飛鳥への旅

飛鳥万葉を軸に、
古代から近代へと時空を越えた旅をします。
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万葉アルバム(関東):千葉県、富津市 内裏塚 珠名冢碑

2012年05月21日 | 万葉アルバム(関東)

しなが鳥 安房に継ぎたる 梓弓
末の珠名は 胸別の 広けき我妹
腰細の すがる娘子の その姿の
きらきらしきに 花の如 笑み立てれば
珠桙の 道行き人は 己が行く
道は行かずて 呼ばなくに 門に至りぬ
さし並ぶ 隣の君は あらかじめ
己妻離れて 乞はなくに 鍵さへ奉る
人皆の かく迷へれば うちしなひ
寄りてそ妹は たはれてありける
   =巻9-1738 高橋虫麻呂=


現代語訳
 安房国につながっている末の珠名という娘は、胸が豊かでかわいい娘。すがる蜂のように腰がくびれている娘。その美しい顔で、花のように微笑んで立っていると、道行く人は行く先を忘れ、呼ばなくても門まで来てしまう。隣の家の主人は、妻を離縁し、頼みもしないのに鍵まで渡してくる。皆が血迷うものだから、娘はいいきになって遊んでばかりいる。

詞書に上総の末の珠名娘子(たまなおとめ)を詠む一首とある。
珠名娘子は「末の珠名」と歌われた須恵国の絶世の美女で、畿内にも鳴り響いたという。
須恵国(後の上総国周淮郡)は千葉県小糸川流域の現在の千葉県君津市、木更津市・富津市の一部。
妻を追い出し離婚してまで、珠名という女性に自分の家の鍵を渡して、私の所へ来てください、と男達を夢中にさせる美女がこの地方の近在に居たとは驚きである。


「珠名冢碑(たまなちょうひ)」碑文 (画像をクリックすると大きくなります)
【須恵珠名冢其迹尚実伝称珠名美而豓殆又毛施之□(欠字)也 】
須恵(すえ)の珠名(たまな)の冢(つか)は其迹(そのあと)を尚(なお)実伝(いまにつた)え
珠名(たまな)を美而豓殆(うつくしくもあやあうきほどのあでやか)で毛施(たおやかなすがた)の[娘(おとめ)?]と称(たたえ)る也(なり).....(以下略)
珠名の歌が万葉集に載っていることが記されている。嘉永四年(1851)の年とある。


富津市二間塚に存在する県下最大の前方後円墳である、内裏塚古墳は、現在では周准の国造の墳墓と考えられている。しかし、『君津郡誌』に幾つかの文献をもとに紹介されているのだが、かつては、珠名の墓と考えられていたそうだ。
その名残を示す手がかりとして、墳丘上に江戸末期に建てられた小さな「珠名冢碑(たまなちょうひ)」が残っている。