MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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#2566 価値の源泉はどこにあるのか

2024年04月03日 | 社会・経済

 私たちが日常生活を営む上で不可欠な仕事に従事する人たち(=エッセンシャルワーカー)が、コロナ禍で大きな注目を集めたのは記憶に新しいところです。

 医療、介護、飲食料品や生活必需物資の流通・小売、生活サービス、ごみ処理などの現場仕事の数々。これらがきちんと行われないと、基礎的な社会機能の維持が難しくなることが改めて認識された次第です。

 一方、人々が生活を営む基盤的な業務にもかかわらず、そうした仕事を担う人々の多くは報酬が低く、労働環境も劣悪な場合が往々にしてあることは私たちの多くが知るところです。

 彼らが従事しているのはまさに「本物の仕事(リアル・ジョブ)」であり、他者に便益をもたらし、世の中に意味のある影響をもたらしている。しかるに、彼らの報酬や扱いはぞんざいで、ある意味「冷遇されている」と言っても過言ではないでしょう。

 一方、多くの財産を相続した(だけの)資産家に加え、一部のスポーツ選手や経営コンサルタント、広告代理店や(例えば美容整形に携わる)医師など、(こう言っては申し訳ありませんが)「いなくてもあまり困らない」人たちの収入や処遇が極めて高かったりすることはよくあることと言えるでしょう。

 求められているのに重く扱われない。市場が「価値」を決めるはずのこの世の中で、どうしてこんな状況が生まれているのか。参考になるかどうかはわかりませんが、3月15日の日本経済新聞の経済コラム『大機小機』に、「労働に価値、マルクスの再評価を」と題する一文が掲載されていたので小欄に概要を残しておきたいと思います。

 

 かつて、「一億総中流」と言われたこの日本。高度経済成長経済の下、労働者の生活は(それなりに総じて)良くなっていったと筆者はこのコラムに記しています。

 「資本主義が発達すると労働者は搾取されて貧しくなる」とマルクスは予言したが、彼の描いた「窮乏化理論」通りにはならなかった。成長に伴い、所得の二重構造は解消に向かっていったというのが筆者の認識です。

 それでは、近年はどうなのか。昨今の日本を見渡すかぎり、「格差社会」を実感することが多いと筆者は話しています。

 マルクスの言う剰余価値(生産された価値―労働に支払われた価値)は潤沢で、株主への高配当が目につく。円安のもと株価は高水準、地価も上がり高額の高層マンションは飛ぶように売れている。しかしこうした中、資産インフレが進む一方で、日々の生活費を切り詰める人も少なくないというのが筆者の感覚です。

 店を開くにしても、「富裕層をターゲットにするのか」「それ以外の人々を対象にするのか」ではっきり分かれている。同じ国土に全く異なる「日本国民A」と「日本国民B」とが暮らしているというのは言い過ぎだろうか。(いずれにしても)改めて「窮乏化理論」が脳裏をよぎるということです。

 何が変わってしまったかと言えば、気がかりなのはやはり「労働価値」が後退してしまったこと。つまり、労働価値への評価が(他の価値との関係性の中で)相対的に低下したことだと、筆者は指摘しています。

 「価値」は他にもある。例えば「効用価値」だと筆者は説明しています。スーパースターがさらりと書いたサインに高値がつく。バブル経済で株価や地価が一時的に上がった場合もそう。財やサービスの市場価値は消費者の主観的評価=効用によって決まるとする「効用価値説」は、それはそれとして理解できるということです。

 近年、人工知能(AI)やロボットの活用で労働の質は変化し続けている。とは言え、形態や仕事観が時代によっていくら多様化しても、労働という営みに価値の根源があることは間違いないと筆者はここで指摘しています。

 労働を基礎に据えたマルクスの「労働価値説」は、当たり前のこととして看過されてきた。かつて、マルクス経済学は高度成長の現実を直視せず信頼を失ったが、経済学の始祖のアダム・スミスだって労働価値説に基づいている。埃まみれになってはいても、偉大な経済学者たちが残した思想には時代を超えて学ぶべきものがあるということです。

 経済活動の要である労働者は、労働価値に見合う賃金を受け取る。ここ一両年の春季労使交渉(春闘)で前向きな動きが出てきたのは、格差是正に向けての一歩だと筆者はこの論考の最後に話しています。

 気が付けば確かに、「投資教育」の重要性が声高に推奨される現在の日本の社会では、額に汗して働くことの大切さを(親も教師も)誰も教えてくれなくなっている現状を嘆く人さえ稀になっているような気がします。

 まずは、適正な「労働の対価」の確保からスタートすること。(こうした視点からの)労働価値説への回帰は、失われた日本経済社会の活力を一部の人だけでなく各層にわたって取り戻す確かな足がかりになるだろうと話す筆者の指摘を、私も興味深く読んだところです。

 



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