dailie morlie

森羅万象、宇宙の真理

映画雑感・・・悪寒

2004年10月18日 21時13分13秒 | Weblog
☆Devilman
完成が遅れ、慌てて"実尾島"が6月に繰上げ公開になり、"太極旗翻し"との公開順序が本国と同じになった経緯のこの映画・・・。
おそろしく、酷い映画だった。
何が酷い?
1.脚本
脚本・監督は、80年代にヒット作を飛ばした那須真知子・博之夫婦だ。それなりに安心して観たのだが・・・なんじゃ、こりゃ?
何かのプレヴュに、"何十巻もある原作を2時間に収めようというのだから、無理が生じるのは当たり前だ"、というのがあったが、その頭の悪い感想が、ストレートにそのとおりだ。
ストーリーはいくつかのシークェンスに分けられるが、その殆どが中途半端にオチのつかないまま中断され、それらのツギハギで出来上がっている。
一言で言ってしまえば、雑、という事になるか。
登場人物の葛藤がまるでない。
また、エピソードの展開の仕方もやっつけ仕事だ。
最初の"アモン"と合体するところ、かなり重要なポイントになるかな?と思ったら、ぜぇんぜん。迫力も何もないし、主人公の"十字架"もない。
"牛久"の露出が不釣合いで、筋の上から微塵も役に立たないことに時間を浪費している。まるで、この俳優が映画のパトロンかなんかで、ムリヤリたくさん出しているのかと思った。
"シレーヌ"のエピソードはどうだ?あれ?いつ終わったの?あれで終わり?何のために出てきたの?なにかしたの?わっかんなぁい。
まぁ、書き出したらきりがない。これは・・・プロのシナリオなのか?
 
2.演偽(誤字ではなく)
主演の2人、ヒロイン、脇役・・・総てがヘタクソなのだ。
伊崎央登、伊崎右典、酒井彩名、渋谷飛鳥、宇崎竜童、阿木燿子、冨永愛・・・仕方ない、こうして並べてみると、素人ばかりなのだから。
宇崎竜童は"TATOOあり"、阿木燿子は"四季・奈津子"という立派な主演?映画があるが、それにしたところで、素人技だった。
素人だからといって侮れず、恐るべき演技をする人と言うのもあるにはあるが、それは稀な事だ。
しかし、普通は、やはり限界がある。構わないのだ、役者は素人でも。
デ・シーカの"自転車泥棒"のような例もある。
素人を上手く使うのが監督の技量とも言えるが、この場合、監督に技量がない、というより、稚戲を放置しているとしか感じられないのだ。
しかも、編集点を明らかに間違えていて、わざと下手に見えるようなところでカットをつないでいる。なぜ?
書き出したらきりがない。役者が悪いのか、演出が悪いのか、どっちも悪いのか、見に行ってしまった私が悪いのか・・・学芸会のお芝居を見せるのなら、金を取るなよ。
 
3.美術
原作がどうだったか覚えていないが、あのデザインはどうだ?デーモン特捜隊のマークは、ダビデの星をあきらかに剽窃している、いやちゃんと書こう、侮辱している。
ユダヤ団体からクレームがこなければ、うそだろう。
シレーヌの衣装・・・オムツなの?
・・・・・書き出せばきりがない。これほどきりがないのも珍しい。一分の隙もなく、ダメなところばかりだ。
 
デビルマンになったり、その途中の人間にぼこぼこがついた中途半端な状態になったり、あれは人間の役者のところを出そうという計らいか?イナズマンで言えば、サナギマンといったところだろうに?
なんで普通の勤め先の弁当がお重なの?
あのピーピング・トムの意味は?
永井豪がちょくちょく出てくるけど、なんの役どころにもなっていない。それなら、もちっとカメオに徹しろよ。
ボブサップのアンカーマンもわけわからん。
 
個人的には渋谷飛鳥、ハ・ジウォンに似てるなぁ、とそれだけが救い・・・でもヘタはヘタ。
 
映画館を出る時、入れ違いに入ってきたおばあさんの二人連れ、映画を間違ってませんか?これ、"でびるまん"ですよ。

加茂大祭

2004年10月18日 00時12分07秒 | Weblog
今日は、母のいなかの加茂川町で、加茂大祭が行なわれた。
元々は10月の決まった日に開かれていたのが、10数年前に、帰省する人とか見物客とかの集客目的で、10月の第三日曜になった。
それまでは、地元の小中学校は休みになったらしい。
岡山三大祭の一つと言われているらしいが、あとの2つがなんなのかは知らない。ネットで調べても、わからなかった。
因みに西大寺の"会陽"は、岩手・"黒石寺蘇民祭"、四天王寺・"どやどや"とあわせて日本三大奇祭と呼ばれているらしい(裸祭りは他にもあって珍しくもないだろうに)。
さらに、日本三名園が岡山・後楽園、水戸・偕楽園、金沢・兼六園、というのは、なんでも明治天皇が行幸したところだから、というだけの理由らしい。
後楽園はけっこう美しいので、地元の華と思っていたのだが、理由を知ると、なぁんだ、という感じだった。閑話休題。
 
