内は豪快な黄檗堂宇とは違い、中国風雰囲気はありますが、簡素な造りで中央に須弥壇、左右は坐禅道場
を兼ねているようです。


▼本堂。寺院屋根には珍しい切妻造、本瓦葺、桁行七間の簡素なお堂です。





▼境内にこんな竹が。亀甲竹といい孟宗竹の変異種だそうで、観賞用や工芸品に珍重されるらしく京都は結
構な産地らしいですよ。





▼境内。誰もいません、ゾクゾクしてます。





▼方丈玄関の扁額。山号が記されています。





▼玄関先に吊られている版木巡照板。



曰く、修行者に申す。生死は事大にして、時過ぐるは速し、各々自覚して無駄に時を過ごさぬように。
と書かれているそうです。


▼境内。





▼方丈と本堂を繋ぐ渡り廊下。





▼渡り廊下の菱格子から覗いてみました。苑池庭園が見えます。右堂宇は方丈。





▼方丈庭園。菱格子にレンズが入りませんのでこの視角。





▼本堂横の奥まったところに祠。鎮守社でしょうか。





▼観音堂。京都洛西観音霊場第三十番札所らしいですが、相当傷んでいるようで、堂内を覗くと物置状態に
見えました。





▼中興鉄牛道機禅師の遺偈。裏面に禅師三百九回遠忌に建立と刻まれています。




寺務所に声を掛けましたが応答なし、庫裡や方丈、お庭の拝観は出来ませんでした。相当不用心なお寺で、
本堂は開けっ放しのまま、悪さでもされたらどうするんでしょう。チョットご近所へお使いにでも行かはっ
たんやろか。


▼フロク
今日の渡月橋第二弾。 
対岸からの渡月橋。こんなに雲が降りているのは初めて見ました。





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1 コメント

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方丈の間と綱村公、先代萩 (浄住寺)
2015-08-11 18:20:52
伊達家との関わり 参考:歌舞伎先代萩。
現在の日比谷公園に伊達家上屋敷があり、幼少時の綱村公が家臣に守られて成長した。上屋敷は、綱村公死亡後、春日局の長男である徳川幕府重臣稲葉家から嫁した綱村公夫人が黄檗宗を信仰しており、解体し屋敷の材木を船で江戸から海路大阪へ、淀川経由で京嵐山へ運送しこの地に再建した。方丈の間は刺客から幼君を守るためからくり屋敷のように建てられている。
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