小樽キリスト福音館メッセージ要約

小樽キリスト福音館で毎週行われる福音メッセージの要約をお届けいたします。

2008年6月8日のメッセージ

2008-06-29 07:55:40 | Weblog
2008年6月8日
小樽キリスト福音館・主日礼拝
メッセンジャー:佐藤直樹
テキスト:ローマ13章8-14節

テーマ:終末を目指す信仰者の日々の生活

ポイント
手紙のなかでパウロは、クリスチャンは終末に向かって歩いていると告げています。今の時代を正しく認識し、肉の欲を避け、光の武具を身につけた信仰生活を送る者は、現在も未来も祝福されることが約束されているのです。

聖書の箇所

だれに対しても、何の借りもあってはいけません。ただし、互いに愛し合うことについては別です。他の人を愛する者は、律法を完全に守っているのです。「姦淫するな、殺すな、盗むな、むさぼるな。」という戒め、またほかにどんな戒めがあっても、それらは、「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。」ということばの中に要約されているからです。愛は隣人に対して害を与えません。それゆえ、愛は律法を全うします。

あなたがたは、今がどのような時か知っているのですから、このように行いなさい。あなたがたが眠りからさめるべき時刻がもう来ています。というのは、私たちが信じたころよりも、今は救いが私たちにもっと近づいているからです。

夜はふけて、昼が近づきました。ですから、私たちは、やみのわざを打ち捨てて、光の武具をつけようではありませんか。遊興、酩酊、淫乱、好色、争い、ねたみの生活ではなく、昼間らしい、正しい生き方をしようではありませんか。主イエス・キリストを着なさい。肉の欲のために心を用いてはいけません。

解説

「あなたがたが眠りからさめるべき時刻がもう来ています」「今は救いが私たちにもっと近づいているからです」とあるように、クリスチャンは終末に向かって歩いている者であることをパウロは伝えています。

「光の武具をつけよう」「昼間らしい正しい生き方をしよう」「主イエスキリストを着なさい」「肉の欲のために心を用いてはいけません」「互いに愛し合いなさい」とパウロが教えていることは、未来に向かうクリスチャン生活の基本的認識です。

「遊興、酩酊、淫乱、好色、争い、ねたみ」は肉の欲の現れです。このような時代の姿に同化せず、むしろこれに抵抗し、肉の欲に屈服しないことがクリスチャンにとって大切になります。

今の時代を正しく認識し、光の武具を身につけた信仰生活を送る者は、現在も未来も祝福され、天国に多くの宝を積むことになると約束されています。やがて主イエス様が再臨されたときには、天に宝を積んだ信仰者はキリストとともに祝福された永遠の命が与えられるのです。

*****************教会員の感想****************

□終末が近い今、キリストを着る者として日々の生活を送りたいと思いました。

以上

2008年6月1日のメッセージ

2008-06-22 09:38:58 | Weblog
2008年6月1日
小樽キリスト福音館・主日礼拝
メッセンジャー:佐藤直樹
テキスト:ローマ13章1-7節

テーマ:上に立つ権威に従うべきである

ポイント
存在している権威はすべて、神によって立てられたものですが、パウロは、個々のキリスト者や教会が、政府とどのような関係を持つべきかについて説明しています。キリスト者は、現実の国家の中において、積極的な尊敬と服従によって勝利を得ていくのです。

聖書の箇所

人はみな、上に立つ権威に従うべきです。神によらない権威はなく、存在している権威はすべて、神によって立てられたものです。したがって、権威に逆らっている人は、神の定めにそむいているのです。そむいた人は自分の身にさばきを招きます。

支配者を恐ろしいと思うのは、良い行いをするときではなく、悪を行うときです。権威を恐れたくないと思うなら、善を行いなさい。そうすれば、支配者からほめられます。それは、彼があなたに益を与えるための、神のしもべだからです。しかし、もしあなたが悪を行うなら、恐れなければなりません。彼は無意味に剣を帯びてはいないからです。彼は神のしもべであって、悪を行う人には怒りをもって報います。

ですから、ただ怒りが恐ろしいからだけでなく、良心のためにも、従うべきです。同じ理由で、あなたがたは、みつぎを納めるのです。彼らは、いつもその務めに励んでいる神のしもべなのです。

あなたがたは、だれにでも義務を果たしなさい。みつぎを納めなければならない人にはみつぎを納め、税を納めなければならない人には税を納め、恐れなければならない人を恐れ、敬わなければならない人を敬いなさい。

解説

初代教会の時代、キリスト者はユダヤ教の一派だと思われていましたが、徐々にその区別が明確になるにつれて、ユダヤ教徒からも反発が起こるようになりました。そのような状況の中、教会は権威である政府に対してどのような態度をとるべきかが大きな課題でした。

