小樽キリスト福音館メッセージ要約

小樽キリスト福音館で毎週行われる福音メッセージの要約をお届けいたします。

2021年5月2日のメッセージ

2021-06-06 09:49:53 | Weblog
2021年5月2日
小樽キリスト音館 主日礼拝
メッセンジャー:佐藤 直樹
テキスト:民数記 21章21-32節

テーマ: アモリ人の王シホンとの戦い

ポイント
モーセは外交交渉によって王シホンが支配する国の通過許可を得ようとしましたが、戦いを挑まれ、勝利を得ます。モーセは約束の地に入ることはできませんでしたが、この勝利によって、やがて来るべき大勝利の先駆けを味わうことができました。小さな勝利の積み重ねが大勝利につながることを忘れないようにしましょう。

聖書の箇所

イスラエルはエモリの王シホンに使者たちを送って行った。「あなたの国を通らせてください。私たちは畑にもぶどう畑にも曲がってはいることはせず、井戸の水も飲みません。あなたの領土を通過するまで、私たちは王の道を通ります。」しかし、シホンはイスラエルが自分の領土を通ることを許さなかった。シホンはその民をみな集めて、イスラエルを迎え撃つために荒野に出て来た。そして、ヤハツに来て、イスラエルと戦った。(21-23節)

解説

イスラエル人は「王の道」を通過して約束の地に向かっていましたが、その途中にアモリ(エモリ)人の王シホンが支配する国がありました。モーセは外交交渉によって通過許可を得ようとしましたが、王シホンはそれを拒否し、イスラエルに戦いを挑んできました。

応戦を余儀なくされたイスラエルは勝利し、アルノンからヤボクまでを占領します。モーセにとってこの勝利は大きな喜びとなりました。彼は約束の地に入ることはできませんでしたが、この勝利によって、やがて来るべき大勝利の先駆けを味わうことができたのです。

小さな勝利の積み重ねが大勝利につながります。小さなことに忠実であること、小さな戦いに勝利することを学びましょう。主は忠実な者たちに、大きな勝利を与えようとしておられます。

*****************教会員の感想****************

□小さなことに忠実でありたいと思いました。

以上


2021年3月21日のメッセージ

2021-05-02 14:10:30 | Weblog
2021年3月21日
小樽キリスト音館 主日礼拝
メッセンジャー:佐藤 直樹
テキスト:民数記 20章14-21節

テーマ: エドムの地の迂回

ポイント
モーセはカデシュからカナンに行くのに、エドムが住んでいる「王の道」を北上する道を選びますが、エドムは拒否しました。神に敵対する者(この世)は、理由もなく神の子たちを憎みますが驚いてはなりません。神が備えられた別の道が用意されていることを思い起こしましょう。

聖書の箇所

「どうか、あなたの国を通らせてください。私たちは、畑もぶどう畑も通りません。井戸の水も飲みません。私たちは王の道を行き、あなたの領土を通過するまでは右にも左にも曲がりません。」しかし、エドムはモーセに言った。「私のところを通ってはならない。さもないと、私は剣をもっておまえを迎え撃とう。」(17-18節)


解説

モーセはカデシュからカナンに行くのに、敵から攻撃されるのを避けるため、エドムが住んでいる「王の道」を北上する道を選びます。エドム人はエサウの子孫であるため、エドム人とイスラエル人は血縁関係がありました。

しかし、イスラエル人の申し出は極めて正当なものでしたが、エドムは拒否しました。それは恐らく、先祖エサウがヤコブに対して抱いていた敵対心が、そのまま民族の伝統として受け継がれていたからだと思われます。

モーセは方向転換し、イスラエルの民を別の道へと導きました。神に敵対する者(この世)は、理由もなく神の子たちを憎みますが驚いてはなりません。神が備えられた別の道が用意されていることを思い起こしましょう。「人の目にはまっすぐに見える道がある。その道の終わりは死の道である(箴言14章12節)」という御言葉どおりです。

*****************教会員の感想****************

□神の備えた道を歩みたいと思いました。

以上


2021年3月7日のメッセージ

2021-04-18 13:48:14 | Weblog
2021年3月7日
小樽キリスト音館 主日礼拝
メッセンジャー:佐藤 直樹
テキスト:民数記 20章2-13節

テーマ: メリバの水

ポイント
モーセは怒りに満たされ、主の命令に背き、民を約束の地に導くという特権を奪われてしまいます。どんな偉大な信仰者でも失敗することがあります。私たちを天の御国に導くのは、人間の指導者ではなく、主イエスであることをおぼえ、主のみに信頼して歩みましょう。

