小樽キリスト福音館メッセージ要約

小樽キリスト福音館で毎週行われる福音メッセージの要約をお届けいたします。

2011年1月30日のメッセージ

2011-02-27 08:00:00 | Weblog
2011年1月30日
小樽キリスト福音館・主日礼拝
メッセンジャー:佐藤直樹
テキスト:ヨシュア記9章1-27節

テーマ: 主の指示を仰がなかった長老たち

ポイント
必死になって生き延びるために策略をめぐらしたギブオンの人々を信じ、ヨシュアや族長たちは主の指示を仰がずに、彼らを生かしてやるという盟約を結んでしまいました。私たちも、イエス様の御声に従わずに自分の判断で行動するとき、その実を刈り取らなければならなくなります。

聖書の箇所

しかし、ギブオンの住民たちは、ヨシュアがエリコとアイに対して行ったことを聞いて、彼らもまた計略をめぐらし、変装を企てた。彼らは古びた袋と古びて破れたのに継ぎを当てたぶどう酒の皮袋とを、ろばに負わせ、繕った古いはきものを足にはき、古びた着物を身に着けた。彼らの食料とパンは、みなかわいて、ぼろぼろになっていた。(3-5節)

こうして、彼らはギルガルの陣営のヨシュアのところに来て、彼とイスラエルの人々に言った。「私たちは遠い国からまいりました。ですから、今、私たちと盟約を結んでください。」イスラエルの人々は、そのヒビ人たちに言った。「たぶんあなたがたは私たちの中に住んでいるのだろう。どうして私たちがあなたがたと盟約を結ぶことができようか。」すると、彼らはヨシュアに言った。「私たちはあなたのしもべです。」(6-8節)

そこで人々は、彼らの食料のいくらかを取ったが、主の指示はあおがなかった。ヨシュアが彼らと和を講じ、彼らを生かしてやるとの盟約を結んだとき、会衆の上に立つ族長たちは、彼らに誓った。(14-15節)

解説

イスラエルがエリコとアイを征服したニュースは、当然のことながらカナンの地に住む王たち、住民たちに大きな衝撃を与えました。ギブオンの住民たちは計略をめぐらし、変装を企てて、あたかもヨルダン川の東側からはるばると長い旅路を経てやってきたかのように偽りました。イスラエルの次の攻撃目標は自分たちだと思い、必死になって生き延びる道を探した結果がこのような策略だったのです。

巧みに語りかけるギブオン人たちの一つ一つが真実に思えたので、ヨシュアや族長たちはすっかり彼らを信用し、彼らと和を講じ、生かしてやるという盟約を結んでしまいました。イスラエル人が、主の指示を仰がずに不用意に主にかけて誓ったのは良くないことでしたが、いったん主にかけて誓った誓いは果たさなければなりません。

ヨシュア記は、わたしたちクリスチャンの毎日の歩みを示してくれる書です。特に9章では、この世にサタンが働いていることを教えられます。わたしたちが、聖書的な目で物事を見なかったり、よく祈らずに自分の判断で人生を歩むとき、その実を刈り取ることになります。しかし、イエス様の御声に忠実に従ったなら、豊かな祝福をあふれんばかりにいただくことができるのです。

*****************教会員の感想****************

□まず祈り、主の声を聞くことが大切だと思いました。

以上


2011年1月23日のメッセージ

2011-02-13 08:00:00 | Weblog
2011年1月23日
小樽キリスト福音館・主日礼拝
メッセンジャー:佐藤直樹
テキスト:ヨシュア記8章1-29節

テーマ:アカンはなぜアイ攻撃まで待てなかったのか

ポイント
アカンへの裁きが済んで、イスラエルから罪が取り除かれ、アイを攻め取ることができました。アカンはなぜ分捕り物を戦利品として受け取れるアイ攻撃まで待てなかったのでしょうか。私たちが主の命令をすべて守り行うなら、時を経ずして、主は私たちに良きものを与えてくださいます。私たちに求められていることは、待つことなのです。

聖書の箇所

主はヨシュアに仰せられた。「恐れてはならない。おののいてはならない。戦う民全部を連れてアイに攻め上れ。見よ。わたしはアイの王と、その民、その地を、あなたの手に与えた。あなたがエリコとその王にしたとおりに、アイとその王にもせよ。ただし、その分捕り物と家畜だけは、あなたがたの戦利品としてよい。あなたは町のうしろに伏兵を置け。」そこで、ヨシュアは戦う民全部と、アイに上って行く準備をした。ヨシュアは勇士たち三万人を選び、彼らを夜のうちに派遣した。(1-3節)

ヨシュアは、アイの住民をことごとく聖絶するまで、投げ槍を差し伸べた手を引っ込めなかった。ただし、イスラエルは、その町の家畜と分捕り物を、主がヨシュアに命じたことばのとおり、自分たちの戦利品として取った。こうして、ヨシュアはアイを焼いて、永久に荒れ果てた丘とした。今日もそのままである。(26-28節)

