今晩は上記の策定委員会の3回目(最終回)が開催されました。
前回の委員からの発言を参考に書き換えをしました。
「地域福祉とは」という導入部分で福祉および地域福祉の意味するところを書いてみました。
「福祉」が必要な人も、「福祉」を提供する人も特別な人で、自分とは関係ないと考えている人が少なくありません。高齢者や障害者、病弱者、貧困者などを対象にした何かのほどこしをすることが福祉だ考えています。福祉を提供する人は役場や社会福祉協議会の職員、福祉施設の職員、そして少数のボランティアがやっているので任せておけばよい、自分とは関係ないと思っているようです。
「福祉」をフリー百科事典Wikipediaで調べてみると福祉(ふくし、英: Welfare)とは、「しあわせ」や「ゆたかさ」を意味する言葉であり、すべての市民に最低限の幸福と社会的援助を提供するという理念を指す、と書いてあります。
日本国憲法の第13条には、「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国幸福追求・公共の福祉というように 「幸福」と「福祉」の両方のことばが使われています。
おそらく、本人の主観的な幸福感と周囲から見てしあわせかどうか、その両面から見ていく必要があるのでしょう。
では、周囲から見てしあわせでない人はどのような人でしょう。
たとえば高齢者、障害者、病弱者は、果たして特別な人たちでしょうか。誰もが歳をとります。歳と共に病気も増え、認知機能も低下します。障害は身体の障害、精神の障害、発達の障害に分かれますが、程度はいろいろです。重い人もいれば軽い人もいます。本来は境目がないのです。白か黒に分けられる性質のものではありません。よく考えてみれば、誰もが弱点や欠点を抱えながら生きているのです。病気に関しても同じです。40代50代の人でも、町内の企業の健診をしてみれば、8割くらいの人が、高血圧、脂質異常症、糖尿病、肥満などいずれか、あるいは重複して病気を抱えながら仕事をしています。
加齢も、障害も、病気も、何があっても命、生きているということは共通です。命には生き方や生きがいに関係する共通の、“よく生きよう” “よく生きたい”という願望や欲求があります。そうした願望や欲求のなかにこそ一人ひとりの具体的なしあわせ(幸せ)があると考えます。
今、日本の社会福祉の分野では、児童福祉にしても、高齢者福祉にしても、障害者福祉にしてもさまざまな課題をかかえています。けっして他人事として見過ごしてはならず、自分のこととして考える時期にきていると思います。