聖書の箇所

ところが会衆のためには水がなかったので、彼らは集まってモーセとアロンとに逆らった。(2節)

主はモーセに告げて仰せられた。「杖を取れ。あなたとあなたの兄弟アロンは、会衆を集めよ。あなたがたが彼らの目の前で岩に命じれば、岩は水を出す。あなたは、彼らのために岩から水を出し、会衆とその家畜に飲ませよ。」そこでモーセは、主が彼に命じられたとおりに、主の前から杖を取った。そしてモーセとアロンは岩の前に会衆を召集して、彼らに言った。「逆らう者たちよ。さあ、聞け。この岩から私たちがあなたがたのために水を出さなければならないのか。」モーセは手を上げ、彼の杖で岩を二度打った。すると、たくさんの水がわき出たので、会衆も家畜も飲んだ。しかし、主はモーセとアロンに言われた。「あなたがたはわたしを信ぜず、わたしをイスラエルの人々の前に聖なる者としなかった。それゆえ、あなたがたは、この集会を、わたしが彼らに与えた地に導きいれることはできない。」(7-12節)

解説

イスラエルの民は、「飲み水さえない」とモーセとアロンに逆らいました。主は、①杖を取り、②会衆を集め、③岩に命じれば、水が出るとモーセに伝えました。

モーセは怒りに満たされ「逆らう者たちよ。さあ、聞け」と、主に栄光を帰すことなしに、自分たちが水を出すかのように語りました。そして、岩に命じる代わりに、その岩を杖で2度打ったのです。これは主の命令に背く行為です。

水は出ましたが、この罪によってモーセとアロンは、民を約束の地に導くという特権を奪われてしまいます。人間的には、岩を杖で2度打つという行為は些細なことのように思われますが、そこには怒りの罪、自己中心の罪、不信仰の罪が潜んでいます。

どんな偉大な信仰者でも失敗することがあります。人に信頼を置くと、失望するときが来ます。私たちを天の御国に導くのは、人間の指導者ではなく、主イエスであることをおぼえ、主のみに信頼して歩みましょう。

*****************教会員の感想****************

□ささいな不信仰に気をつけたいと思いました。

以上


2021年1月3日のメッセージ

2021-02-28 15:27:18 | Weblog
2021年1月3日
小樽キリスト音館 主日礼拝
メッセンジャー:佐藤 直樹
テキスト:民数記 16章1-11節

テーマ: コラの反逆

ポイント
レビの子ケハテの子であるイツハルの子コラが首謀者となり、反逆を起こしました。コラが述べたことは一部当たっていますが、祭司職について指示された主の言葉を無視しています。仕える者(僕)の心を忘れて支配者になりたがる人は、神の国のリーダーとしてふさわしいとはいえません。私たちも、日々の行動の背後にある動機を、今、聖霊によって吟味していただきましょう。

聖書の箇所

レビの子ケハテの子であるイツハルの子コラは、ルベンの子孫であるエリアブの子ダタンとアビラム、およびペレテの子オンと共謀して、会衆の上に立つ人たちで、会合で選び出された名のある者たち二百五十人のイスラエル人とともに、モーセに立ち向かった。彼らは集まって、モーセとアロンとに逆らい、彼らに言った。「あなたがたは分を越えている。全会衆残らず聖なるものであって、主がそのうちにおられるのに、なぜ、あなたがたは、主の集会の上に立つのか。」(1-3節)

解説

荒野の放浪機関(38年間)に起こった出来事に関する記述は、わずかしかありませんが、コラの反逆はその一つです。モーセに反逆したのは、3組の人々でしたが、その首謀者がレビの子ケハテの子であるイツハルの子コラです。家系から言うと、彼はレビ人ですが、祭司ではありません。それが彼には不満だったのでしょう。コラが反逆した動機は、宗教的な主導権争いであったと思われます。

コラの主張は、「イスラエルの全会衆は聖なるものであり、主が全会衆の中におられるのに、なぜモーセとアロンが主の会衆の上に立とうとするのか」というものでした。コラが述べたことは一部当たっています。確かに、主はイスラエルの会衆の中におられました。しかし、前提は正しくとも、そこから導きだされた結論が間違っています。

