2010年9月5日
小樽キリスト福音館・主日礼拝
メッセンジャー:佐藤直樹
テキスト:ネヘミヤ9章16-38節
テーマ:罪の現実はあっても、神は私達を見捨てない
ポイント
イスラエルの民は、何度も罪を犯しますが、主は彼らを見捨てられませんでした。イスラエルの民の歴史は、今日の私たち信仰者と重なります。勇気をもって問題に向き合うとき、主は私たちをあわれんでくださいます。
聖書の箇所
しかし、彼ら、すなわち私たちの先祖は、かってにふるまい、うなじをこわくし、あなたの命令に聞き従いませんでした。彼らは聞き従うことを拒み、あなたが彼らの間で行われた奇しいみわざを記憶もせず、かえってうなじをこわくし、ひとりのかしらを立て、エジプトでの奴隷の身に戻ろうとしました。それにもかかわらず、あなたは赦しの神であり、情け深く、あわれみ深く、怒るのにおそく、恵み豊かであられるので、彼らをお捨てになりませんでした。(16-17節)
しかし、彼らは反抗的で、あなたに反逆し、あなたの律法をうしろに投げ捨て、あなたに立ち返らせようとして彼らを戒めたあなたの預言者たちを殺し、ひどい侮辱を加えました。そこで、あなたは彼らを敵の手に渡され、敵が彼らを苦しめました。彼らがその苦難の時にあなたに叫び求めると、あなたは天からこれを聞き入れ、あなたの大いなるあわれみによって、彼らに救う者たちを与え、彼らを敵の手から救ってくださいました。しかし、ひと息つくと、彼らはまた、あなたの前に悪事を行いました。そこで、あなたは彼らを敵の手にゆだねられ、敵が彼らを支配しました。しかし、彼らが立ち返って、あなたに叫びを求めると、あなたは天からこれを聞き入れ、あなたのあわれみによって、たびたび彼らを救い出されました(26-28節)
私たちに降りかかって来たすべての事において、あなたは正しかったのです。あなたは誠実をもって行なわれたのに、私たちは悪を行ったのです。(33節)
解説
9章のはじめて、イスラエルの民は悔い改めの祈りをしました。彼らは、イスラエルの民がエジプトの奴隷に戻ろうとしたり、偶像礼拝をしたときも、神様が彼らを見捨てなかったことを思いおこしています。神様は、反抗するイスラエルの民を敵の手に渡されたときも、民が苦しみの中で叫び声を上げると、再び救いだされました。
しかし、イスラエルの民は、その後も同じことを繰り返します。その度、主は彼らを見捨てられませんでした。こうしたことを思い起こし、イスラエルの民は、神様の正しさと自分たちの罪をはっきりと告白し、苦しい現状を訴えて祈っています。
9章を熟読するとき、イスラエルの歴史は、今日の私たち信仰者と重なります。彼らは、度重なる不従順や罪の結果として世界に散らされて流浪の民となったのだ、と私たちは傍観者的に見てしまいがちです。しかし、イスラエルの歴史から今に生きる私たちの信仰姿勢を学ばなければ、大きな霊的祝福を失ってしまうでしょう。
皆さんは今、自分の失敗や落ち度によって起こった現実に打ちひしがれているかもしれません。しかし、罪の刈り取りの時でさえ、主は共にいてくださって助けてくださいます。勇気をもって問題に向き合うとき、主は私たちをあわれんでくださいます。
*****************教会員の感想****************
□私たちの罪をゆるしてくださる神様に感謝です。
以上
小樽キリスト福音館・主日礼拝
メッセンジャー:佐藤直樹
テキスト:ネヘミヤ9章16-38節
テーマ:罪の現実はあっても、神は私達を見捨てない
ポイント
イスラエルの民は、何度も罪を犯しますが、主は彼らを見捨てられませんでした。イスラエルの民の歴史は、今日の私たち信仰者と重なります。勇気をもって問題に向き合うとき、主は私たちをあわれんでくださいます。
聖書の箇所
しかし、彼ら、すなわち私たちの先祖は、かってにふるまい、うなじをこわくし、あなたの命令に聞き従いませんでした。彼らは聞き従うことを拒み、あなたが彼らの間で行われた奇しいみわざを記憶もせず、かえってうなじをこわくし、ひとりのかしらを立て、エジプトでの奴隷の身に戻ろうとしました。それにもかかわらず、あなたは赦しの神であり、情け深く、あわれみ深く、怒るのにおそく、恵み豊かであられるので、彼らをお捨てになりませんでした。(16-17節)
しかし、彼らは反抗的で、あなたに反逆し、あなたの律法をうしろに投げ捨て、あなたに立ち返らせようとして彼らを戒めたあなたの預言者たちを殺し、ひどい侮辱を加えました。そこで、あなたは彼らを敵の手に渡され、敵が彼らを苦しめました。彼らがその苦難の時にあなたに叫び求めると、あなたは天からこれを聞き入れ、あなたの大いなるあわれみによって、彼らに救う者たちを与え、彼らを敵の手から救ってくださいました。しかし、ひと息つくと、彼らはまた、あなたの前に悪事を行いました。そこで、あなたは彼らを敵の手にゆだねられ、敵が彼らを支配しました。しかし、彼らが立ち返って、あなたに叫びを求めると、あなたは天からこれを聞き入れ、あなたのあわれみによって、たびたび彼らを救い出されました(26-28節)
私たちに降りかかって来たすべての事において、あなたは正しかったのです。あなたは誠実をもって行なわれたのに、私たちは悪を行ったのです。(33節)
解説
9章のはじめて、イスラエルの民は悔い改めの祈りをしました。彼らは、イスラエルの民がエジプトの奴隷に戻ろうとしたり、偶像礼拝をしたときも、神様が彼らを見捨てなかったことを思いおこしています。神様は、反抗するイスラエルの民を敵の手に渡されたときも、民が苦しみの中で叫び声を上げると、再び救いだされました。
しかし、イスラエルの民は、その後も同じことを繰り返します。その度、主は彼らを見捨てられませんでした。こうしたことを思い起こし、イスラエルの民は、神様の正しさと自分たちの罪をはっきりと告白し、苦しい現状を訴えて祈っています。
9章を熟読するとき、イスラエルの歴史は、今日の私たち信仰者と重なります。彼らは、度重なる不従順や罪の結果として世界に散らされて流浪の民となったのだ、と私たちは傍観者的に見てしまいがちです。しかし、イスラエルの歴史から今に生きる私たちの信仰姿勢を学ばなければ、大きな霊的祝福を失ってしまうでしょう。
皆さんは今、自分の失敗や落ち度によって起こった現実に打ちひしがれているかもしれません。しかし、罪の刈り取りの時でさえ、主は共にいてくださって助けてくださいます。勇気をもって問題に向き合うとき、主は私たちをあわれんでくださいます。
*****************教会員の感想****************
□私たちの罪をゆるしてくださる神様に感謝です。
以上