小樽キリスト福音館メッセージ要約

小樽キリスト福音館で毎週行われる福音メッセージの要約をお届けいたします。

心配するな

2015-10-18 11:51:06 | Weblog
2015年8月2日
小樽キリスト福音館 主日礼拝
メッセンジャー:佐藤 直樹
テキスト:マタイ6章25-34節

テーマ: 心配するな

ポイント
私たちは食べることや着ることについて心配しがちですが、この思い煩いは不信仰から来ているといえます。そのことを覚え、神への信頼を告白し、神から与えられている今日という日を精一杯生きましょう。

聖書の箇所

だから、わたしはあなたがたに言います。自分のいのちのことで、何を食べようか、何を飲もうかと心配したり、また、からだのことで、何を着ようかと心配したりしてはいけません。いのちは食べ物よりたいせつなもの、からだは着物よりたいせつなものではありませんか。空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。あなたがたは、鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか。(25-26節)

そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。(31-34節)

解説

神を知らない異邦人は、富の追求だけで人生を終えますが、信者はそうではありません。しかし、弱い私たちは思い煩ってしまいがちです。

そのための処方箋は、天の父は私たちの必要をすべてご存知であることを信じ、神の支配と神の御心を優先させることでしょう。そうすれば、私たちには必要なものが与えられます。

信者の基本的な人生観とは、将来の心配をせず、今日という日を精一杯生きることです。結局のところ、思い煩いは不信仰から来ているといえるでしょう。そのことを覚え、神への信頼を告白し、神から与えられている今日という日を精一杯生きたいものです。

*****************教会員の感想****************

□今日を大切にしたいと思いました。

以上

ヒゼキヤの癒し

2015-10-04 12:12:58 | Weblog
2015年7月19日
小樽キリスト福音館 主日礼拝
メッセンジャー:佐藤 直樹
テキスト:Ⅱ列王記20章1-11節

テーマ: ヒゼキヤの癒し

ポイント
ヒゼキヤは病気になり、自分の死を前にして泣きました。しかし、彼はただ泣くだけでなく、神に祈ったのです。神は彼の祈りを聞き、涙を見られ、命を十五年のばしてくださいました。ここに神に祈ることのできる者の幸いがあります。

聖書の箇所

そのころ、ヒゼキヤは病気になって死にかかっていた。そこへ、アモツの子、預言者イザヤが来て、彼に言った。「主はこう仰せられます。『あなたの家を整理せよ。あなたは死ぬ。直らない。』そこでヒゼキヤは顔を壁に向けて、主に祈って、言った。「ああ、主よ。どうか思い出してください。私がまことを尽くし、全き心をもって、あなたの御前に歩み、あなたがよいと見られることを行ってきたことを。」こうしてヒゼキヤは大声で泣いた。

イザヤがまだ中庭を出ないうちに、次のような主のことばが彼にあった。「引き返して、わたしの民の君主ヒゼキヤに告げよ。あなたの父ダビデの神、主は、こう仰せられる。『わたしはあなたの祈りを聞いた。あなたの涙も見た。見よ。わたしはあなたをいやす。三日目には、あなたは主の宮に上る。わたしは、あなたの寿命にもう十五年を加えよう。わたしはアッシリヤの王の手から、あなたとこの町を救い出し、わたしのために、また、わたしのしもべダビデのためにこの町を守る。』」(1-6節)

解説

ヒゼキヤは病気になり、それは大変重症でした。人はどんなに権力を握っても、どんなに財宝を蓄え、名声を博しても、死に勝つことはできません。ヒゼキヤも自分の死を前にして泣きました。しかし、彼はただ泣くだけでなく、神に祈ったのです。神は彼の祈りを聞き、涙を見られ、命を十五年のばしてくださいました。ここに神に祈ることのできる者の幸いがあります。

なんとも思わない私たちの出生も、繰り返される毎日も、考えてみるとすべて神から与えられたものです。自分で選び取ったり、自分の力で勝ち取ったものは一つもありません。私たちが順調にいっているとき、それらがすべて自分の意思や努力によって得たものだと錯覚しやすいものです。

そして、ひとたび自分の弱さをしったとき、そこで悶え苦しみ、さまよいます。しかし、神を信じる者はそこで祈ることができます。祈ることによって、力を得て生きることができるのです。なぜなら、神はその祈りを聞いて下さるからです。

*****************教会員の感想****************

□私たちの祈りを聞いて下さる神様に感謝します。

以上