神はイスラエルの民を「祭司の王国」「聖なる国民」と呼びましたが、同時にその中でも誰が祭司職に就くかも指示されました。コラはこのことばを無視しています。仕える者(僕)の心を忘れて支配者になりたがる人は、神の国のリーダーとしてふさわしいとはいえません。私たちも、日々の行動の背後にある動機を、今、聖霊によって吟味していただきましょう。

*****************教会員の感想****************

□仕える者として行動したいと思いました。

以上


2020年12月6日のメッセージ

2021-01-31 05:42:34 | Weblog
2020年12月6日
小樽キリスト音館 主日礼拝
メッセンジャー:佐藤 直樹
テキスト:民数記 14章20-38節

テーマ: 神からの回答

ポイント
イスラエルの民は、これまで何度も神の栄光と神が行ったしるしを見ながら、神の声に聞き従ってこなかったため、約束の地を見るという祝福から切り離されてしまいます。私たちも、日々の蓄積が、最後に私たちの人生、人格、信仰を作り上げます。日々御言葉を読み、神に聞き従う習慣を身につけましょう。

聖書の箇所

主は仰せられた。「わたしはあなたのことばどおりに赦そう。しかしながら、わたしが生きており、主の栄光が全地に満ちている以上、エジプトとこの荒野で、わたしの栄光とわたしの行ったしるしを見ながら、このように十度もわたしを試みて、わたしの声に聞き従わなかった者たちは、みな、わたしが彼らの先祖たちに誓った地を見ることがない。わたしを侮った者も、みなそれを見ることができない。ただし、わたしのしもべカレブは、ほかの者と違った心を持っていて、わたしに従い通したので、わたしは彼が行って来た地に彼を導き入れる。彼の子孫はその地を所有するようになる。(20-24節)

解説

モーセの祈りに対する神の答えが返ってきました。神は「わたしはあなたのことばどおりに赦そう」と言われました。しかし、神の聖と義は全うされなければなりません。イスラエルの民は、これまで何度も神の栄光と神が行ったしるしを見ながら、神の声に聞き従ってきませんでした。「十度もわたしを試みて」というのは、民の不信仰が満ち満ちたことを表現する言葉です。

その不信仰のために、彼らは約束の地を見るという祝福から切り離されてしまいます。つまり、カナンの地に着く前に荒野で死に絶えるというとこです。しかし、カレブの場合は別でした。彼は神に従い通したので、彼とその子孫は、約束の地に入ることができたのです。

イスラエルの民への裁きは、予期せぬ時に突然やってきたのではありません。「十度もわたしを試みて」とあったように、それまでも民は何度も神に反抗してきたのです。私たちも、一挙に聖人になったり堕落したりするのではありません。日々の蓄積が、最後に私たちの人生、人格、信仰を作り上げます。それゆえ、日々御言葉を読み、神に聞き従う習慣を身につけることが大切になります。その習慣は、やがて私たちに永遠に価値あるものを与えてくれるようになるでしょう。

*****************教会員の感想****************

□神に聞き従う習慣が大切だと感じました。

以上


2020年11月8日のメッセージ

2020-12-20 11:54:33 | Weblog
2020年11月8日
小樽キリスト音館 主日礼拝
メッセンジャー:佐藤 直樹
テキスト:民数記 11章1-15, 21-35節

テーマ: 最初のつぶやきとその刈り取り

ポイント
シナイを旅立ったイスラエルの民は、しばしば主に対して反抗的な態度をとるようになります。民のつぶやきを聞いた主は怒りを燃やし、火という罰を下しますが、モーセのとりなしの祈りによって火は消えました。神は私たちのつぶやきの声も聞いておられます。ここまで歩むことができたことに感謝しましょう。

聖書の箇所

さて、民はひどく不平を鳴らして主につぶやいた。主はこれを聞いて怒りを燃やし、主の火が彼らに向かって燃え上がり、宿営の端をなめ尽くした。すると民はモーセに向かってわめいた。それで、モーセが主に祈ると、その火は消えた。主の火が、彼らに向かって燃え上がったので、その場所の名をタブエラと呼んだ。(1-3節)

解説

エジプトを脱出して約束の地カナンに入って行く物語は、英雄物語ではなく、失敗者の物語であり、主がいかに憐み深い方であるかを示す物語です。シナイを旅立ったイスラエルの民は、しばしば主に対して反抗的な態度をとるようになりますが、今日の箇所はその最初のものです。

