飛鳥への旅

飛鳥万葉を軸に、
古代から近代へと時空を越えた旅をします。
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万葉アルバム(奈良):吉野、吉野川

2010年01月21日 | 万葉アルバム(奈良)

やすみしし わご大君(おほきみ)の 聞(きこ)しめす 天(あま)の下に 
国はしも 多(さは)にあれども 山川の 清き河内(かふち)と 
御心を 吉野の国の 花散らふ 秋津の野辺に 
宮柱 太敷きませば ももしきの 大宮人は 
船並(な)めて 朝川渡り 舟競(ふなきほ)ひ 夕河渡る 
この川の 絶ゆることなく この山の いや高知らす 
水たぎつ 滝の都は 見れど飽かぬかも
   =巻1-36 柿本人麻呂=

見れど飽かぬ吉野の河の常滑(とこなめ)の
絶ゆることなくまた還(かへ)り見む
   =巻1-37 柿本人麻呂=


 (巻1-36)わが大君が御統治なさるこの天下に、国は実に多くあるけれども、山や川の清く美しい河内であるとして御心をお寄せになる吉野の国の、花がしきりに散っている秋津の野辺に宮殿を立派にお作りになっていらっしゃるので、お仕えする人々は舟を並べて朝の川を渡り、舟の先を競って夕方の川を渡ってくる。
 この川の流れのようにいつまでも絶えず、この山が高いようにいよいよ立派にお治めになる、この水の激しく流れ落ちる滝の御殿は、いくら見ても飽きることがない。

 (巻1-37)いくら見ても飽きない吉野の川の滑らかな岩のように、いつまでも絶えずやって来て、この吉野の宮を眺めよう。 

吉野町宮滝は、天武天皇・持統天皇のころの離宮(吉野宮)があったとされる。天武天皇は、この地に皇后(後の持統天皇)、草壁皇子、大津皇子、高市皇子、河嶋皇子、忍壁皇子、芝基皇子と共に行幸し、「千年の後まで、継承の争いを起すことのないように」と盟約を結んだ場所だ。持統天皇に至っては在位の間に、この吉野に31回も行幸している。

この歌は、持統天皇の行幸の折に柿本朝臣人麻呂が離宮を称えて奉った歌である。
 
 36の「やすみしし」は「わが大君」にかかる枕詞。「河内」は川を中心として山々に囲まれた場所をさす。「秋津」は離宮のあった地名。「ももしきの」は「大宮」にかかる枕詞。「大宮人」は宮殿に仕えている人々のこと。37の「 見れど飽かぬ吉野の河の常滑の」は、「絶ゆることなく」を導く序詞。

宮滝辺りの吉野川は大きな岩盤の間をとうとうと美しく流れ、昔と変わらない見事な景観を残している。悠久の時の流れを深く感じる場所である。
この万葉歌碑は、この辺りに吉野宮があったであろうとされる中荘小学校の校庭に建っている。