雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

大荒れの春分の日

2024-03-20 18:32:57 | 日々これ好日

       『 大荒れの春分の日 』

   「暑さ寒さも彼岸まで」 という言葉があるが
   「何のことですか」 と聞きたくなるような
    ほぼ全国的に 大荒れの天気となった
    それも 寒さがしっかりと居残り
    しかも 波の寒さではなかった
    各地で 被害も出ていて 厳しいお彼岸となった
    ぼた餅をいただきながら ご先祖様にご挨拶のつもりが
    今日は勘弁していただいた
    お彼岸の期間は まだ三日あるので 
    ぼた餅はいただいてしまったが ご挨拶は後日ということで・・

                     ☆☆☆
       

   

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花山院の崩御 ・ 望月の宴 ( 105 )

2024-03-20 08:00:41 | 望月の宴 ③

     『 花山院の崩御 ・ 望月の宴 ( 105 ) 』


さて、こうしているうちに二月となったが、花山院がたいそう重くお患いになられる。
「これは一大事。どのようなご容態なのか」とお聞き申し上げていたが、御瘡(オンカサ・できもの。)で発熱なさったのである。哀れにもご臨終かと思われるご様子なので、医師なども治癒の望みの薄い旨を申し上げる。
院には、例の中務とその娘が生んだ御子がたくさんいらっしゃるが、それぞれに女宮が二人ずついらっしゃる。
「私が死ぬのであれば、まず何よりもこの女宮たちを忌み(四十九日)のうちに皆私が連れて行くぞ」といったことばかり仰せになるので、御匣殿(ミクシゲドノ・中務のこと)もその娘も、さまざまに涙を流される。
中務の生んだ妹宮は、姉妹の兵部命婦(花山院に仕えていたらしい。)に生まれたその時に、「これは、あなたの子にしなさい。わたしは関与しないから」と仰せになったので、命婦はそのつもりでその妹宮を養育申し上げている。

こうしているうちに、花山院は昏睡状態となり、二月八日に崩御なさった。御年四十一歳でいらっしゃった。
長年の間おそばでお仕えしていた僧侶も俗体の者も、心から悲しく哀惜申し上げること限りなかった。
殿(道長)なども、「何と言ってもご立派であった院であられたのに。まことに残念で寂しいことだ」とお申しになられる。

御葬送の夜、忌まわしい喪服を着るというので、兵部命婦は、
『 去年(コゾ)の春 桜色にと いそぎしを 今年は 藤の衣をぞ着る 』
と詠んだ。まことに、哀れなることがたくさんある。

実際に、御忌みの間に、この兵部命婦が養っている女宮をお除きして、他の女宮は片端から皆お亡くなりになったので(史実としては、よく分っていない。)、高貴な人の御心は、まことに恐ろしいものだと思い知らされたのである。
「兵部命婦に養われた女宮は、『私は関与しない』と仰せられていたので、断念なさったのであろう」と言っては、泣き嘆いたのである。  

     ☆   ☆   ☆

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