解説

アカンへの裁きが済んで、イスラエルから罪が取り除かれ、民はきよめられました。主がまずヨシュアに「恐れてはならない、おののいてはならない」と言われたのは、アイへ攻め上るにあたり、彼も民も、前に失った勇気をもう一度回復する必要があったからです。また「戦う民を全部連れてアイに攻め上れ」と主が言われたことは、先にヨシュアがわずか三千人を上らせてアイを攻撃したことへの間接的な非難と受けとめることができます。どんなに弱小に見える相手でも、見くびって手を抜いては勝つことができないのです。

アイが聖絶されたことは、一見残酷に見えますが、この町は、ソドムやゴモラ以上に不道徳な町でした。聖絶された罪のない子供たちは天国に行きますが、罪を犯した大人たちは相応の罰を受けなければならないといえます。私たちは自分たちに都合のよい御言葉ばかりでなく、ときに耳の痛い御言葉も神様からの言葉として受け取る必要があるのです。

それにしても、アカンはなぜ分捕り物を戦利品として受け取れるアイ攻撃まで待てなかったのでしょうか。神様は、私たちの必要や願いに耳をふさいで聞いてくださらない方ではありません。私たちが主の命令をすべて守り行うなら、時を経ずして、私たちに良きものを与えてくださいます。私たちに求められていることは、待つことなのです。

*****************教会員の感想****************

□すぐに結果を求めてしまいがちですが、待つことが大切であるとわかりました。


以上


2011年1月2日のメッセージ

2011-02-06 08:00:00 | Weblog
2011年1月2日
小樽キリスト福音館・主日礼拝
メッセンジャー:佐藤直樹
テキスト:ヨシュア記7章1-26節

テーマ:イエス様との関係を正しくする

ポイント
エリコ攻撃は完全な勝利に終わりましたが、分捕りものの一部をアカンが自分のものにしたため、主の怒りが燃え上がりました。その後、イスラエルはアイに敗北します。私たちの内面にもアカンが潜んでいます。毎日のデボーションを通して、イエス様との関係を正しくしましょう。

聖書の箇所

しかし、イスラエルの子らは、聖絶のもののことで罪を犯し、ユダ部族のゼラフの子ザブディの子であるカルミの子アカンが、聖絶のもののいくらかを取った。そこで、主の怒りはイスラエル人に向かって燃え上がった。(1節)

ヨシュアはエリコから人々をベテルの東、ベテ・アベンの近くにあるアイに遣わすとき、その人々に次のように言った。「上って行って、あの地を偵察して来なさい。」そこで、人々は上って行って、アイを偵察した。彼らはヨシュアのものに帰って来て言った。「民を全部行かせないでください。二、三千人ぐらいを上らせて、アイを打たせるといいでしょう。彼らはわずかなのですから、民を全部やって、骨をおらせるようなことはしないでください。」(2-3節)

そこで、民のうち、およそ三千人がそこに上ったが、彼らはアイの人々の前から逃げた。アイの人々は、彼らの中の約三十六人を打ち殺し、彼らを門の前からシェバリムまで追って、下り坂で彼らを打ったので、民の心がしなえ、水のようになった。(4-5節)

主はヨシュアに仰せられた。「立て。あなたは、どうしてそのようにひれ伏しているのか。イスラエルは罪を犯した。現に、彼らは、わたしが彼らに命じたわたしの契約を破り、聖絶のものの中から取り、盗み、偽って、それを自分たちのものの中に入れさえした。」(10-11節)

解説

6章で、エリコ攻撃は完全な勝利に終わりました。エリコの町の住民とその所有物は「聖絶のもの」として主に献げられるものであって、人々や動物は絶滅させなければならず、また金銀等は主の宝物倉に納めなければなりませんでした。ところが、ユダ部族のアカンがそのなかからいくつかを取って自分のものにしてしまいました。アカンが犯した罪は当事者以外誰も知りませんでしたが、主は知っておられ、主の怒りはイスラエル人に向かって燃え上がったのです。

そののち、エリコから西北西18キロに位置するアイを攻め取ることになりましたが、あまりに楽観的に考えたため、三十六人が打ち殺されてしまいます。アイに敗北した原因は、三つあります。第一に、エリコの戦いに勝利したという自負心があったためです。第二に、祈祷をおろそかにしたことです。祈りの乏しいところには常に罪悪に対する無感覚が生まれます。そして第三に、不従順にあります。

「私は見ました、欲しました、取りました、そして隠しました」。これがアカンの罪です。私たちの内面にもアカンが潜んでいます。毎日のデボーションを通して、イエス様との関係を正しくし、アカン的な罪から守られて、新しい年に向かって歩みたいものです。

*****************教会員の感想****************

□何をするにも主は見ていることを心に刻みたいと思いました。

以上