2008年8月10日
小樽キリスト福音館・主日礼拝
メッセンジャー:佐藤直樹
テキスト:Iサムエル1章1-28節
テーマ:現代人に失われた祝福
ポイント
一夫多妻が認められていた時代、ハンナは子どもがないために悲しんでいました。しかし、果てしなく続くように思えたハンナの悲しみは、神様の哀れみによって、わが子を神様に献げる信仰の器に変えられました。人間の力では解決できないように思われる問題に遭遇したとしても、全能の主に祈り続けるとき、ハンナが受けたような祝福が私たちにも与えられます。
聖書の箇所
エルカナには、ふたりの妻があった。ひとりの妻の名はハンナ、もうひとりの妻の名はペニンアと言った。ペニンナには子どもがあったが、ハンナには子どもがなかった。(1節)
彼女を憎むペニンナは、主がハンナの胎を閉じておられるというので、ハンナが気をもんでいるのに、彼女をひどくいらだたせるようにした。毎年、このようにして、彼女が主の宮に上って行くたびに、ペニンナは彼女をいらだたせた。そのためハンナは泣いて、食事をしようともしなかった。(6-7節)
ハンナの心は痛んでいた。彼女は主に祈って、激しく泣いた。そして誓願を立てて言った。「万軍の主よ。もし、あなたが、はしための悩みを顧みて、私を心に留め、このはしためを忘れず、このはしために男の子を授けてくださいますなら、私はその子の一生を主におささげします。そして、その子の頭に、かみそりを当てません。」(10-11節)
日が改まって、ハンナはみごもり、男の子を産んだ。そして、「私がこの子を主に願ったから。」と言って、その名をサムエルと呼んだ。(20節)
解説
サムエル記は、預言者サムエルの誕生に先立ち、彼の父親と二人の妻を紹介しています。近代社会では、一夫一婦を基本としていますが、サムエル記の時代は、一婦多妻が認められた時代でした。しかし、一婦多妻が時代の状況によって黙認されているかのように見えても、一夫一婦が本来の姿であることが聖書の基本的主張です。ここでは、一夫一婦という神の知恵のわざが、人間の罪によってゆがめられた時代があったという事実が示されていると思います。
ここでは、子どもがいる妻であるペニンナと、こどもがいないハンナが登場します。子どもができないハンナは悲しみ、神様に祈り、そしてサムエルという子どもを授かりました。第1サムエル記は、二人の妻の問題を提起し、一方の妻が神のもとへと招かれている姿を描いており、それによって、現代人が失った真の祝福を示しています。
果てしなく続くように思えたハンナの悲しみは、神様の哀れみによって、わが子を神様に献げる信仰の器に変えられました。この世の価値観によって霊の領域を満たすことは決してできません。人間の力では解決できないように思われる問題に遭遇したとしても、全能の主に祈り続けるとき、ハンナが受けたような祝福が私たちにも与えられます。
*****************教会員の感想****************
□私たちは神様から祝福されても、すぐに忘れてしまいがちです。しかし、ハンナは、子どもがさずかったことに感謝して、自分の子供を主にささげました。ハンナのように感謝の気持ちを持ちたいと思いました。
以上
小樽キリスト福音館・主日礼拝
メッセンジャー:佐藤直樹
テキスト:Iサムエル1章1-28節
テーマ:現代人に失われた祝福
ポイント
一夫多妻が認められていた時代、ハンナは子どもがないために悲しんでいました。しかし、果てしなく続くように思えたハンナの悲しみは、神様の哀れみによって、わが子を神様に献げる信仰の器に変えられました。人間の力では解決できないように思われる問題に遭遇したとしても、全能の主に祈り続けるとき、ハンナが受けたような祝福が私たちにも与えられます。
聖書の箇所
エルカナには、ふたりの妻があった。ひとりの妻の名はハンナ、もうひとりの妻の名はペニンアと言った。ペニンナには子どもがあったが、ハンナには子どもがなかった。(1節)
彼女を憎むペニンナは、主がハンナの胎を閉じておられるというので、ハンナが気をもんでいるのに、彼女をひどくいらだたせるようにした。毎年、このようにして、彼女が主の宮に上って行くたびに、ペニンナは彼女をいらだたせた。そのためハンナは泣いて、食事をしようともしなかった。(6-7節)
ハンナの心は痛んでいた。彼女は主に祈って、激しく泣いた。そして誓願を立てて言った。「万軍の主よ。もし、あなたが、はしための悩みを顧みて、私を心に留め、このはしためを忘れず、このはしために男の子を授けてくださいますなら、私はその子の一生を主におささげします。そして、その子の頭に、かみそりを当てません。」(10-11節)
日が改まって、ハンナはみごもり、男の子を産んだ。そして、「私がこの子を主に願ったから。」と言って、その名をサムエルと呼んだ。(20節)
解説
サムエル記は、預言者サムエルの誕生に先立ち、彼の父親と二人の妻を紹介しています。近代社会では、一夫一婦を基本としていますが、サムエル記の時代は、一婦多妻が認められた時代でした。しかし、一婦多妻が時代の状況によって黙認されているかのように見えても、一夫一婦が本来の姿であることが聖書の基本的主張です。ここでは、一夫一婦という神の知恵のわざが、人間の罪によってゆがめられた時代があったという事実が示されていると思います。
ここでは、子どもがいる妻であるペニンナと、こどもがいないハンナが登場します。子どもができないハンナは悲しみ、神様に祈り、そしてサムエルという子どもを授かりました。第1サムエル記は、二人の妻の問題を提起し、一方の妻が神のもとへと招かれている姿を描いており、それによって、現代人が失った真の祝福を示しています。
果てしなく続くように思えたハンナの悲しみは、神様の哀れみによって、わが子を神様に献げる信仰の器に変えられました。この世の価値観によって霊の領域を満たすことは決してできません。人間の力では解決できないように思われる問題に遭遇したとしても、全能の主に祈り続けるとき、ハンナが受けたような祝福が私たちにも与えられます。
*****************教会員の感想****************
□私たちは神様から祝福されても、すぐに忘れてしまいがちです。しかし、ハンナは、子どもがさずかったことに感謝して、自分の子供を主にささげました。ハンナのように感謝の気持ちを持ちたいと思いました。
以上