2015年8月2日
小樽キリスト福音館 主日礼拝
メッセンジャー:佐藤 直樹
テキスト:マタイ6章25-34節
テーマ: 心配するな
ポイント
私たちは食べることや着ることについて心配しがちですが、この思い煩いは不信仰から来ているといえます。そのことを覚え、神への信頼を告白し、神から与えられている今日という日を精一杯生きましょう。
聖書の箇所
だから、わたしはあなたがたに言います。自分のいのちのことで、何を食べようか、何を飲もうかと心配したり、また、からだのことで、何を着ようかと心配したりしてはいけません。いのちは食べ物よりたいせつなもの、からだは着物よりたいせつなものではありませんか。空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。あなたがたは、鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか。(25-26節)
そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。(31-34節)
解説
神を知らない異邦人は、富の追求だけで人生を終えますが、信者はそうではありません。しかし、弱い私たちは思い煩ってしまいがちです。
そのための処方箋は、天の父は私たちの必要をすべてご存知であることを信じ、神の支配と神の御心を優先させることでしょう。そうすれば、私たちには必要なものが与えられます。
信者の基本的な人生観とは、将来の心配をせず、今日という日を精一杯生きることです。結局のところ、思い煩いは不信仰から来ているといえるでしょう。そのことを覚え、神への信頼を告白し、神から与えられている今日という日を精一杯生きたいものです。
*****************教会員の感想****************
□今日を大切にしたいと思いました。
以上
小樽キリスト福音館 主日礼拝
メッセンジャー:佐藤 直樹
テキスト:マタイ6章25-34節
テーマ: 心配するな
ポイント
私たちは食べることや着ることについて心配しがちですが、この思い煩いは不信仰から来ているといえます。そのことを覚え、神への信頼を告白し、神から与えられている今日という日を精一杯生きましょう。
聖書の箇所
だから、わたしはあなたがたに言います。自分のいのちのことで、何を食べようか、何を飲もうかと心配したり、また、からだのことで、何を着ようかと心配したりしてはいけません。いのちは食べ物よりたいせつなもの、からだは着物よりたいせつなものではありませんか。空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。あなたがたは、鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか。(25-26節)
そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。(31-34節)
解説
神を知らない異邦人は、富の追求だけで人生を終えますが、信者はそうではありません。しかし、弱い私たちは思い煩ってしまいがちです。
そのための処方箋は、天の父は私たちの必要をすべてご存知であることを信じ、神の支配と神の御心を優先させることでしょう。そうすれば、私たちには必要なものが与えられます。
信者の基本的な人生観とは、将来の心配をせず、今日という日を精一杯生きることです。結局のところ、思い煩いは不信仰から来ているといえるでしょう。そのことを覚え、神への信頼を告白し、神から与えられている今日という日を精一杯生きたいものです。
*****************教会員の感想****************
□今日を大切にしたいと思いました。
以上