「民はひどく不平を鳴らして主につぶやいた」とあります。不平とつぶやきの原因は書かれていませんが、後に起こる出来事から想像すると、水や食物についての不満が原因だったと思われます。これを聞いた主は怒りを燃やし、火という罰を下します。そして、火を見た民はモーセに向かってわめきますが、これは民の悔い改めの声です。モーセのとりなしの祈りによって、火は消えました。

神は私たちのつぶやきの声を悲しみながら聞いておられます。直ちに滅ぼされても当然の私たちが、ここまで歩むことができたのは、まさに主の恵み以外の何ものでもありません。「神はあわれみ深く彼らの咎を赦して、滅ぼされなかった」(詩編78章3節)の御言葉にあるように、主の恵みに感謝しましょう。

*****************教会員の感想****************

□つぶやいている自分に気づき、主の恵みに感謝したいと思います。

以上


2020年10月25日のメッセージ

2020-11-29 09:53:46 | Weblog
2020年10月25日
小樽キリスト音館 主日礼拝
メッセンジャー:佐藤 直樹
テキスト:民数記 9章1-23節

テーマ: 2年目の過越の祭りから学ぶ

ポイント
過越の祭りは、エジプトからの脱出と解放を記念する大切な祭りです。出エジプト体験がなければ、彼らはエジプトで奴隷としてその生涯を終えていました。私たちにとっての出エジプト体験とは、主イエスの十字架による「神の怒り」からの解放であることを思い起こし、主への感謝と献身を表明しましょう。

聖書の箇所

エジプトの国を出て第二年目の第一月に、主はシナイの荒野でモーセに告げて仰せられた。「イスラエル人は、定められた時に、過越のいけにえをささげよ。あなたがたはこの月の十四日の夕暮れ、その定められた時に、それをささげなければならない。そのすべてのおきてとすべての定めに従って、それをしなければならない。」そこでモーセはイスラエル人に、過越のいけにえをささげるように命じたので、彼らはシナイの荒野で第一月の十四日の夕暮れに過越のいけにえをささげた。イスラエル人はすべて主がモーセに命じられたとおりに行った。(1-5節)

解説

過越の祭りは、エジプトからの脱出と解放を記念する大切な祭りです。出エジプトはへブル歴の第1月に起こりました。その月の第14日の夕暮れに、イスラエルの民は過越のいけにえを捧げ、祭りを祝います。これはエジプトを出てから初めて祝う過ぎ越しの祭りでした。

過越の祭りは、民族としての出発を思い出すために与えられたものです。出エジプト体験がなければ、彼らはエジプトで奴隷としてその生涯を終えていました。過越の祭りは、まさに彼らの新しい出発を記念する信念の祭りなのです。

私たちにとっての出エジプト体験とは、主イエスの十字架による「神の怒り」からの解放です。私たちは、イエス・キリストを信じる信仰によって、罪と呪いと死から解放されました。今、自分の新しい人生がどこから始まったかを思い起こし、主への感謝と献身を表明しましょう。


*****************教会員の感想****************

□私の出エジプト体験を忘れないようにしたいと思いました。


以上


2020年10月4日のメッセージ

2020-11-15 09:28:41 | Weblog
2020年10月4日
小樽キリスト音館 主日礼拝
メッセンジャー:佐藤 直樹
テキスト:民数記 7章1-9節

テーマ: レビ人のための捧げ物から学ぶ

ポイント
幕屋が完成した日、イスラエルの族長たちが捧げ物を主の前に持ってきました。それらの捧げ物は、レビ人の奉仕のために分配されます。今日の箇所から、物質的なものが聖なる働きのために用いられることを学びましょう。

聖書の箇所

彼らはささげ物を主の前に持って来た。それはおおいのある車六両と雄牛十二頭で、族長ふたりにつき車一両、ひとりにつき牛一頭であった。彼らはこれを幕屋の前に連れて来た。すると主はモーセに告げて仰せられた。「会見の天幕の奉仕に使うために彼らからこれらを受け取り、レビ人にそれぞれの奉仕に応じて渡せ。」そこでモーセは車と雄牛とを受け取り、それをレビ人に与えた。(3-6節)


解説

幕屋が完成したのは、出エジプトの出来事の後、第2年目の1月1日でした。幕屋が完成した日に起こったのが、民数記7から9章の出来事です。幕屋が完成した日、イスラエルの族長たちが捧げ物を主の前に持ってきました。その捧げ物は荷車6両と雄牛12頭でした。族長たちは、幕屋の維持、運営、運搬のために必要なものを捧げたのです。主はそれを良しとされました。

