MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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#2562 第3号被保険者制度の罠 ②

2024年03月25日 | 社会・経済

 昨年10月、武見敬三厚生労働相がフジテレビの番組で、会社員らの配偶者が保険料を払わずに基礎年金を受け取れる第3号被保険者制度の見直しの必要性に言及したことが話題になりました。

 厚労省は、第3号被保険者制度の(まずは)「維持」を前提にパートの保険料負担を軽減する方針を示していますが、本格的な「年収の壁」対策については未だ期論が俎上にも上がっていないのが現状です。一方、武見大臣は今回、「第3号被保険者として国民年金に加入する人のうち7〜8割が働けば「(見直しの)議論がしやすくなる」との認識を示したということです。

 保険料を納める自営業者や単身者との公平性ばかりでなく、広く女性の「働き方」の議論にも繋がるこの問題に関し、論客として知られる作家の橘玲氏が3月5日のYahoo newsに『橘優遇しているようで実は差別的…根強い専業主婦志向を生む「年収の壁」の矛盾』と題する論考を寄せていたので、参考までに小欄に残しておきたいと思います。

 なぜ、『年収の壁』のような問題が起きてしまうのか。その元凶は、この国が税や社会保障を“イエ単位”で考えていることにあると、氏はこの論考に綴っています。本来、税や社会保障は「個人」の単位で対応すべきもの。それを「イエ(=世帯)」の単位で行っていることに、そもそもの問題があるというのが氏の認識です。

 日本における大卒女性の平均的な生涯収入は2億円以上と言われる。にもかかわらず社会保険料を抑えるために夫の扶養家族になり、年130万円未満しか働かないのでは、このポテンシャルをドブに捨てているようなものだと氏は言います。

 とりわけ専業主婦の国民年金の保険料を免除する第3号被保険者制度は、女性をイエに押し込め、社会での活躍を阻害するきわめて差別的な制度と言わざるを得ない。そして何より、世帯単位で考えることは民主社会の原則に反するというのが氏の指摘するところです。

 橘氏によれば、近代民主社会の大原則は、すべての国民に平等な人権を保障することとのこと。国家は市民を無差別に扱わなければならないと氏は話しています。

 そのため、かつては世帯単位で納税や社会保障を決めていた欧州の国々も、1970年代ごろから個人単位に変わってきた。ところが日本は1985年、そうした流れに逆行するように第3号被保険者制度を導入したと氏は言います。

 しかし不思議ことに、家父長制を温存するこの制度に対して、日本ではフェミニストやリベラルがまったく批判してこなかった。専業主婦を優遇することが女性のためにもなるとされ、批判すること自体がタブーとされてきたということです。

 さてそうした中、正社員と非正規をはじめ、現在の日本には差別的な制度がほかにも様々に存在していると氏は言います。日本はいまだに近代のふりをした『身分制社会』のままだというのが、今の日本社会に対する氏の見解です。

 さらに絶望的なのは、自分たちが身分差別をしていることに、経営陣ばかりか「あらゆる差別に反対する」はずの労働組合すら気づいていないこと。例え気づいていたとしても、タブーとして、あるいは見て見ぬふりをしてきたことだということです。

 近代社会は、自由な市民によって構成されるのが原則のはず。それにもかかわらず、税や社会保険、年金といった制度がなぜ「イエ」単位なのか。これが日本社会の根幹にある大きな問題のひとつだと橘氏は指摘しています。

 一方、人々がそれに向き合おうとしないのは、「日系日本人、男性、中高年、高学歴、正社員」というマジョリティが身分制から利益を得ているから。そして、こうした男と結婚した専業主婦も既得権も享受しているというのが氏の感覚です。

 個人を縛るイエ(家族)の存在。日本の社会が連綿として紡いできた慣習が、気が付けば日本人から個人としての自由を大きく奪っているということでしょうか。

 日本のリベラルの最大の汚点は、そうした差別に自分自身が加担していることを認められなかったこと。それが現在の日本の経済の低迷や社会の閉塞感の大きな原因になっていると話す橘氏の指摘を、私も興味深く読んだところです。



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