舞台となる総社宮に、近在の八社が集まる。  
かつては、朝、日が昇る前に、神輿は各社を出発したそうだ。
軽トラに神輿を載せるようになってからは、ゆっくりするようになったそうだが、それでも午前7時には総社宮に到着するように出発をする。
八社には格付けがあるそうで、神輿が途中の道で鉢合わせになったときは、格下は格上が通り過ぎるまで待たなければならないとか。
これだけ平等の時代になっても、そういう理不尽なところが罷り通っているのが、いかにも伝統行事の時代錯誤性で、面白い。
わが先祖が氏子を務める天計神社は、天を計るという大層な名前の割には、下から二番目だそうだ。
式次第を見ると、6時には各社総代が集合し、30分には総社宮もあわせて九社の総代が桟敷につくことになっている。
そして、7時から、各社の神輿の入御(お入り)が始まる。
その順序も、格付けによって決まっていて、鴨・化気・松尾・日吉・素盞鳴・八幡宮・天計・三所が、それぞれ30~45分かけて参道から鳥居・随神門を通って、定位置に納まるようになっている。
神輿を中心に、笛や太鼓の錚々たる数の行列が参道を通り、鳥居をくぐって納所にたどり着くまでに、さんざ見せ場を作り、見栄を切って、獅子舞やら棒使いの芸を見せる。
従兄は中学生の時に鉄砲隊で、歩兵銃に見立てた木銃を棒術よろしく振り回していたが、最近鉄砲隊は見かけなくなった。これも時代か?
7時に始まった入御は、完了時点で12時前だ。
 
見物に来た家族は、お弁当タイムでもある。
総社宮の周りの田圃は、この時点で既に稲の刈り取りが終わっている。他に比べて早いような気もするが、集まった各社の氏子たちが、めいめいにシートを広げて、弁当をあけているのを見ると、そのために刈り取りを早く終わらせているとしか思えない。
さて、この弁当というのが、これまた特徴的だ。
鯖寿司、である。
鯖寿司とは、バッテラともちょっと違う。半身のしめ鯖を鮨飯の上に乗せてある、なかなかに豪快なものだ。
もちろん、食べるときには切り分けるから、バッテラのように箱寿司に似ていなくもないが、如何せん乗っている鯖の大きさが違いすぎる。
他に稲荷や巻き寿司もあるが、何と言っても、鯖寿司、である。
好き嫌いは分かれるところがあるが、最近では地元の特産品として、道の駅などでも売られていたりする。
若狭から京の都へ鯖街道があるのと同様に、かつてこんな山の中の村々では、鯖が重宝がられたのだろうか。
 
12時からは、"お遊び"と呼ばれる行事がある。
各社が太刀振り、獅子舞い、棒使いといった演舞を見せるのだが、これはだいたいが子どもによって行なわれる。
子供たちは入御の時にも神輿について廻るが、この時こそが晴れ舞台である。
特に小学生以下の小さい子供たちはそれなりの装束に身を包んでいる。
中学生はたいがい鼓笛隊で、制服の上に三色の長いたすきを特徴ある結び方をしているが、それが中々さまになっている。
各社めいめいに好き勝手ともとれる(そんなことはあるまいが)節を笛や太鼓で吹き鳴らしながら、行列に参加している。
 
お遊びが終わると、メインエベントの"御神幸"である。
これは、各社の納所から神輿が境内に担ぎ出され、合図とともに屈強どもが神輿を持ち上げて、持続力を競うものだ。
力尽きて神輿を下ろしてしまった社は、負け惜しみか?神輿を上下に揺すってみせる。

還御(お立ち)と呼ばれる総社宮からの神輿の退出にも順序がある。
三所・鴨・天計・八幡宮・化気・松尾・日吉・素盞鳴の順だが、入御と順序に統一がない理由は知らない。
総ての神輿が参道を退出して祭りは終わる、これが15時を過ぎたくらいだ。 
 
これでおわかりのように、昼過ぎにはメイン・エベントが終わってしまう、ずいぶんとあっさりしたものだ。
世間には5分だけ、などと奇を衒ったものもあるらしいが、こちらの方が潔さを感じるのは、身贔屓だろうか。



ところで、わからないところを調べようとしたら、加茂川町のページが開かず、よく見ると、今月から吉備中央町になっていた。
例の合併である。なんとも芸のない名前になったものだ。
そう言えば、帰る途中に空港近くの交通案内に"吉備中央"と塗りなおしたのを見かけて、おかしいな、とは思ったのだ。