それらの捧げ物は、レビ人の奉仕のために分配されます。荷車2両と雄牛4頭はゲルション族に与えられました。彼らの役割は、掛け幕や垂れ幕を運搬することだったからです。荷車4両と雄牛8頭はメラリ族に与えられました。彼らの役割は、より重い幕屋の構造材を運ぶことにあったからです。しかし、ケハテ族には何も与えられませんでした。なぜなら、彼らの役割は、聖なる器具を肩に担いで運ぶことだったからです。

族長たちは、幕屋の建設状況を注意深く見守り、それが完成した時、次に何が必要かを感じることができた人々でした。自らの捧げ物を通して、民に良き手本を示したといえます。そして、神は各部族に割り当てられた役割に応じて捧げ物を分配しています。物質的なものが聖なる働きのために用いられることを学びましょう。

*****************教会員の感想****************

□聖なる働きのために物質が重要になることがわかりました。


以上


2020年7月26日のメッセージ

2020-08-30 08:06:02 | Weblog
2020年7月26日
小樽キリスト音館 主日礼拝
メッセンジャー:佐藤 直樹
テキスト:使徒 24章21-27節

テーマ: 大胆に福音を語るパウロと拒否する者

ポイント
パウロは聖霊に導かれて、福音を語りましたが、邪悪なペリクスと、堕落した家系のドルシラが信仰を告白したという証拠はありません。伝道の主役は聖霊であることを確認し、聖霊の働きに従って伝道に励みましょう。

聖書の箇所

数日後、ペリクスはユダヤ人である妻ドルシラを連れて来て、パウロを呼び出し、キリスト・イエスを信じる信仰について話を聞いた。しかし、パウロが正義と節制とやがて来る審判とを論じたので、ペリクスは恐れを感じ、「今はかえってよい。おりを見て、また呼び出そう。」と言った。(24-25節)

解説

ペリクスの妻ドルシラは、ヤコブを殺し、ペテロを投獄したヘロデ・アグリッパI世の娘であり、彼女の大叔父ヘロデ・アンティパスはバプテスマのヨハネを殺した人物です。ヘロデ家の人々は神に敵対した人々だったといえます。

パウロによる福音の話しは、邪悪なペリクスと、堕落した家系のドルシラに与えられた救いの手でした。しかし、その後、彼らが信仰を告白したという証拠はありません。やがてドルシラは、ペリクスとの間に生まれた子と、ベスオ山の噴火で亡くなります。

この世を支配するサタンはすでに裁かれました。したがって、サタンに従うものは最終的に裁かれます。パウロはやがて来る審判について語りましたが、その内容は聖霊の働きに沿ったものでした。私たちも、伝道の主役は聖霊であることを確認し、聖霊の働きに従って伝道に励みましょう。

*****************教会員の感想****************

□サタンの働きに気をつけて、聖霊とともに歩みたいと思います。


以上


2020年7月19日のメッセージ

2020-08-02 06:43:11 | Weblog
2020年7月19日
小樽キリスト音館 主日礼拝
メッセンジャー:佐藤 直樹
テキスト:使徒 24章10-21節

テーマ: 復活信仰を明確にし、毅然と生きる

ポイント
パウロの弁明は、伝道メッセージとなっており、その中心は復活です。キリストは、私の罪のために死なれたのか、キリストは復活されたのか、この二つの問いにどう答えるかでその人の運命が決まります。

聖書の箇所

私は、律法にかなうことと、預言者たちが書いていることを全部信じています。また、義人も悪人も必ず復活するという、この人たち自身も抱いている望みを、神にあって抱いております。そのために、私はいつも、神の前にも人の前にも責められることのない良心を保つように、と最善を尽くしています(14-16節)

解説

パウロの弁明は、伝道メッセージとなっています。その中心は復活です。まず、復活は旧約聖書に預言されている真理であると主張しています。復活を信じているかどうかで、その人の生き方が決まります。

キリスト教は復活信仰です。キリストは、私の罪のために死なれたのか、キリストは復活されたのか、この二つの問いにどう答えるかでその人の運命が決まるのです。

キリストの復活を信じることは、キリストの贖いのわざを信じることにあります。キリストを救い主として受け入れた人は、神と平和を手に入れた人なのです。

*****************教会員の感想****************

□キリストの復活を信じることの大切さがわかりました。


以上