土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

ダルマ寺、達磨大師がダルマさんになったお寺。本名法輪寺。

2013年09月02日 | 京都の古寺巡り


(2013.08.31訪問)

ダルマさんオンパレードのお寺、だるま寺法輪寺を訪ねました。
色んなダルマさんがいます。苦にもメゲズ、楽にもおごらない、倒れても転んだ力の大きさで起き上がる、
起き上がりダルマの本質を訴える禅精神がこのお寺にはありそうです。人生七転び八起き!

▼ダルマさん。




[ 法輪寺]
●山号 大宝山(だいほうざん)
●寺号 法輪寺(ほうりんじ)通称 だるま寺
●宗派 臨済宗妙心寺派
●開創 享保十三年(1718年)
●創建 万海慈源和尚 (ばんかいじげんおしょう)
●開山 大愚宗築禅師 (だいぐそうちくぜんじ)
●中興 第十代伊山和尚 昭和八年、起き上がり小法師をもって禅の大衆化を図った
●本尊 釈迦三尊
▲ 京都市上京区下ノ下立売通天神通西入る行衛町 電話075-841-7878
▲拝観料 300円 御朱印 300円
▲JR円町駅、市バス円町下車、円町交差点を北へ、一つ目の信号を東へ入る徒歩約5分
 嵐電北野線北野白梅町から西大路通南へ、 四つ目の信号東へ入る徒歩約15分

だるま寺法輪寺縁起 (法輪寺パンフから抄出)
享保十三年(1718年)大愚宗築禅師を開山とし、荒木光品宗禎居士が開基となり、万海慈源和尚が創建したも
のである。創建には十年の歳月を要し開基の荒木氏は両替商で、武家の開基になる寺院が多い妙心寺にあっ
ては異色の禅刹である。
爾来昭和八年第十代伊山和尚が起き上がり達磨禅を鼓吹、禅の大衆化、生活化を図り今日に至る。


▼寺標。




▼山門。




▼参道。




▼これが噂の起き上がり達磨堂。




▼全国から奉納された大勢のダルマさんで身動きとれません。




▼須弥壇中央のダルマさんが三国一の起き上がりダルマさん、脇左右のダルマさんは相当大きい立像です。




▼ダルマさんの天井画です。




▼十二支ダルマさん。台座の周りに十二支の石像が囲んでいます。
下の台座はペットの納骨所になっているそうです。




▼鐘楼。




▼梵鐘鐘木。鐘木のいわれが書かれています。




▼衆聖堂。三間四方の宝形造。本瓦葺。




▼衆聖堂扁額。




▼衆聖堂堂内の一角。初層は講堂的役割のお堂でしょうか。




▼髭のないダルマさんは珍しいのでは。




▼墨跡豪快、絵も字も。大迫力の屏風水墨です。




▼衆聖堂上層は、釈迦涅槃像が祀られ、映画人六百有余の御霊を祀っているキネマ殿。




▼境内のダルマさん。








▼本堂。単層、桁行五間、梁間四間、入母屋造、本瓦葺。享保十三年(1718年)建造。




▼本堂扁額。転法輪と揮毫されています。




▼本堂仏殿。本尊釈迦三尊。




▼本堂外縁。




▼蹲。いわくありげな大小石柱が囲んでいます。




▼軒には鉄製透かし吊り灯籠が。素晴らしい! 夜の灯りを見てみたいものです。




▼勿論ここにもダルマさん。本堂大屋根の鬼瓦。




▼庫裏です。山門入ったスグ右に在ります。




▼庫裏入り口三和土に判じもん、○△□衝立。大乗の根本思想を表現しているとか。



仙?義梵(せんがい ぎぼん)和尚が初書。江戸時代の臨済宗古月派の禅僧、
禅味溢れる絵画で知られ多くの洒脱、飄逸な禅画を残した一休さんみたいな人だったらしいです。


▼お庭に芙蓉が咲き始めています。




▼庭園門。




▼本堂前庭。禅の悟りの段階を示す枯山水庭園「十牛の庭」ドドッとお見せします。
























▼このワシから一言「人生七転八起」だよ。




▼御朱印です。




面壁九年禅宗初祖、達磨大師から禅の真髄が伝わりざっと千五百年、我が国でも幾多の名僧を配しながら臨
済、曹洞禅が今日まで連綿と禅哲学を伝えています。坐禅とは、禅の真髄とは、誰のための禅か、ボクたち
はサッパリ理解出来ませんが、この法輪寺の起き上がり達磨運動は、非常にシンプル、誰もが理解出来る、
取っ付きやすい禅普及の一方法ではないでしょうか。
人生七転八起! これですわ。

フロク
▼ここは西大路通妙心寺道から一本南の交差点、ここを東に三分。






↓ ポチッと押していただければたいへん嬉しいのですが。

神社・お寺巡り ブログランキングへ


最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (ulala)
2013-09-04 08:38:35
だるま寺、初めて知りました。
父は生前、水墨画で達磨もしくは竹を好んで描いてました。
今なら連れて行ってあげたのになぁ~と、複雑な思いで読ませていただきました。
なかなかその年代になるまでは親の気持ちわかってないもんですね。
返信する
Unknown (hidepon)
2013-09-06 00:11:27
ulalaさん、こんばんは。

お父上は風雅枯淡なお方だったようですね。
お父上を慕う気持ち羨ましいです。
ボクにはオヤジとの思い出がないんです。
早くに亡くしたこともあるんですが、厳格コチコチが服を着ている感じの人でした。

そうそう一点だけありました。
どうしても勝てないものがあります。書です。
これにも泣かされました。
返信する

コメントを投稿