使徒行伝4章19節では、使徒たちが「人に従うより、神に従うべきだ」と議会に向かって主張しています。このように、「神か人か」の二者択一を迫られるような場合は別として、一般的に教会は、権威に対して良い証をたて、社会秩序を乱す者たちにはならないという立場を守っていました。

パウロがここで取り上げているのは、「ローマ帝国全体と教会」という大規模なものではなく、むしろ、個々のキリスト者や個々の教会が、日常的に接触する地方の役所や役人(収税人や警察官)との関係であり、彼らに対する服従の問題が取り上げられています。

キリスト教は、積極的な尊敬と服従によって、現実の国家の中において勝利を得ていくのです。

**************教会員の感想****************

□世の中の権威も、神さまが立てられたことを忘れてはいけないと思いました。

以上

2008年5月25日のメッセージ

2008-06-15 09:30:53 | Weblog
2008年5月25日
小樽キリスト福音館・主日礼拝
メッセンジャー:佐藤直樹
テキスト:ローマ12章5.10.16節

テーマ:互いに愛し合いなさい

ポイント
十字架にかかる前に、イエス様は、「互いに愛し合いなさい」という新しい戒めを与えられました。肉的なレベルにあった弟子達の信仰を高めるためです。兄弟姉妹が謙虚な心を持って、互いに尊敬し合うとき、神様は私たちの生活を祝福してくださいます。

聖書の箇所

大ぜいいる私たちも、キリストにあって一つのからだであり、ひとりひとり互いに器官なのです。(5節)

兄弟愛をもって心から互いに愛し合い、尊敬をもって互いに人を自分よりもまさっていると思いなさい。(10節)

互いに一つ心になり、高ぶった思いを持たず、かえって身分の低い者に順応しなさい。自分こそ知者だなどと思ってはいけません。(16節)

解説

イエス様は、ヨハネの福音書13章34節で、弟子達に「わたしがあなたがたを愛したように、そのように、あなたがたも互いに愛し合いなさい」と戒めを与えられました。この出来事が起こったのは、イエス様が人類の罪のために十字架にかかることを弟子達に告げたときです。しかし、3年間イエス様とともに生活してきた弟子達であったにもかかわらず、彼らの関心は「弟子の中で一番偉いのは誰か」というような肉的なレベルでしかありませんでした。

イエス様が去った後、もし弟子達の信仰が肉のレベルであったなら、やがて起こる迫害のときに、バラバラになってしまいます。そのため、イエス様は地上に残される弟子達に対して、「互いに愛し合う」ことを新しい戒めとして命じました。

10節にある「兄弟愛」は、もともと肉親の愛情を表す言葉ですが、パウロはそれをキリスト者相互の愛とするように勧めています。キリスト者相互の愛が家族的な愛になるとき、交わりも生きてくるのです。16節の「一つ心になり」とあるのは、民族、地位、性別を越えて、キリストにあって一体とされた者になりなさいという意味です。また、「自分こそ知者などと思ってはいけません」とあるように、神から離れてしまった人は、自らを知者とする誤りに陥りやすい点を指摘しています。

今日の箇所を心にとめて、互いに愛し合うとき、神様は私たちの生活を祝福してくださいます。

*****************教会員の感想****************

□「互いに愛し合う」には、謙遜の心を持たなければいけないことがわかりました。

以上

追悼礼拝メッセージ

2008-06-07 11:03:47 | Weblog
2008年5月18日
小樽キリスト福音館・主日礼拝
(追悼礼拝メッセージ)
メッセンジャー:佐藤直樹
テキスト:ヘブル11章8-16節

テーマ:信仰者の故郷である神の都

ポイント
アブラハムは神の命令にしたがって、どこに行くかも知らずに故郷を出発しました。この世において私たちは旅人です。アブラハムのように、やがて天の都に帰る日を待ち望みながら毎日の生活を送るとき、すばらしい祝福が与えられます。

聖書の箇所

信仰によって、アブラハムは、相続財産として受け取るべき地に出て行けとの召しを受けたとき、これに従い、どこに行くのかを知らないで、出て行きました。信仰によって、彼は約束された地に他国人のようにして住み、同じ約束をともに相続するイサクやヤコブとともに天幕生活をしました。彼は、堅い基礎の上に建てられた都を待ち望んでいたからです。その都を設計し建設されたのは神です。

信仰によって、サラも、すでにその年を過ぎた身であるのに、子を宿す力を与えられました。彼女は約束してくださった方を真実な方と考えたからです。そこで、ひとりの、しかも死んだも同様のアブラハムから、天の星のように、また海べの数え切れない砂のように数多い子孫が生まれたのです。

これらの人々はみな、信仰の人々として死にました。約束のものを手に入れることはありませんでしたが、はるかにそれを見て喜び迎え、地上では旅人であり寄留者であることを告白していたのです。彼らはこのように言うことによって、自分の故郷を求めていることを示しています。もし、出て来た故郷のことを思っていたのであれば、帰る機会はあったでしょう。しかし、事実、彼らは、さらにすぐれた故郷、すなわち天の故郷にあこがれていたのです。それゆえ、神は彼らの神と呼ばれることを恥となさいませんでした。事実、神は彼らのために都を用意しておられました。

解説

イスラエル人として最初の人となったアブラハムは、カルデヤのウル(現在のイラク、チグリス・ユーフラテス川中流域の都)に住んでいました。アブラハムは、多くの家畜や使用人を持つ実業家でしたが、ある日、故郷ウルを出てカ旅立つように神から命ぜられます。

神様は、具体的な移住先を示しませんでしたが、アブラハムは「神の命令であれば」と、どこに行くかも知らずに家族とともにウルを出発したのです。彼は、神様は信仰によって最善の地に導いてくださる、と信じていました。

アブラハムは、目に見える世界だけがすべてだとは思っていませんでした。やがて人の一生が終わっても、その後の世界、すなわち、神が用意しておられる、堅い基礎の上に建てられている都があると信じていたのです。その都こそ、信仰者にとっての本当の故郷であると考えていました。天の都にやがて帰る日を待ち望みながら、アブラハムとその子孫、信仰者達は、この世では旅人・寄留者として人生を送ることを喜びとしていました。

人生も長いようで短いものです。神を信じる信仰者は、目で見えるこの世の人生が全てであるとは信じていません。私たちも、神様が用意されている都「天国」に帰る日を待ち望みながら、毎日の生活を送るとき、大きな祝福をいただくことができるのです。

*****************教会員の感想****************

□ウルでの生活のすべてを捨てて神様の召しにしたがったアブラハムの信仰はすごいと思いました。自分も、世の中の生活に惑わされずに、神様の導きにしたがって生活したいと感じました。

以上

2008年5月11日のメッセージ

2008-06-01 08:16:24 | Weblog
2008年5月11日
小樽キリスト福音館・主日礼拝
メッセンジャー:佐藤直樹
テキスト:ローマ12章14.17-21節

テーマ:敵対者に祝福を与える愛

ポイント
信仰者は迫害する者に対してどのような態度をとるべきでしょうか。パウロは、相手を祝福し、神のさばきに任せなさいと語っています。わたしたちは、主のわれみによって、迫害する者に対して最善の事ができる助けが与えられています。

聖書の箇所

あなたがたを迫害する者を祝福しなさい。祝福すべきであって、のろってはいけません。(14節)

だれに対してでも、悪に悪を報いることをせず、すべての人が良いと思うことを図りなさい。あなたがたは、自分に関する限り、すべての人と平和を保ちなさい。愛する人たち。自分で復讐してはいけません。神の怒りに任せなさい。それは、こう書いてあるからです。「復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする、と主は言われる。」
もしあなたの敵が飢えたなら、彼に食べさせなさい。渇いたなら、飲ませなさい。そうすることによって、あなたは彼の頭に燃える炭火を積むことになるのです。悪に負けてはいけません。かえって、善をもって悪に打ち勝ちなさい。(17-21節)

解説

ローマ人の手紙の1-11章が教理の部分であるのに対し、12章以下は実践的な部分であると言われています。12章の1-2節は献身と聖霊による改革、3-8章は教会におけるクリスチャン倫理、9-21節は愛の倫理について語られています。今日のテーマは、迫害を受けたとき、信仰者は迫害する者に対してどのような態度をとるべきかについてです。

信仰者は迫害を受けたときにどのように対応すべきでしょうか。パウロは「祝福しなさい」「すべての人が良いと思うことを図りなさい」「すべての人と平和を保ちなさい」「神の怒りに任せなさい」と語っています。これらのことは、現実的に考えると、いくらクリスチャンといえでも実行することは難しいことばかりです。

自分の力ではできそうもありませんが、私たちはイエス・キリストによってあわれみの力が与えられています。アガペーの愛によって、相手を許すことができるのです。「だれに対してでも、悪に悪を報いることをせず、すべての人が良いと思うことを図りなさい」とありますが、この「だれにたいしてでも」は、イエス様が貫かれた歩みです。

12章は「愛の倫理」と呼ばれており、「互いに」という言葉が4回も使用されています。互いに「器官である」信者は、「愛し合い」「絶えず祈りに励みなさい」とあります。聖霊によって御霊の実を結ぶとされた信仰者は、主のあわれみによって、迫害する者に対して最善の事ができる助けが与えられています。今週もこの御言葉から教えられて歩んでいければ幸いです。

*****************教会員の感想****************

□自分を迫害する者への対応も、自分の力に頼るのではなく、イエス様に助けてもらうことが大切だと思いました。

以上